第一章(2)
「…うう、ん……」
驚くほど掠れた声は、どうやら自分のものらしい。徐々に鮮明になっていく視界の眩しさに、ソヒョンは眉を潜めた。
「…! 姉上!」
切羽詰まった、聞き慣れた声が耳に入り、そちらの方へ目を遣れば、珍しいほど情けない顔をした弟ーー即ち寧彦大君が目に入った。
「…、寧彦大君…! なぜ…」
「主治医!主治医はいるか! 姉上がお目覚めになられた!」
「ーーーどうやら、精神的疲労が原因のようでございます、王子様。」
「そうか…では病ではないのだな?」
「はい。薬を飲んで暫く安静になされましたら、じき回復なさるでしょう」
「わかった。そなたはもう下がってよい」
目覚めた後の疲労感によりソヒョンの意識が朦朧としていう間に、主治医の脈診も終わり、寧彦大君も普段の落ち着きを取り戻す。姉上がお目覚めになったと兄上と父上、母上にお伝えしろ、と彼お付きの徐内官に言伝を頼んだ後、漸くソヒョンに向き合った弟は、安堵の息をついた。
「姉上が倒れたと聞いて、肝が冷えました…もしや煙をお吸いになられたのではと……」
「待って、それよりも、私も聞きたいことがあります。貴方と兄上は無事だったのですか? 火事に巻き込まれたと聞いて…」
「ええ。火が大きくなる前に、裏門の扉を破って逃げ延びたのです」
「そう…よかった」
姉上に話がある故兄上ーー世子を待ちましょう、と寧彦大君が妙に険しい顔でソヒョンに告げてから半刻も経たないうちに、世子が到着した旨を伝える鄭向宮の声が届いた。
*
「――兄上、今、なんと?」
ソヒョンが掠れた声で問う。
「……今回の火事は、何者かが企てたもののようだ」
何のご冗談を、と言おうとした口は、兄と弟の険しく沈んだ顔によって閉ざされる。
「な……ぜ、そのような恐ろしい事を」
「火が上がる直前、何者かの足音と、物陰が見えた。その時は、私か寧彦大君のどちらかの内官だと思ったのだが……後から聞いても、違うと言う。だが、火が、その物陰の場所から出たのは確かだ」
きっと兄達の冗談だ、でなければ、何かの勘違いだ、というソヒョンの希望は呆気なく散った。いくら違うと信じたくとも、聞いた限りでは信憑性があるし、そもそも、(寧彦大君は兎も角としても)世子は確信のないことは言わない性格だ。
「で――であれば、何故父上にその事を言わないのです……!? それが本当なら、れっきとした謀反です。父上に報告し、義禁府に捜査させるべきでは?」
「証拠もないのに、王様を振り回す訳には行くまい。それに、下手に敵を刺激するのは危険だろう。一国の王子を二人も殺めようとした者だ、何をするか分からぬ。……当分は気付かぬ振りを」
どうやら兄達が話すこの恐ろしい話は、事実のようだ。受け止めきれない現実に、ソヒョンは恐ろしさどころか可笑しさをも抱く。
「姉上。実は、この件で、姉上に言わねばならないことが」
「わ、私に…?」
「今回の件で、恐らく敵の狙いは私と兄上だと思いますが……万一に備え、姉上も警戒をお願いします。それから、淑晏堂の護衛の数を増やしますが、理由を聞かれても、どうか知らぬ振りを。今回の件は、私達三人以外に、誰も知ってはならぬのです」
コクリ、ソヒョンが静かに頷く。
それは、火が止められる少し前、亥の刻のことだった。






