終息
終息
多治見と別れ、上神宮が多部居を連れて渋谷中央署に着くと、会議室の入口に『連続爆弾殺人事件』と書かれた紙を貼っている所ところだった。
「ここが特別捜査本部になるのですか?」
「まぁ当然ね。犯行は広範囲だけど、犯人から一番近い所轄だもの。」
開いているドアから中を覗くと、署員が右往左往しながら、長机の配置を変えて、折りたたみ椅子を置き始めていた。他の署員は正面の左側にホワイトボードを用意して、表側には善波や離是流のメンバーと思われる、容疑者の大きな写真を貼ったり、名前と年齢を書いたりしている者もいれば、電話やパソコン、プリンターなどをセッティングする者や、お茶や飲料水等を運び込む者に分かれ慌しい。
「見ているなら手を貸せ!」上神宮達へ声が掛かった。
「何をすればいいでしょうか?」と多部居が反射的に答えた。
「何でも良い!出来る事をしろ!」
大きい図体でいかにも刑事だと見える男が、怒鳴りながら二人に近付いた。
「どこの課だ?」
「本庁。生活安全課課長の上神宮です。こっちは部下の多部居。私達に何を手伝えと?」
「しっ、失礼いたしました!準備の済んでいる席でお待ちください!」
男は敬礼をしながら案内に転じた。
「ありがとう。刑事課長はどちらに?」
「恐らくまだ刑事部屋だと思います!」
「場所は?」
「こちらです!」
先導するらしく部屋を出ようとした。
「案内は無用。今、あなたの出来ることをして」と意地悪にやり返した。
「多部居。行くわよ」
そう告げると、刑事課と書かれているスペースへ向かい歩き出した。多部居はそれに慌てて続いた。
刑事課で名乗り刑事課長を呼んで貰った。前任の課長が部下殺しなどと大それた罪を犯した為に、余計に力が入って緊張していると、現課長の磯島警部が本音を漏らした。
「私の部下の命が掛かっています。弱気は一手遅れますよ!」と激を飛ばすと、磯島は恐縮して、気を入れ直して取組むと約束をした。
その後会議室に戻ると、酒田がひな壇の中央に座っていた。
「上神宮課長。こちらへ」と上神宮を見ると、自分の右隣の席を指した。
「私はここで結構です」と捜査員側の一番前の席に多部居と共に着いた。
「課長の部下はそこでも構わんが、本庁の課長職は座る場所が決まっている。どうぞこちらに。」
有無を言わせない、命令口調だった。上神宮は諦めて酒田の右横に座りなおした。その時、館内放送が入った。
〔緊急入電。十六時二十三分。代々木上原駅交番前にて、タクシーが爆破された模様。近くのPSは急行されたし!〕
酒田は入電を聞くとすぐに手元のマイクを持ち「被害者は!」と怒鳴った。
〔そこまではまだ判っておりません〕
「すぐ調べろ!」
上神宮は場馴れしている酒田に軽い嫉妬を覚えた。
先程のでかい図体の刑事が酒田の所にやってきた。
「爆破されたタクシーは、今朝出庫してから連絡が取れなかったようです。GPSで確認したところでは、千代田の弁護士会館近くから笹塚近辺へ行った帰りのようです。尚PB(交番)には二人の勤務者がおり、その二名とタクシー運転手が死亡しました。」
仲間の死を心痛な面持ちで報告した。
「他に被害者は?一般人の被害者はいるのか聞いている!」
酒田は仲間の死を悼みながらも、全体の被害の報告を急がせた。
上神宮は携帯のバイブレータに気付き、見知らぬ番号からの電話に出た。
「もしもし?」
返事は無いが、電話の向うで、微かに多治見の声が聞こえた。
「静かに!」
上神宮は送話口を押さえて、周りへ怒鳴った。隣で酒田が上神宮を見る。
「多治見からですが、様子が変です。スピーカーに代えますか?」
酒田は首を横に振って、盗聴班に合図を送った。ケーブルとパソコンを持って盗聴班が急ぎ繋いだ。
『ドリップしたてですよ』
聞き覚えの無い若い男の声がした。
『奥にいるのは離是流の残党かい?』
「通話を録音しろ。それとこの電話のGPSを追えるか?」
酒田が言う。上神宮も慌てて携帯の録音機能を起動させた。
「録音は開始しています。場所の特定は少し待ってください。」
捜査員が相手の電話番号を調べて、本庁へ連絡を取り確認を急がせた。
「判りました。地図を出します」
ホワイトボードの裏を使い、プロジェクタでパソコンの映像を映し出した。
「渋谷区幡ヶ谷です。」
「近くの捜査員を急がせろ!ばれないように。着いたら様子を見るように指示しろ」
遅れて能代が特別捜査本部に入ってきて、酒田の左隣に座った。上神宮が説明をしようとしたが、人差し指を口元に立てて、説明不要の合図を送った。
『その前に、僕を乗せてきた個人タクシーだけど、新宿界隈を流している、城戸さんだよね?』
「急いで『じょうと』という新宿の個人タクシーを調べろ!」
酒田は新情報に合わせ、間髪いれずに捜査員に指示を出した。
『奴は恵比寿署へ行ってもらった。』
「恵比寿方面だ!爆弾班も同行して、運転手を救助し爆弾を回収しろ!急げ!」
酒田の指示が出ると捜査員は、統率良く迅速に動いた。
〔タクシー見付けました。渋滞を装い停車したら捜査員を入れます〕
「待て!タクシー内にCCDカメラが有るかも知れない。まずは運転手と筆談で、爆弾の確認をした方が良い!」
能代が無線で捜査員へ指示をする。
「咄嗟の判断。さすがですね。」酒田が世辞っぽく言う。
「何。爆弾の取り扱いには慣れていますから」
『GPSか――そうだよな。都心の道は、何処で渋滞しているかなど読みきれない。到底タイマーでの爆破は出来ない。追跡するのが確実だ。それでCCDカメラを付けたまま出したのか』
「やっぱりCCDを積んでいたか。爆弾はトランクだな。開けると映るか――」
「人気の無いところは何処かありますか?」上神宮が全員に問う。
「何か良い案でも?」能代が訊く。
「恐らくですが、多治見はCCDの映像を見させないように、菅谷との事を聞いて、時間稼ぎをしているのだと思います。人気の無いところで、一瞬であれば運手手だけでも先に救助できるかと――」
「それでしたら、旧山手通りに西郷山公園が有りますが」
渋谷中央署の刑事が地理的に案を出した。
「そこを封鎖しろ!爆弾班を急がせろ!」
地図を確認して、空かさず酒田が指示した。
「タクシーを西郷山公園へ誘導させる。準備が出来次第、運転手を先に救出する。」
酒田の指示で、捜査員がタクシーに付いている、覆面パトカーへ細かい指示を伝えた。
『奇麗事を言わないで下さい。――』
「多治見よ。善波の事よりも、早く爆弾の在り処を聞き出せ。」
酒田の焦りが、指で机を叩いたり、小刻みな貧乏揺すりをしたりする仕草から見て取れた。しかし上神宮は、善波の生い立ちの話しが続く中、善波が若くして受けた、大人や社会からの仕打ちが、今回のテロの要因になっているのだと思った。もし弁護士が、もっと善波の父親に向いて親身になっていれば、両親の自殺や一家離散などは無く、今回のテロは起きなかったのでは。そう感じていた。
善波の話しが進むにつれ、菅谷と出会ったのがテロへの起因になったと思った。偏った凶悪な菅谷の思想に、興味を持たなければ、菅谷と会うことが無かったら――。善波は法律家としての人生を歩んでいた様に思うと、何故か上神宮の胸は痛んだ。
捜査本部では小康状態が続き、酒田と能代が焦り出した時だった。
『ところで、君をいれても四人しかいない離是流が、どうやって』
『自爆テロの事ですか?』
「良いタイミングだな」能代が感心して褒めた。
その時、タクシーの救助班から、運転手を無事に救出した旨の連絡が入った。
「爆弾の処理は?」
「これからのようです。」
「わかった。」酒田がひとつ溜息を吐いた。
「爆弾の分解が済めば、他に仕掛けた爆弾も排除できる。」
興奮気味に能代が言う。「多治見のお陰です」と上神宮が応じた。酒田と能代は頷いた。
『そうやって拉致した対抗グループの者を、自爆テロに使ったのか』
『その通りです。大臣と取り巻きを殺せば、その爆弾を解除してやる。そう言って清掃員の服を着させて、ゴルフ場に潜伏させた。サバイバルナイフでSP相手に勝てると思ったのか、馬鹿丸出しでしたよ。』
多治見は捜査本部が欲している情報を知っているかのように、順調に誘導して聞きだして行く様子が、捜査本部に詰めている捜査員に良く伝わった。が、人の命を軽んじる犯人に、捜査本部に居る全員が憤怒した。
『ゴルフ場では、建物への直接の破壊力が判らなかった。十個も作った物の破壊力を知らないと、有効な使い方を誤り兼ねませんから。有益な実験が出来ましたよ。』
「爆弾を十個も作ったのか」能代が呆れて見せた。
「あと何個残っているんだ?」酒田が独り言のように誰にとも無く言う。
『拉致したのは六人。ゴルフ場で二人。与党会館で三人。人質はあと一人残っているな。――都内では都知事選間近だ。狙うなら与党からの候補者だよな。』
多治見の誘導尋問に善波は無意識のうちに乗り、爆破予定場所を漏らした。
『おまけに、すでに配備済み――か』
「与党の知事候補の事務所はどこだ!急ぎ調べろ!」
酒田の激が再び飛ぶ。
「新宿区西新宿弥生町です。」
「辺りを当らせろ!特に監禁できそうな場所を中心に、事務所近辺、またはその近くだ!それと新宿西署へ捜査員を出すよう連絡しろ!」
管轄が渋谷中央署から、新宿西署に移った。酒田は間髪いれずに指示をした。
『そうですね。あと三十分ほどで、与党の先生方やスタッフとボランティアを大勢連れて集まります。』
「候補の今日の予定は、十七時半から熊野神社近くの後援会事務所で、決起集会だそうです!」
選挙事務所へ問合せていた捜査員が、全員に聞こえる様に大声で伝えた。
「後援会事務所だ!全捜査員と爆弾処理班。速やかに移動して捜索に当れ!」
後援会事務所に二人の捜査員が着くと、事務所内が騒がしかった。
「新宿西署の者ですが、どうかされましたか?」
一人の捜査員が、スタッフジャンパーを着た若い男に尋ねた。
「先生から、初選挙の時に使ったタスキを用意しろとの指示で、第二倉庫に入ろうとしたのですが、ドアが開かないので困っているんです。」
二人の捜査員は、倉庫の前に立つと中を伺った。時よりうめき声と、物を動かすようにガタガタと音が聞こえた。捜査員の一人がノブを見ると鍵穴は無かった。
「ここの鍵は?」
「ありません。普段からドアは、開けたままで使っていました」
二人は頷き合うと、一人が携帯を取り出し電話を掛けた。もう一人は「慌てず全員この建物から出てください」と退去指示をし誘導にあたった。
数分後、爆弾処理班が到着して、二十代の男を救出した。爆弾もタクシーの物で取り外し方が判っていた為、起爆する事無く取り外す事ができた。
「一課長。新宿西署の捜査員からの連絡で、監禁されていた男を救出。爆弾も排除したとの事です。」
「わかった。これで善波の手札は多治見と白木弁護士だけになった。SITを配置に着かせ待機させろ」
「ちょっと待ってください。SITの配備がばれたら中の二人は殺されるのでは?」
酒田の指示に上神宮が異を唱えた。
「閉じ篭りは、その道のプロに任せた方が確実だ。刑事の出る幕はその後だよ。」
上神宮は能代を見た。一瞬、視線が合ったが、能代はその視線を逸らして携帯を取り出し、どこかへ電話を掛け始めた。
捜査本部内には、善波の政治経済への不満や、理想の国家の話しが流れている。
「ガキが!お前の言う不満を乗り越えて、大半の者は家族の生活を守りながら生きてきたんだ。」酒田が吐き捨てた。
「確かに甘いと思いますが、善波の言う事も一理有るかと――」
酒田の携帯が鳴った。表示を見て急ぎ出る。
「酒田です」と出てからは「はい」という肯定の返事だけが聞こえた。
「やはり善波の犯行動機は発表するべきです。」
酒田の電話が終るのを待って、上神宮は食い下がった。
「くだらん。奴等は生きている価値など無いクズだ。」
「SITの配置が終りました。回線は確認済みです。」
「善波と離是流の三人、投降に応じずに逆らうようなら、射殺を許可する。」
「そんな事をしたら、このテロが何だったのか、解明できませんよ!」
酒田の判断に上神宮が反論する。
「この爆弾連続殺人は、テロなどでは無く、善波と離是流が起こした、単純な菅谷の仇討ちに過ぎん。」
「しかし今も善波が、思想を語っています」
「そんな戯言、我々には関係ない。どうせ捕まれば死刑だ。早いか遅いかの違いだけだ。」
「爆弾がもうひとつ残っている」
黙って二人のやり取りを聞いていた能代が言う。
「数は善波の言い間違いだ。人質と爆弾の数は合っている。善波自身が自供したのだ。」
「ここの指揮官は酒田課長だ。あなたがそう言うのであれば、私はこれ以上ここに居る必要も無い。先に失礼するよ。」
「善波の最後は見届けないのですか?」
「あなたがテロではない。そう断言したではないですか。では失礼」
能代が席を立ち部下達へ撤収の合図を出すと、「爆弾が無い事を祈るよ」最後にそう言い残して、捜査本部を出て行った。
「本当に良いのでしょうか?」
上神宮は納得が行かずに再度問う。
「いいか!聞こえている通り、中では仲間割れが起きている。じきに善波は、多治見か弁護士を人質にして出てくる。そこを撃て!」
酒田は上神宮の問い掛けには触れず、無線でSITへ命令した。
「酒田課長!」上神宮が先走る酒田へ悲痛な声を上げる。
「多治見も弁護士先生も、生きて帰れればそれに越した事は無い。が凶悪犯の人質だ。万が一の事も想定していなければな。」
酒田は上神宮の耳元で、声を殺して言った。
「こういった凶悪犯罪を終わらせるのは、一課の仕事だ。たかが生活安全課如きが――。況してや新米の係長が持てるヤマでは無いのだよ。」
上神宮は酒田を睨んだ。「手柄は一課のもので構いません。人質の安全を最優先にお願いします。その為にSITを呼んだのでは?」
「単なるモーションだ」
「交渉させるためにでは無いのですか?」
「幸い中に一般人は――。関係者が二人だけだ。離是流は四人。皆殺しも仕方が無い」
上神宮は恐ろしいものを見る目を酒田へ向けた。
「白木弁護士と多治見は助けてください。」
「では、犯人は射殺しても良いのだな?」
『いいえ。私の思想と理想をマスコミに伝える為の人質ですよ。』
「多治見を盾に出てくるぞ。一発で射殺ろ!」
SITの隊長へ最終の指示を出した。
「交渉せずに、本当によろしいのでしょうか?」
指示を受けた隊長は、疑問に思い確認した。
「善波の思想をマスコミに流す事は、第二、第三の善波を生む可能性がある。いわば危険思想だ。あなたはそれを知っていて善波をマスコミに会わせるのか?」
「今日の我々は、酒田課長の指示に従うだけです」
「判ったら支度して待っていろ!」
最早、酒田の勢いは誰にも止めれはしなかった。
大勢の警察関係者が見つめる中、玄関のドアが静かに開いた。
投光器で浮かび上がったドアと、そのドアが作る暗黒の影から、多治見を盾に、善波が右腕を上げて出て来るのが、皆の視界にゆっくりと入ってきた。
「マスコミを呼べ!話しがしたい!」
静寂の中に、善波の声が響き渡った。
「善波!お前の要望は通らない。多治見警部を離して、素直に投降しなさい!」
副隊長が応答する。隊長は狙撃の可否を、配置した隊員に確認していた。
「正面配置、狙撃可能です。」
「マスコミはまだか!押すぞ!」
「良し、撃て!」
善波の額中央に着弾した。善波は多治見に縋りつくようにして倒れた。
「何故!撃った!」多治見が大声を上げた。
「突入!」
多治見の声は現場の隊員には届かず、一斉にガラス窓を割り、建物の中へと入っていった。
「何故!撃った!」善波の死体を抱えて、多治見は再び怒鳴った。
上神宮は多治見の訴えを聞き、射殺に承諾した事を後悔した。机に両肘を着き両手で顔を覆った。多治見の『何故!撃った!』と言う叫びに、取り返しの付かない事をしたのだと、無能な自分を責めた。