第一章(4)
*
「ははうえ、あねうえ!」
拙い声が耳に届く。見れば、裏庭から光陽君が頼りない足取りで走ってくる。
「光陽君」
ついこの間、歩くようになったかと思えば、こんどは元気な子犬のように庭を走り回っているらしい。子供の成長は早いものだ。
「ははうえ、あねうえとなんのおはなしをしていたのですか?」
「お前の話だ、光陽君」
わたしのはなし?と首を傾げる光陽君に近付き、屈んで視線を合わせる。
「光陽君がとても可愛くて仕方がない、と話していたのよ」
そう言うと、光陽君は嬉しそうに笑う。
「そうだ、あねうえ、ともにあそびませんか?」
「光陽君、我儘を言うでない。」
光陽君が無邪気にソヒョンの手をとると、玲嬪がそれを叱する。
「いいえ、お気になさらず。もちろん、遊びましょうーーと、言いたいのだけれど、今日は兄上に呼ばれているの。また今度でもよいかしら?」
「はい、もちろんです!」
「王女様、失礼致しました……」
ソヒョンは、よいのです、と微笑み、光陽君の頭を撫でる。そして、それでは、と頭を下げ、呼びつけられた東宮殿に向かった。
*
「ーー兄上、お呼びですか……あら、閔従事官、いらっしゃったのですね」
閔従事官ーー閔 礼俊が立ち上がって一礼する。彼は禁衛宮に所属する従事官である。
彼の隣には、寧彦大君も座っていた。
「明惠、惇慶堂へは行ったか?」
「はい、先程」
「礼を言う」
「それで、姉上、黒幕の件でーー」
「寧彦大君!」
慌てて寧彦大君に目配せをする。この場には、閔従事官がいるのだ。例の件が他に知れてはいけないというのに。
「ああ、伝えていなかったな。実は、例の件の解決に、閔従事官に協力してもらうことにしたのだ」
「……えっ?」
頓狂な声。隣で、ソヒョンを焦らせた寧彦大君が、楽しげに笑って言う。
「王族である私達だけでは、思うように行動できないでしょう?」
「ーーたしかに……閔従事官は適任かもしれませんね」
閔 礼俊。彼の名は、朝鮮最高の剣士として、広く有名なのだ。その力量と優れた判断力で、若くして武科に合格し、今では従事官の地位を与えられているーー最も、彼の従事官という地位は半ば名前だけのもので、実際は、能力を世子に買われ、従事官としての実務ではなく、世子の側近として護衛や密命の執行に当たっている。
「この者は他言するような者ではない故、信頼するとよい。そなたも必要ならば頼るとよい」
「分かりました。閔従事官の人柄は存じております。昔からの仲ですから」
「恐れ入ります」
閔従事官は、世子の側近として、ソヒョンも長く知り合っている。それだけでなく、幼い頃の学友であったソヒョンの友達の兄でもある故、かれこれ7年以上の長い付き合いなのである。
「それで、兄上。話というのは……」
ああ、そうだった、と世子の顔が暗くなる。
「話というのは、3日後の陵幸の件だ」
「陵幸……」