牙を剥く者達
「脳内お花畑か? 救いの街がお前等を本気で助けるとでも思ってんのか?」
場が響めき始める。茉白と夜羅は場所を知られてなお動かない。それどころか受けて立つと言わんばかりに凛と立って見せた。
「思っているからこその先程の発言でしょう。人は無意識の内に、己に都合の良い解釈を繰り返す。テレビや街中で垂れ流され続けた綺麗事は、いつしか人の精神をも蝕む洗脳となった」
テロリストの仲間だと謳われた二人を見て逃げ出す者、正義感からか立ち止まる者、近くの建物に避難する者。様々な感情と怒号が混ざり合って場は混沌とした。
「テロリストめ……俺が殺してやる」
東雲の言う通り二人を殺そうと試みる男。懐より取り出されたナイフが曇天を映して鈍く煌めく。同時に周囲よりあがる悲鳴。茉白は男が行動を起こす前に心臓を一突きにし、何の躊躇いも無く命を奪う。灰と化した男は散った命を代弁するように風に誘われた。
「目障りだ、死ね」
刀の血を振り払った茉白は興味無さげに周囲を睥睨する。辺りが混沌とする中、モニター内の東雲が再び言葉を発した。
『夜葉 茉白、稀崎 夜羅を仕留めた者は首を切り落とし救いの街へと届けて下さい。そうすれば救いの街への永住権を与えます。もちろん世の平和に貢献した英雄の、家族や身内も全てね』
場の空気が一変し、唐突に渦巻く殺意の奔流。救いの街への永住権は、半永久的に身の安全が保証されることと同義。それが家族や身内全てとなれば、辺りの変化は妥当なものだった。
「こんな綺麗事に踊らされるなんざ世も末だな、稀崎よ」
刀を大きく振るった茉白は斬撃を放ち巨大モニターを叩き斬る。降り注ぐ破片に貫かれた者達は声をあげることすら赦されずに生を手放す。引き千切れた電線が火花を迸らせ、雨さながら地上へと降り注いでいた。
「腹立たしいですが同感です」
死した者達の血の匂い。辺りからの殺意は槍の如く鋭利で、それでいて的確に二人の喉元へと向いていた。端的な四面楚歌。無意識に背を合わせた二人は互いの死角百八十度を引き受け合い、そんな中、茉白が肩越しに振り返った。
「稀崎、何故傘を捨てた」
「可愛い顔を隠すのは勿体無いでしょう」
「お前よりうちの方が可愛いだろ」
「脳内お花畑なのは貴女ですよ」
駐車場内で完全に囲まれた二人は視線だけを動かして敵の数を確認する。いつ戦況が動いても不思議では無い状況に張り詰めた空気が漂った。
「何人居ますか?」
「五人から面倒になって数えるのをやめた」
これまでは敵同士であった二人が背を守り合う。今この状況において互いは互いを信頼しており、四面楚歌でありながらも焦りの表情一つ浮かばない。
「馬鹿ですか? こういう時はどんぶり勘定をするのが定石です。ざっと千人、というところでしょう。さすが人気スポットですね」
「一人頭五百、か」
「能力者も間違い無く居ます、油断せぬよう」
「知るか、皆殺しだ」
一瞬の沈黙の後「殺るぞ」という合図に夜羅は無言で頷いた。
「『侵食する黯毒の黎明』」
「『草木も溶ける丑三つ時』」
腕で顔を覆うほどの圧が放たれ、視認可能なほどまでに昂った魔力の波紋が砂埃や瓦礫を巻き上げる。縦横無尽に空間を駆ける蛇と霊魂は、圧倒的な速さで無数の命を喰らい尽くした。
「邪魔したら殺しますよ毒蛇」
「お前こそ巻き込まれて灰になるなよ」
蛇の目を宿す茉白と身体を透けさせる夜羅。五つの霊魂が無より現れて、付き従うように夜羅の周囲を浮遊した。能力者でなければ戦いにすらならないと察した者達は、死にゆく者を目の当たりにして即座に戦意を喪失させる。辺り一面に広がる灰と、溶けて液体と化した者の残骸が混ざり合って凄惨な光景を生んだ。
「生きてるか稀崎」
「透けていますが死んではいません」
数え切れない者が一目散に退散する中、隙間を縫って接近する能力者を無数に切り裂く。半端な能力者では敵いすらしないという事実は、この場における戦況を大きく傾けた。放たれた斬撃が疎らに残った者を裂き、地より湧き上がる生気の宿らない腕が、茉白の討ち漏らしを的確に仕留めた。
「──ッ!!」
そんな中、何かに気付いた夜羅は脇差しを交差して眼前に掲げる。何処かから飛来した銃弾が、交差された脇差の中央部分で的確に止められていた。一瞬遅れて響いた鈍い金属音。銃弾と脇差の衝突による風圧で、夜羅の髪が僅かに靡いた。
「夜葉、狙撃手が居ます」
「場所は?」
「弾道から判断するに、恐らく観覧車かと」
観覧車へと視線を流した茉白は、即座に夜羅の腰に手を回し抱き抱える。
「な、何を……!? きゃあっ!!」
魔力による蛇で周囲を薙ぎ払い、そのままショッピングモールの屋上へと腕を突き出す。肩から螺旋を描くように巻き付いた蛇達は嬉々としており、屋上部分へと喰らい付くと二人を軽々と跳躍させた。
「女みたいな声出すな」
「知ってました? 私、女ですよ」
「初耳だな」
「さすが、単細胞には話が通じない」
このような状況下でありながらの煽り合い。浮遊感に意識を向ける暇すら無く飛来する弾丸が、二人が辿る軌道を追従するように降り注ぐ。先読みをしての発砲か、その内の一発が蛇を撃ち抜いた。
「おい暴れるな稀崎!!」
衝撃により大きく揺らぐ体勢。間一髪振り落とされずに辿り着いた二人は、屋上に投げ出されるように不時着する。そのまま転がって行ってしまいそうな茉白の腕を、夜羅がしっかりと掴んで事なきを得た。
「少し乱暴では?」
「あそこだと格好の的だ。蜂の巣になるよりマシだろ」
背を張り付けて座り、周囲を囲う塀の内側に身を潜める。切れた緊張の糸を代弁するように、忘れていた呼吸が僅かに乱れる。雨風に晒された地面は薄汚れており、巨大な換気ダクトの駆動音だけが鳴り響いていた。
「狙撃手はうちが叩く。お前は此処に隠れてろ」
「いえ、此処を制圧しておきます」
力の差に戦意を喪失させ姿を消した者達。場は収まったかに思われたが、二人の隠れている場所を見上げる一人の男が存在した。見開かれた目は血走っており、明確な殺意が込められていた。
「残るはあの男だけですね」
「あいつは、うちに如月のぬいぐるみを渡した餓鬼に突っ掛かっていた男だ」
茉白の中で未だ新しい記憶が蘇る。
「知り合いですか? 奇遇ですね。私も還し屋だった頃に追っていた者です。女子供に因縁をつけ、力任せに何処かへ連れ込み強姦する。奴の常套手段です」
「ぶつかられた程度で突っ掛かっていたのはそういうことかよ。それで? 制圧ってどうするつもりだ?」
「殺しますよ? 目障りなので」
「確かあの男の能力は怪力だったな。殺すつもりが、逆に殴られてぺしゃんこになるなよ」
「貴女こそ、撃ち抜かれて蜂の巣ならぬ蛇の巣にならないよう」
「……くっだらねえ」
背を壁面に反発させた茉白は勢い良く立ち上がると、蛇を駆使して華麗に跳躍する。何度も反転する景色さえ味方につけ、屋上から飛び降り建物から建物へ、まるで空を泳ぐように自由自在に駆けてみせた。一瞬でも見蕩れてしまった夜羅は、僅かな苛立ちと共に首を横に振る。
「毒蛇だと思っていたら、まるで猿ですね」
そんな毒蛇のような毒を吐きながら、華麗に空を舞い小さくなってゆく茉白の背を最後まで見届けた。




