一次元に還れよ
27世紀を過ぎた頃、人は四次元・五次元空間の中を自由に行き来できるようになった。また人類総生体アップデートに伴って、既存細胞の分解および再変態が可能となる。誰もが好きな時に好きな容貌を成し、好きな時空へと飛び立つことができるようになったのだ。
人々は都合に合わせて男にも女にも成る。ついには意思を持った機関銃、戦車、天体など、いよいよ人間ではない体を成す者まで現れた。こうして高次元の地は有り余る過激な自己表現の楽園及び地獄と化した。幾多の人々は変態したまま時を越えてまで争うようになり、天地は混沌の渦へと巻き込まれた。
「三次元への回帰を」
争いが続けばこの社会がままならないと、28世紀の人々は三次元への回帰を試みる。時空を行き来するゲートは完全に封鎖され、四次元の技術が関与しているとして再変態も固く禁じられた。
しかし争いは止まなかった。本来の姿をしていても、人は人を非難して攻撃する。男は女尊男卑を訴えて特攻し、女はフェミニズムを高らかに叫んで迎撃する。マジョリティはマイノリティの市民権獲得を恐れて武装し、マイノリティはマジョリティの殲滅を謳いながら槍を投げる。「困ったものだ、これでは数世紀前に逆戻りではないか」どこかのまともな科学者が一人で嘆く。
「いっそのこと、二次元で暮らしてみるのはどうだろう」
ある日29世紀の誰かがそう言った。平和への希望と将来の筆を神に託し、人類皆が巨大な平面の中へと収まっていった。
ところが人々はそこでも上手く生きていくことができなかった。敵を攻撃する為に必要だった物理的運動の概念を失っても、敵を非難する為にあった声を失っても、この二次元の紙の中には、まだ気に入らない相手を不快に貶めるだけの顔がある。
それに台詞を入れてもらいさえすれば、紙の中で口喧嘩ができる。攻撃の描写を依頼すれば双方の憎しみだって増幅する。描写次第で人々の紛争はいとも簡単に勃発する。誰かがそのように描かれる事を望んだ瞬間、平和は死に絶えるのだ。
「人類、一次元に還れよ!」
人類が人類に向かって、声なき声でそう叫んだ。すっかり疲弊しきった29世紀の末、賛同の文字は平面の隅から隅までをつたい、瞬く間に共有拡散されていく。……そうだ、大昔の人々は常に先に向かって進化し続けていくだけの、ただ前進する一直線的な存在だった。我々のはじまりは一次元だったのだ、だから我々は今こそそこに還るべきなのだ、と。
遂に全ての人類は一次元へと還っていった。ある者たちは点になり、またある者たちはそこから伸びる直線になって、人類はたった一つの点と直線に収束した。声も顔も動かしてもらえる体も、つまり意思を伝える手段が無いので、一つになった人類は終りのない一直線上を延々と一方向に進んでいく。
果てしなき直線が進行しているうちに、めでたく30世紀の空が開けていた。
はたして一次元となった人類にも、争いを起こすだけの力は残存しているのだろうか。仮にそうなった場合、再度人類は嘆き悲しみ、いよいよ点だけの世界であるゼロ次元へと退化してしまうのか。30世紀の天と点を仰ぎながら、神だけがその行く末を興味本位で見届けている。