救いの街
「あのなあ、マニュアル車と全然変わってないだろ」
運転手を引き摺り下ろして車を盗んだ茉白は、運転席でハンドルを握る弥夜に文句を垂れる。歩道に片輪を乗り上げたり、相変わらず看板を薙ぎ倒したり、開始五分で両方のミラーはへし折れていた。
「こんな大きな車運転出来ないよ!!」
「はあ? 大きい方が丈夫だろ」
「あのねえ。私はまだ仮免許なのだから、こういう場合は運転し易いのを選ぶべきなの」
一際大きく揺れる車内。年季の入った標識が真正面から薙ぎ倒され、車が僅かに軌道を変える。標識は道路を横断するように倒れ、後続車の進路を妨害してしまった。茉白が意気揚々と盗んだのは二トントラックであり、弥夜はハンドルに手を固定されたのかというくらい張り付いて運転に集中する。怖がっているのとは裏腹に、窓の外を流れる景色は凄まじい速さだった。
「嫌なら変わるか?」
後方で通行止めになった車が怒涛の勢いでクラクションを鳴らすも、二人は気にした様子も無く舌戦を続ける。
「それだけは絶対に嫌。間違い無く民家に突っ込んで死んじゃう」
後頭部で手を組み、余裕綽々とダッシュボード部分に脚を乗せる茉白。短い感覚で訪れる歪な衝撃を諸共せず、前回とは違い純粋にドライブを楽しんでいた。
「こら、足癖悪いよ?」
「いいから運転に集中しろ、こっち向くな」
「何かスカート濡れてない?」
歪に濡れたスカートに視線が向く。丁寧に拭き取られたのか、タオルの繊維のような糸くずが張り付いていた。
「お前の涎だよ馬鹿が」
「そうなんだ」
「そうなんだ、じゃないだろ」
カーナビに従い隣町へと辿り着いた二人は、救いの街へと続く巨大な橋へと差し掛かる。純白の橋は、まるで穢れなど無い場所へと導く道標と言わんばかりに、堅牢な体躯を惜しげも無く晒していた。
「実際に見るとやばくない? 超大きいね」
「くっだらねえ。ただの刑務所だろ」
眼前に広がるのは海に囲まれた水上都市。津波対策の為か周囲は高い壁に囲われており、正面に聳える巨大なゲートより内部が露になっていた。海という無尽蔵な土地を利用している為に敷地は広大であり、見渡す限りの美しき街が広がっていた。幾つもの高層ビルが建ち並び、最先端の技術を駆使した昇降機や流れる床などが絶えず人を運ぶ。最新設備であろうものが備え付けられた建物は分厚いガラス張りになっており、燦々と照り付ける陽の光を反射していた。
「どうする? さすがにこのまま行けばまずいかな?」
「行け、正面突破だ」
「まあたぶん、人も多いからすぐに怪しまれたりはしないと思うけれどね」
車の行き来は多く、救いの街への出入りも頻繁に行われている。何も知らない人々からすれば理想郷そのものであり、普通ならば日常生活において抱く筈のストレスや負の念は微塵も感じられなかった。
「あれ? 船も何隻かあるみたいだね」
「戦闘になった際の逃亡手段にも使えそうだな」
「逃げる気なんて無いくせに」
救いの街から出航する船。車を持たない者への救済処置なのか小柄な船が忙しなく行き来する。時折鳴り響く汽笛が、晴れ渡る空を裂くように重厚な音を届けていた。中には豪華客船のようなものも存在し、煌びやかに装飾されたネオンの電飾が、真昼だというのにやけに目立っていた。
「街に入らないと何も解らないし、とりあえず行ってみよっか。危なくなったら私のことは良いから逃げてね」
「お前を護る為にうちも来たんだろ」
「やだ茉白、惚れちゃう。あーん、惚れちゃう惚れちゃう惚れちゃう」
「……絶対男に騙されるタイプだな」
「そんなことないもん」
両頬に手を当てて首を振ることで紅潮した頬の熱が冷まされる。面倒臭そうに相槌を打った茉白は前方を指差した。
「解ったからハンドルから手を離すな。また大破したいのか」
「おっとと……危ない」
周りの状況を確認した二人はトラックに乗ったまま救いの街へと侵入し、入口の巨大な駐車場に車を停める。広大な敷地の中を外と同じように人が歩いており、自分達が浮いていないことに二人は内心安堵した。
「ゲートを一枚隔てただけなのに、何だか別世界に来たみたいだね。街自体がキラキラしているように思えるよ」
「人殺しが平然と罷り通る場所だってのに、救いの街だなんていうネーミングセンスに反吐が出る。破滅の街だろこんなもん」
「そう言わないの。綺麗な景色は楽しまないと損だよ。もちろん……やることはやらせてもらうけどね」
鋭さを帯びる弥夜の眼光。同調した茉白は隣に肩を並べる。高層ビル群が地上の者を見下すように聳えており、ビル間を吹き抜ける潮風が嘲笑うように二人を包み込んだ。
「さっさと終わらせて帰るぞ」
「帰ってまた私のお弁当が食べたかったりするの?」
「均等に火が通ってないし、野菜も芯が残ってた。料理の練習くらい真面目にやれ。お嫁にいけないぞ」
「美味しいようって、わんわん泣いてたくせに」
「……うっざ」
「萎れた茉白も可愛かったよ? 私の次に」
舌打ちをした茉白は頬を抓られ、女の子らしくないと叱られた。
「さて、何処から行こうか」
「こういうのは一番でかい所から行くのが定石だろ」
眼前に伸びる巨大な大通りは、高層ビルや豪邸が並ぶ区域へと枝分かれする。首の可動域を目一杯使ってやっと見上げられるほどの摩天楼も大安売りと言わんばかりに建ち並んでいた。
「そもそも、辺りにいる人達は還し屋の肉親達なのかな?」
「そうだろうな。もちろん、還し屋上層部の能力者も混ざっている筈だ」
「変に喧嘩しないでよ? 貴女は喧嘩っ早いから」
「……解ってる」
止むことの無い雑踏。何不自由の無い生活を営んでいるのか人々の表情は明るく、外の者よりも希望に満ち溢れた目をしていた。それが逆に気味が悪く、二人は真逆の表情をする。
「救いの街の何処かに、お前の母親がいるんだろ?」
「恐らく。夜羅のお兄さんもね」
「それは放っとけ。お前の母親が優先だ」
「面識が無いから会っても解らないけれどね」
大通りを歩きながら、視覚より情報を集める。区画管理は現段階でAからHのアルファベットで割り当てられており、それ以降に関しては今後建設予定の新エリアに使われるというものだった。
「えっと、一番大きい建物はっと……」
上を向く視線が忙しなく左右を往復する。少し離れた位置に、平和を象徴する翼のオブジェクトが屋上に取り付けられたビルが存在した。
「灰色のデカブツ、偉そうな見た目的にもあれだろうな」
「さっすが人類の理想郷。お洒落な建物だねえ」
「馬鹿か。感心するな」
「もちろん皮肉だよ」
何度も吹き抜ける風が非日常の匂いを運ぶ。太陽を背景に空を泳ぐように飛ぶ真っ白な鳥達の群れ。幾重にも重なった囀りが唄となり、地上の喧騒に彩りを添えた。
「ん? あれはなんだろう?」
弥夜が目にしたのは、辺りの景色から切り離されたような不自然な円錐状の装置だった。扉などの概念は無く、円の内部に足を踏み入れた者の前には、AからHのボタンが目の前に横並びで表示されていた。
「見た感じは区画間の転送装置だな」
「どの区画のボタンを押したのか外の人からは見えないみたいだね。ストーカー対策? それともプライバシーの何とかかんとか?」
「うちに聞くな」
ビルへと辿り着いた二人は、大きなガラス張りの自動ドアを経て内部へと至った。半円状の受け付け、大量に飾られた観葉植物、最奥には五台ずつ向かい合ったエレベーター。上へと続くエスカレーターや階段も備え付けられており、大手企業さながらの独特な空気が漂っていた。
「無人なんだね。此処が中枢機関だったりして」
整頓され、巨大な機械以外は何も無いカウンターの上が見渡される。書類など過去の産物と言わんばかりに全てはデータで管理されているのか、モニターの画面では常時新しい文字が更新され続けていた。
「油断するなよ弥夜、敵の城だぞ」
外とは打って変わって人は居らず、広大な空間であるのにも関わらず他の気配は無い。明白な外との相違が不気味さに拍車を掛けた。
「解ってるよ、覚悟の上で来てるから」
「ここまで呆気無さ過ぎて、本当に何も起こらない可能性もあるがな」
「もう。油断しているのはどっち?」
軽口を叩きながらもキーボードに指を這わせる弥夜は、画面内部の文字を眺めて適当なキーを押下する。画面は切り替わり、先程とは別の文字列が映し出された。
「先に言っとくが、うちは機械には疎いぞ」
「先に言っておかなくても解るから」
「どういう意味だよ」
画面に釘付けになったままの視線。弥夜は時折キーを押したりカーソルを動かしたりと簡単な操作を繰り返す。そして何かに気付いたのか短い声をあげた。
「これ……恐らく救いの街にいる人の名簿だ」
「個人の場所も特定出来るのか?」
「住まわされている区画の記載はあるけれど、書かれてあってもそれが何処に該当するのかが解らない」
「区画の場所なんてその辺の奴に聞けばいいだろ」
「確かにね。でも問題は……これだけ莫大な数の中からお母さんを見付けること」
忙しなく動く視線が文字列を追うも、圧倒的な数に次第に目が乾き始める。次々に画面が切り替わり羅列される文字列。小さく息を吐いた弥夜は膨大な情報量に辟易した。
「何時間掛かる?」
「何時間どころじゃない、下手したら月単位で掛かるよこんなの。ようやく見付けた手掛かりなのに」
画面から目を離した弥夜は、何度か瞬きして霞み始めた視界を鮮明に保った。そのまま周囲を見渡すも手掛かりになりそうなものは何一つ無い。手詰まりを覚悟しながらも再び画面に視線を戻した。
「虱潰しに歩いても果てしないし、正直打つ手が無いかもしれない」
「能力者を脅して場所を聞くか?」
「さすがに一個人を把握しているとは思えない」
「……くそが、ここまで来てこれかよ」
「区画毎に収容された時期が、ある程度分かれていればまだやりようがあるのだけれどね」
「上層部の連中なら、そのくらいの情報は持ってるかもしれないな」
相槌を打ちながら辺りを見回した弥夜は、自分達が通過して来た自動ドアが開いたことに気付く。姿を見せたのは一人の男。顎髭を生やし黒いストライプスーツを纏う荘厳な雰囲気の男は、手入れの行き届いた長めの黒髪を後ろで束ねていた。
「茉白、やり過ごすよ」
「解ってる」
高鳴る鼓動を押し殺して機械へと向き直る二人。革靴が地を叩く際の音が静かなフロア内で嫌に反響する。そのまま通り過ぎて欲しいという彼女達の願いとは裏腹に、男は画面を閲覧するフリをした二人の後ろで足を止めた。




