最期の手品
北校舎二階の教室。廃学校の為、本来あるはずの椅子や机は無く薄汚れた空間だけが広がっている。様々な劣化や傷跡はこれまでの歴史の名残であり、その真ん中で探し人である如月が佇んでいた。
「鬼ごっこは終わりだ金髪野郎」
「まさかこんな所まで追って来るとは思いもしなかったよ」
教室内は静まり返っており、割れた窓ガラスや歩く度に軋む床が不気味さに拍車を掛ける。黒板には随分昔に書き殴られたであろう文字が、当時から色褪せぬまま残っていた。
「でもね、夜葉。金髪野郎って誰のことかな?」
振り返った如月の顔が文字通り剥がれ落ちた。姿を見せたのは若い女性であり、茉白は目を細めて事の行く末を見据える。
「私と戦うのは少し早過ぎたね」
身長や声におけるまで完全に女性と化しており、到底人では成し得ない光景が繰り広げられた。理解が追い付かないながらも、茉白は警戒心を解かずに顎を引く。
「お前、何者だ?」
「何者って如月だよ。屋台で二度会い、救いの街で会い、そして今此処で会った。もう四回目だよ? いい加減覚えなよ」
醜悪な顔を晒しながら腕が突き出される。救いの街で使役していた風の刃が放たれるも、茉白は刀を振り抜き真正面から切り裂いた。肩口を抜けて左右後方へと通過した風は入口の扉を容易く両断する。少し遅れて、真っ二つになった扉の上半分が滑り落ちて垂直な切り口を晒した。
「一つ教えろ。弥夜を殺ったのは蓮城か」
「柊 弥夜はまだ生きてるよ」
喉奥から突き上げる衝撃に目が見開かれ、様々な感情を含んだ深紫の瞳が揺らぐ。紡がれたのは、茉白が最も欲していた弥夜の生存という事実だった。
「蓮城と戦って破れて、今も救いの街にいる」
「……だったら返せよ!!」
冷酷さを孕む刀を屈んで躱す如月。その際、靡いた髪が切り裂かれてふわりと散った。間髪入れずに、屈んだ状態から腕を軸に繰り出された足払い。後方転回で逃れた茉白は華麗な身のこなしで距離をとる。外はとうとう驟雨になり始めたようで、迸った稲光から僅か数秒で耳を劈く雷鳴が轟いた。
「君達が先に手を出したというのに随分な言い分だね」
「弥夜は何処だ……救いの街の何処にいる」
「私に勝てたら教えてあげるよ」
両手を広げた如月。外で迸る稲光が逆光となり、教室内に大きな影を落とす。小細工無しで真正面から迎え撃つと言わんばかりの茉白は歯を強く食い縛った。
「さあ手品の時間だ『王の絡繰り遊具』」
靡く外套に気を取られた茉白に割れた窓ガラスの破片が飛来する。だが彼女は瞬き一つしない。突き刺さる寸前に灰と化したガラス片。雲散霧消した灰越しに二人の視線がかち合う。
「此処で死んどけ、如月」
重心を低くした茉白は地を蹴り距離を埋める。それを待っていたと言わんばかりに、如月を囲う色とりどりの風船。風が無いのにも関わらず宙で遊ぶ風船は、次々に割れると無数の鋭利な針を放出した。
「君一人で来たのがそもそもの間違いだよ。稀崎はどうしたのかな?」
刀で的確に針を叩き落とす茉白は、往なし切れないと判断し地を縫うように蛇行する。それはまるで蛇の如く、如月の認識の精度を遥かに上回った。
「子守りだよ。お前程度うち一人で事足りる」
小さく跳躍し、不規則に地を蹴り、縦横無尽に翻弄する。目視不可能な速さでの移動。如月には、自身を撫でる僅かな風の流れしか伝わらない。振り抜かれた刀は反応する間も無く如月の胴体を横一文字に裂いた。
「たかが一人の能力者風情が……まさかここまでとは……!!」
飛び散る鮮血が地に斑模様を描くと同時に、深く切り裂かれた部位が灰と化した。身体が溶けゆくように灰は宙へと零れていく。
「今の一撃で私を殺さなかった君の負けだよ、夜葉」
「お前から情報を聞き出さないとならないからな」
「お前とは一体、私の中の誰を指す?」
魔力に包まれた如月は女性から老人へと姿を変え、続けざまに小さな少女となった。まるで一人の中に何人もが存在するように身なりが変化する。その少女には見覚えがあった。男に襲われていた所を助けた際にぬいぐるみを譲ってくれた少女だった。
「私と知り合いなの? だったらこの姿のままで相手してあげるね」
声までもがあの時の少女そのものであり、声帯ですら自由自在。救いの街で対峙した如月の面影など何一つ存在していなかった。
「人に化け過ぎて本当の自分すら見失ったか? 一人芝居も退屈で滑稽だな」
「そんなことないよ? 観客は貴女一人で十分だよ」
魔力による球体が突如として出現し、瞬く間に水玉模様のお手玉へと姿を変える。ジャグリングの要領で無邪気に遊ぶ如月は、文字通り少女のような純粋な笑みを浮かべた。
「あやとりもボールもあるよ? 何して遊びたい?」
ふいに投げられた一つのお手玉が刀に切り裂かれ灰へと変わる。続けて山なりに投げられたお手玉は、茉白へと辿り着く寸前で大爆発を起こした。一瞬で場を支配する灼熱。爆風は軽々と堅牢な壁を突き破り、隣の教室までの道を無理矢理に抉じ開けた。
「次は音楽の授業みたいだね」
部屋の隅に佇むグランドピアノと、五線譜の描かれた黒板。壁際に並ぶ木琴や打楽器の片付けられた小さな箱が、当時のまま綺麗な状態で残されていた。
「一人でやってろ」
爆風に巻き込まれた茉白は体勢を立て直し、部屋の中央で蛇を成す魔力を放出する。獰猛に暴れ狂う五匹の分厚い蛇達は、口腔内より毒を滴らせながら暗闇の中で瞳を煌めかせた。宙を泳ぐように遊ぶ蛇。威嚇する声が音楽室内に響き渡る。
「私はね、ある条件を満たせば様々な人に化けることが出来るの。だから還し屋内での呼ばれ名は『百面相の道化師』。俺は私であり、子供であり大人であり老人である……凄いでしょ?」
「下らない手品だな。お前等の正体はもう割れてんだよ、タナトス共」
茉白は顎を引き如月を睨み付ける。蛇は獲物を見つけたと言わんばかりに如月へと飛び掛かった。だが、唐突に吹き荒れた風が蛇の首を容易く刎ねる。動きを止めた蛇達は死したことに気付かぬまま灰へと回帰した。
「なるほど。何処から聞いたのかは知らないけれど、それを知ったところでどうするつもり?」
「皆殺しだ」
「好き勝手殺し、人の命を弄んだ報いかな?」
「お前等が誰を殺そうが誰が死のうがうちには関係無い。だがな、大切な者を殺された者の涙を見たことがあるか」
「さあ? 腐るほど見過ぎて最早忘れたよ」
「……下衆野郎が!!」
吐き捨てた茉白の耳に届くピアノの音。グランドピアノから発せられた低い一音が、静かな空間にやけに大きく響く。
「──ッ!!」
余韻引く一音。茉白は、鳴り響いた音に一瞬でも気を取られたことを後悔する。知らぬ間に両手首に絡み付いた金属のワイヤーが動きを制約していた。
「次はあやとりをしよう。私が取るね? それまで君の手首が繋がっていればの話だけど」
腕に絡み付いたワイヤーは締め付けるように収縮し、内側に付いた刃物が茉白の手首を傷付ける。反射的に手放された刀が、滴る血液と共に地を叩いた。
「全ての遊具は私の支配下。小さな風ですらもね」
「うちを嘗めんなよ……雑魚が」
ドス黒い魔力が茉白を包み込み、風が無いのにも関わらず髪が靡いた。魔力に感化されたワイヤーは灰と化し、即座に刀を拾い上げた茉白は軽く助走をつけて刀を投擲する。狙いは如月の心臓部。投擲の際、刀から滴る猛毒の液体が大量に飛び散っていた。
「何処を狙っているの?」
だが、半身を捻る最小限の動きで躱される。その隙を狙い地を蹴った茉白は、蛇の如く地を縫い如月の顔面へと拳を突き出した。
「無駄だよ、近付くことすらままならない」
そんな彼女を押し返すように吹き荒れた風が無数の刃を伴い襲い掛かる。視認可能なほどの濃密な魔力。短い風切り音が幾重にも迸った。
「最初に挑んだのが私とは運が悪かったね」
解っていたと言わんばかりに拳を引いた茉白は、自身を護るように腕を眼前で交差した。為す術なく翻弄される茉白。だが、交差された腕の隙間から覗く口元は吊り上がっていた。不審に思う如月は、突如として背に迸った激痛に目を見開く。風により向きを変えた刀が背に突き刺さり、地についた両脚を容易く揺らがせた。無意識に灰になる感触を背に受けながら、うつ伏せで屈する如月。風の刃により傷だらけになった茉白は、血を滴らせながらも刀を引き抜く。華奢な手に肉を裂く感触が伝わった。
「柄じゃなくて刃がお前の方を向いていて良かった。運が悪かったのはお前だよ、如月」
仰向けになった如月は四肢を蛇に縛り付けられ、瞳内に恐怖を宿らせる。見上げた存在は、毒蛇さながら線状の瞳孔を持つ瞳を煌めかせていた。
「ま、待って……殺さないで!!」
刀の柄を両手で掴む茉白に対し、少女の姿での懇願。地を向いた切っ先は今か今かと堕ちる瞬間を心待ちにしていた。
「だったら答えてもらおうか、弥夜は救いの街の何処にいる。素直に吐けば命だけは助けると約束してやる」
僅かな沈黙の後、如月は口を開く。
「……君達が乗り込んできたビルに、エレベーターが向かい合って五台ずつあったのを覚えているかな?」
「ああ」
「入口から向かって、左側一番奥のエレベーターにだけ特殊な仕掛けがあるの。一階のボタンから二十センチ下に見えないボタンがあり、それを押せば地下へと繋がる。柊 弥夜はそこに居るよ」
「嘘は無いな?」
「もちろんだよ。でも、行ったところでどうするの? 助けるのは不可能だよ? もしかしたら拷問されていたりして。能力者って可哀想だよねえ、拷問されても傷が癒えるのが早いから何度も痛みを経験出来てしまうもんね。精神を保っていない可能性もあるよね」
「今のは聞かなかったことにしてやる」
「そうだ、一つ言い忘れたよ。私はある条件を満たせば様々な人に化けられると言ったけれど、その条件は手に触れること。簡単でしょ?」
窓の外の木々が雨風により揺られ、静かな音楽室に不気味な喧騒を齎す。次いで迸った稲光から間を置かずに雷鳴が轟いた。耳鳴りがするほどの重い衝撃。コンマ数秒白亜に飲み込まれた景色の中、如月は姿を変えていた。
「あの時、柊 弥夜の手に触っておいて良かった」
渡された風船を遠慮する際、弥夜は如月の手に触れていた。心臓が締め付けられたような痛みが茉白を襲う。目の前で蛇により四肢を拘束されているのは間違い無く弥夜だった。
歯を食い縛る茉白。
刀の柄を握る手が小刻みに震える。
「ねえ茉白。私のこと、助けに来てよ」
声も、姿も、形も、紛うこと無き相方だった。
「弥夜……」
「えへへ、またこうして会えて嬉しいよ。とりあえずこれを解いてくれるかな? とても痛い」
「悪い、今解いてやる」
優しい微笑みを浮かべた如月は、自身の腹部に迸った激痛に絶句する。堕ちた切っ先は腹部を貫き地面ごと串刺しにした。
「茉白……殺さないって言ったじゃん……」
「約束なんざ守るかよ。言っただろ? タナトスは皆殺しだ。それに、うちの相方で弄んだお前は死んでも償えない罪を犯した」
鍔部分から徐々に垂れるドス黒い毒が少しずつ刃を伝い如月へと近付く。それは砂時計さながら、命のタイムリミットだった。
「有り難く思えよ、出来る限り苦しむように毒の量を調整してやったからな」
「ま、待ってよ茉白!!」
弥夜の声で呼び止められるも興味無さげに立ち去る茉白。遠ざかる足音が、身動きの取れない如月にとっては絶望に感じられた。刀に滴る液体が徐々に身体へと近付く。如月は逃れようと身を捩るも、そんな手品しが通用するはずなど無かった。
「ああそういえば、手品師は手品に失敗して命を落とすこともあるらしいな」
「え……?」
「二度とその声でうちを呼ぶな」
死を前にして揺らぐ瞳。揺り返す腹部の激痛は後どれくらい続くのだろうかと、如月の心は迫る死の恐怖に蹂躙される。高鳴る鼓動が止められるはずもなく、ただその時を待つことしか出来なかった。
「お前の最期の手品は自分が死ぬこと。誰も観客の居ない場所で一人で演じてろ。それで……幕引きだ」
茉白が最期に聞いたのは、聞き慣れた相方の声での断末魔だった。舞台は終わり、下りた緞帳。気怠げに身体の汚れを払った茉白は、音楽室を出てすぐの所で歩みを止めた。




