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美夜はハンマーを振りかぶると、躊躇無く冥泉の頭に叩きつけた。めきり、と音を立てて鉄塊が仏僧を押しつぶす。常人なら一撃で即死する重撃だった。
美夜は、ふたたびハンマーを振り上げると二度、三度と念入りに鉄塊を振り下ろし続ける。当たったときの感触が妙だった。鉄塊をぶち当てる瞬間、冥泉がなにかを盾にしているのが見えた。四度目に振り下ろしたハンマーが受け止められた。
「なっ……!」
美夜が驚愕する。冥泉がまとっていた僧衣の中から巨大な百足の頭が飛び出して美夜のハンマーを受け止めていた。暗褐色の甲皮におおわれた体躯が冥泉の身体を這い回る。しゅるしゅると聞こえてくる不快な音は、百足の擦過音か、威嚇音か、あるいは両方か。無数の赤黒い肢が美夜のハンマーをつかんでいた。妙な感触の正体はこれだった。
「……『虫食み』か! うわ、想像以上にグロいなこれ! ていうかキモい!」
叫びながら美夜はハンマーを思い切り振り上げ、わさわさと蠢く虫の肢から引き剥がす。反動を利用してそのまま身体を軸に水平にハンマーを振って冥泉を殴りつける。遠心力を込めた美夜の渾身の一撃を、冥泉はたやすく受けた。
百足の盾は見た目以上に堅く、強靭だった。ハンマーの衝撃が殺されてしまう。冥泉は薙ぎ払うように百足を振り回して美夜に近づく。しかしその歩みは遅い。一撃の威力は恐るべきものだが、冥泉自身はあくまでも人間の筋力のままらしい。
ならば勝機はある。美夜は冥泉が振り回す百足を、軽やかにステップを踏んで避ける。スクールバッグから特殊閃光音響弾を取り出してピンを外し、爆発の瞬間を見計らって投擲した。 グレネードは冥泉の目の前で完璧なタイミングで炸裂した。爆音と閃光が浴びた冥泉と百足が身もだえる。
美夜は冥泉から距離をとると、ハンマーを地面に思い切り叩きつけた。衝撃で先端の鉄塊に仕込まれたロックが解除され、ハンマーの機構と炉心があらわになる。美夜はブレザーのポケットから試験管状のカートリッジを取り出すと、素早くハンマーの機構に装填した。爆薬と聖油が調合された不死殺しの爆薬だ。あとはライターで『火入れ』を行えば、爆発鉄鎚の準備はほとんど整う。
――殺った。
そのとき急に美夜の足がもつれた。バランスを崩して、ぶざまに尻もちをついてしまう。あわてて体勢を立て直そうとして、美夜は足に力が入らなくなっていることに気づいた。立てない。腰が抜けてしまっているようだ。
「美夜ちゃん!」
崩れ落ちた美夜を見てオーレンが叫ぶ。百足を振り上げた冥泉が美夜のすぐ目の前まで近づいてきていた。オーレンは美夜のもとに滑り込むと、彼女を抱きかかえて跳躍した。数瞬前まで美夜がしゃがんでいた場所に百足が叩きつけられ床板が砕け散る。紙一重だった。
美夜を抱え上げたときにオーレンの左肩が脱臼していた。ハンマーを両手に握りしめた美夜は恐ろしく重かった。オーレンは内心で毒づいた。やっぱり重いんじゃないか。
「しくじった……このお香、なにか混じってる……」
オーレンの腕の中で、美夜が悔しそうに言う。オーレンはくんくんと鼻を鳴らす。先ほどよりも煙の匂いが濃くなっているような気がした。
「わたしは平気ですけど」
「そりゃ、死んでるからね」
ひどい、と抗議するオーレンを無視して美夜は思考する。助けてくれたのはありがたかったが、オーレンの移動した位置が悪かった。さきほど美夜が爆破した扉の前に冥泉が立っていた。敵意を込めた視線をこちらに向けている。スタングレネードのショックからすでに回復しているようだ。退路をふさがれてしまった。最悪、オーレンだけでも逃がそうと考えていたが、それもできそうにない。
『火入れ』はこのままどうにかこなせるが、この痺れた身体ではハンマーの機構に先ほどと同じような衝撃をあたえて格納することができない。機構を開放したまま爆破すれば、爆発鉄鎚を握る美夜も爆風に巻き込まれて即死してしまう。彩賀仕掛けにままある、致命的な欠点だった。仕掛けを発動するまでに、無意味としかいいようのない工程が多すぎるのだ。それは美夜がこよなく愛する不合理でもあるのだが、それも時と場合による。
このまずい状況を切り抜ける手段は五つほど瞬時に思い浮かんだが、美夜とオーレンが両方無事に済むプランは一つしかなかった。一番成功する可能性が低く、美夜がもっともとりたくない策だった。
美夜はスクールバッグから小さな注射器を二本取り出すと、左右の太ももにためらいなく突き刺した。プランジャーをぐいと押し込んで体内に薬液を一気に注入する。解毒剤と興奮剤の多剤併用だ。痺れに効くかは、賭けだった。
オーレンは注射をしている美夜と彼女が肩にかけているスクールバッグを交互に見て、「この子、おまわりさんに職務質問されたら、どう言い訳するつもりなんだろう」などと思っていた。
「オーレンちゃん、ごめん、すこしでいいから時間稼いで。あとは私がなんとかする」
自分が回復するまで、オーレンにおとりになってもらう。それが美夜の策だった。参道でオーレンがある程度身軽に動けることはわかっていた。それにしてもひどい策だ。我ながら嫌になる。美夜の言葉を聞いたオーレンはきょとんとしていたが、やがてすこし嬉しそうな顔をして、言った。
「あ、はい。わかりました」
あっけなく答えるオーレンを見て。美夜があわてて言った。
「いや、あの、オーレンちゃん、ようするに私、あんたにあの化け物のおとりになれ、って言ってるんだけど、普通、もうちょっと嫌そうな感じにならない?」
「いえ、特に気にならないですけど。五分くらいなら、頑張れそうです。なんだかわかりませんけど、手があるんですね? じゃあ美夜ちゃんも頑張ってください」
それだけ言うと、オーレンはナイフを抜き放ち呆然とする美夜を背にして、冥泉のもとへふらふらと歩いていった。
冥泉はこちらに向かって頼りない歩調で近づいてくるオーレンを見据えた。
「――貴様も、我の邪魔をするか」
冥泉が百足を振り上げる。完全に戦闘態勢に入っていた。
オーレンは隠し持っていた毒針を取り出して冥泉に投げつけた。両目、喉、心臓、いずれも致命傷になりそうな位置を狙ったが、そのすべてを素早く這い回る百足の甲皮が弾いた。そのまま、ぞっとする擦過音を立ててオーレンに襲いかかる。思っていた以上にリーチが長い。オーレンはナイフを構えて百足を受け流そうとしたが、衝撃に耐えきれずナイフの刃がへし折れた。そのまま右腕に無理な力がかかり、ぐちり、と肘がねじれる。骨が折れる嫌な感触。
「あー、また……」
関節が砕けてしまった右腕をぶら下げて、オーレンが悲しそうに言った。利き腕が使えなくなった。つい最近、道士さまにくっつけてもらったばかりだと言うのに。
これでようやく、一分といったところか。
「……あの、質問があるんですが、どうして不死になろうと思ったんでしょうか?」
オーレンは出し抜けに冥泉に訊いてみた。いちかばちか、会話で時間を稼いでみようと考えたのだ。
「……説破、悟りとは、人の身では辿り着けぬ境地ゆえに、我は虫を呑み、人を捨てて、不死になってでも悟道を歩まんがために」
意外にも冥泉はオーレンの問いに答えた。口調は明瞭だが、そこには隠しきれない狂気のようなものがにじみ出ているのをオーレンは感じた。
「……悟りってそんな重要なものなんでしょうか。死んで、さらに不死になってまでも追い求める価値のあるものなんでしょうか?」
オーレンの素朴な問いに、冥泉は答えなかった。ただ、空気がぴんと張り詰める気配をオーレンは感じた。
「――貴様も、我が愚弟と同じことを言う」
あ、やばい地雷踏んだ。
直感的にオーレンは察した。冥泉からこれまで以上の怒気と殺気が放たれている。もはや対話でどうにかなるような状況ではなくなってしまっていた。
しゅるる、と百足の擦過音を立てながら冥泉が近づいてくる。あとずさりするオーレンの背中に壁が当たった。追い込まれた。
もう、これでできることは本当にあとひとつだけだった。
『奥の手』を使うしかない。
「ああ……また道士さまに怒られるかな……」
オーレンはぽつりと言うと、懐からお札を取り出した。
青紫色の札だった。不気味な文様や文字がびっしりと書かれている。およそ道術とは異なる体系の霊符である。彼女は札を額に貼り付けた。
これで、とりあえず一分間くらいは時間を稼げる。
変異は静かに訪れた。オーレンは、突然脱力するとその場に崩れ落ちる。糸の切れた人形のように。
次の瞬間、オーレンはびくんと身体を震わせると飛び起きた。ギリギリと不自然な動きで身体を動かす。関節が硬直しているのだ。
オーレンは腕を前に伸ばし、ゆらゆらと揺れながら身体のバランスを取る。やがて身体が硬直し、ぴたりと身じろぎ一つしなくなった。
うめき声がオーレンの口から漏れる。やがてそれは、びりびりと本堂が震えるような低い叫びに変わる。見開かれた彼女の両目は漆黒に染まり、その中心に緑色の光が輝いていた。眼球がぐるりと無造作に動き、やがて止まる。
にたり、と偶人は妖しく微笑みを浮かべた。




