主犯
主犯
「私の質問に率直な回答を頂けますと、被害は少なくなります。」
愚直な言葉が一課長の酒田を刺激した。
「君はそうやって上司を脅すのかね?」
「今はその問答に付き合っている時間はありません。」
きっぱりと切り捨てた。
「同じ事を二度お聞きする事は時間の無駄です。人の命に関る事です。ご協力頂けないのでしたら、ご退室頂いても構いません。」
岩本を含む七人へ一機に詰め寄った。
「離是流の新リーダーの事ですが――」そこまで言うとわざと止め、酒田の目を覗き込む。
「捜査員を派遣して調べている。」と酒田が渋々口を開いた。
多治見は能代へ目を向ける。
「離是流との繋がりが有りそうな者から調査を始めた所だ。」
わざと離是流の名を出し多治見を試した。
「お二人の課長の言われる事が現状だとしたら、所轄署の方が先を行っているようです。」
多治見は平静に言う。
「彼等はもうすでに新リーダーに辿り付いています。」
「そんな馬鹿な!」酒田は大声を上げ、「カマを掛けるな」と能代が詰った。
「本当ですよ。ここに来る前に、渋谷中央署の刑事課へ頼んできました。私の携帯に返事が来ています。」
そう言いながら携帯を出して見せた。
「ちょっと待て。今、確認を取る。」と酒田が焦って止めた。
「こちらにも確認する時間が必要だ。」
能代が競って多治見へ言った。
「では五分待ちましょう」
多治見は手元のコーヒーを飲みながら、約束の五分を待った。
「では私の手の内を言いますが、よろしいでしょうか?」
五分が過ぎて多治見が再開を宣言するかのように言った。
「待て、一課が先だ。」と酒田が手を挙げた。
「いいや公安の情報が大事の筈だ。」と能代が追尾する。
多治見は岩本へ視線を向けた。
「警視総監はどうされますか?」
問いに逡巡する岩本をそこに置くと「私は上神宮課長に一任したいと思います。」
唐突に名を呼ばれ、上神宮は戸惑ったが、多治見の視線を受けると、すっとその場で立ち「では酒田課長お願いします。」と指名した。
「我々が掴んでいる情報では、今年三月に国立関西法科大学の法学部を主席で卒業した、善波正道二十三歳が、新しい離是流のリーダーと見ております。」
捜査一課長の酒田は、スマホを見ながら読み上げた。
「善波の出身地は神奈川県秦野市芹沢――。両親は板金加工品の工場を経営しておりましたが、七、八年前に経営が悪化して、負債を抱えたまま自殺しています。その後、善波は叔父夫婦に引き取られ狛江市へ、妹は叔母夫婦に引き取られ杉並区高井戸へそれぞれ養子となっています。また善波は関西へ行く寸前まで、世田谷の私立高校に通いながら、渋谷の飲食店でアルバイトをしておりました。その時に菅谷と関りを思ったと思われます。」
岩本が能代を見る。
「同じです。」と下を向き答える。
「火薬の材料を購入しているようだが、離是流の中で調合などは誰が?」
福島生活安全部部長は酒田へ訊くが「残念ですが、そこまでは把握できておりません」と答え腰を降ろした。
「公安もかね?」と福島が問う。
「はい――。残念ながら同じです」と能代は肩を落とした。
「ところで善波の所在は?」
多治見が確認すると、酒田と能代は合わせた様に首を横に振り「不明です」と答えた。
多治見は「失礼します」と断り席を外し、携帯を取り出し電話をした。
「多治見です。善波の行方は掴めましたか?」
多治見の電話への問い掛けに、一同の視線が注がれた。
「判りました。これからそちらへ行きます。三十分程で合流できると思います。よろしくお願いします。」
「何か掴めたのか?」
通話を終えた多治見に岩本が訊く。
「正確では有りませんが、私と菅谷の弁護士だった白木氏を探しているとの噂が有るようです。私は渋谷中央署と合流します。」
「それは危険だ。罠かも知れん」
福島が止めた。
「白木弁護士を巻き込む事はできませんが、私が囮になり善波か離是流のメンバーを誘い出せれば、早い決着が――」
「日本警察に囮捜査は無い!囮などと。そんな事を許せる訳がなかろう!」
刑事部長の山形が恫喝に近い言い方をした。
「そうだ!お前一人に警察の大儀を任せられるか!」
山形の後を継いで酒田が声を荒げた。
「恐れ入りますが。警察の大儀も大事ですが、離是流の標的には高齢の一般人も含まれております。片意地張って情報の共有すらできない脆弱な上層組織より、市民と共に生活をしている所轄の方が、よっぽど頼りになる。私はそう思います。」
「君の言う事は良く判る。だが私も、囮捜査には賛成できない。」
岩本が静に反対した。
「身辺警護は我々公安の十八番だ。白木弁護士の警護は任せなさい。」公安部長の秋田が能代へ目配せした。能代は頷くと携帯を取り出し、部下へ指示を出した。
「多治見君。君にも付けさせて貰うよ。」
白木への警護の手配が済むと秋田が言った。
「ありがたいのですが、できましたら自分よりも、自分の両親をお願いできませんでしょうか?」
「ご両親まで狙われると?」上神宮が問う。
「私を拉致できないときには、それも有りかと。」
「判った。すぐに警護を付かせる。」
「ありがとうございます。今から実家へ警護の連絡をいたします。」
多治見は立ち上がると、部屋の隅へ行き実家へ電話をしながら、片手で【NAGARE】へメールを送った。
《離是流が君を狙っていると情報を得た。君に公安の警護が付く、暫く『葬』から退いて欲しい。》
《承知いたしました。携帯を廃棄いたします。》
暫くして【JITTE】と【TEGATA】そして仕置組全員へ【NAGARE】から一斉メールが入った。
《【SABAKI】から一時身を退くように言われました。暫く離脱します。携帯も廃棄いたします。》
その直後、『葬』の携帯から【NAGARE】のコードネームが消えた。
「捜査は一課に任せて貰えまいか。勿論、渋谷中央署を主体にする。」
山形が譲歩して提案をした。酒田は異論を顔に出しながらも、山形の意向には背けず「頼みます!」と全員へ頭を下げた。
「異論は無かろう。」
岩本が多治見を見る。
「勿論です。」
多治見は最敬礼をして礼を言った。
「それでは多治見行くわよ」
上神宮に促され多治見が出口へ向いた。
「くれぐれも無茶はしないように。」
「はっ。」直立不動の姿勢で岩本に向き、敬礼をすると多治見と多部居巡査部長を共にして出て行った。
「酒田君。君も急いだ方が良い。」
「はっ。すぐに向かいます。」と立ち上がり山形へ敬礼をした。
「では私も渋谷中央署に詰めます」
能代も酒田の後を追って出て行った。
「結局、多治見にしてやられましたね。」
福島が岩本を見て言う。
「新宿南署時代、多治見の上司の萩本がな、多治見に敬語を使っていたらしい。」残った三部長へ岩本が言う。
「耳にした事があります。階級も歳も下の部下に、敬語など使うな。と厳しく指導したのですが『自分に多治見は使い切れません。いっそ私が部下になりたいです』などと泣きながら訴えられました。」
福島が萩本の顔を思い出しながら言った。
「上司に持てば頼もしいが、部下にするには骨が折れる――か。」
「酒田も能代君も、上神宮君に救われたのですよ。」
「秋田部長も、その噂有りきで、多治見を福島部長へ渡したのだろう?」岩本が意地悪な目をして訊く。
「ご推察の通りで。」秋田と山形が合わせて福島へ頭を下げた。
桜田門から渋谷までなら、覆面パトカーよりも電車の方が遥かに早い。多治見達は地下鉄の改札へ急いだ。永田町で半蔵門線に乗り換え、渋谷へ向かう。本庁を出てから二十分程で渋谷駅のハチ公前に着いた。渋谷中央署へ向かう途中、多治見の携帯のバイブレータが電話を知らせた。
「はい多治見です」と先を急ぎながら相手を見ずに出る。
「初めまして。私、善波と言います。」
思わぬ相手からの電話で、携帯のモニターを見る。公衆電話の表記が見えた。
「何の用だ?」立ち止まり静かに問う。
「奥さんとお嬢さんをお預かりしております。」
「何をふざけた事を」
「お二人とも、菅谷に殺されたのは存じておりますよ。でもね、それでも預かる事はできるのですよ。勿論、私の言う通りにしていただければ、お二人は無事にお返しします。」
二人が眠る墓が頭に浮かんだ
「確認したい」
「どうぞ。十分後に電話します。では後ほど」
電話が切れるとすぐに寺へ電話をした。住職は「墓を見に行って折り返し電話をする」と言って一度切った。
待っている時間で、上神宮と多部居へ「善波からです」と告げ、「先に渋谷中央署へ言ってください。私の携帯のGPSを追い駆けるように手配をお願いします。」
「多治見一人では危険よ。総監も囮は駄目だと――」
「家内と娘の骨壷を盗まれたようです。」
「なんてことを――」
「何かを聞きだすつもりだと思います。だからすぐに私を殺す事はしません。時間を稼ぎますので、その間に善波達の隠れ家を探し当ててください。」
その時電話が掛かってきた。多治見は「お願いします!」と二人へ言うと電話に出た。
「多治見さん。大変申し訳ない。」と謝り「まさか墓荒しなどが有るとは思ってもいなかった。」と和尚は続けた。
「では――」
「本当に申し訳ない。お二人の御骨が盗まれております。」
多治見は愕然とし怒りを露わにした。
善波からの電話は、約束通り十分後に掛かってきた。
「案内しろ」電話に出るなり言う。
「では宇田川町のファミリレスまでご足労いただけますか?」
「ファミレス?」
「そうです。そこからだと十分も掛からないでしょう。お待ちしています。」
多治見は『葬』の携帯で『奉行』へメールをした。
《善波から電話有り。宇田川町のファミレスへ行きます》
多治見がファミレスの前まで来ると、再び携帯に電話が掛かってきた。
「着いたようですね。入口の脇にスマホを置いてあります。この携帯と交換してください。個人の携帯も一緒に置いてください。ではスマホへ電話をします。」
話しを聞きながら言われた所を調べると、スマホが置いてあり、すでにバイブレータが振動している。表示には『善波』の文字が見えた。多治見は『葬』の携帯を、折って壊すと潅木の茂みの奥へ捨てた。
「交換した。どうする?」
「目の前に停まっているタクシーに乗ってください。」
見ると店の前に、一台の個人タクシーがハザードを点けて停まっている。
「善波と言えばここまで来るようになっています。余計な動きはしない事。勿論、運転手に訊くのも違反です。その場でタクシーごと爆破します。」
「用心深いな」
「当然ですよ。腕利きの刑事を拉致するのです。用心して当たり前ですよ。」
「光栄――。と思わないといけないのかな?」
「無駄口は不要です。そろそろ乗って貰えますか?もうじき白木弁護士もこちらに見えるかと思いますので。」
「白木弁護士?」
「えぇそうですよ。白木弁護士は、馬鹿な連中と同じ方法で拉致できると思っておりませんでしたが、駐車場で携帯メールをしていて、隙だらけでしたので、意外と楽に済みました。」
多治見は瞬時に、時間的に先程やり取りした時だと判断した。自分の失敗を責めた。
「彼は菅谷を弁護した。菅谷の味方だろう」
「いいえ。そうとは限りません。菅谷の仇を見付けるまでは、関係者全員が容疑者ですよ。勿論、貴方も含んでですが。ではお待ちしております。」
(感の良い奴だな)
多治見はタクシーの窓ガラスを叩いて『善波だ』と告げると、運転手は黙って頷きドアを開けた。
乗り込むと車内を確認する。助手席のヘッドレストの上と運転席のサンバイザーにCCDカメラが付いているのが見えた。多治見は無言で腕を組み、目を閉じた。
タクシーは多治見が乗り込むと無言で動き出した。井の頭通りを代々木公園交番の十字路で左に折れ、富ヶ谷、代々木上原駅を過ぎると大山の交差点を笹塚方面へ曲がった。
住宅街に入るとタクシーは停まり、年配の運転手が左手で緑の多い屋敷を指した。
「着いたようですね。そのままお入りください。」
善波がスマホを使い指示を出す。多治見は屋敷の門扉を開けて、玄関へ向かった。玄関に差し掛かった時、大通りの方から爆音がした。
昇る黒煙が気になり戻りかける多治見へ「気にせず入ってください。白木弁護士も先程到着しました。」と無感情に言った。
「乗ってきたタクシーじゃないのか?」
「ご安心ください。今のは白木弁護士を乗せて来た方です。因みに多治見さんが乗って来たタクシーは、もっと後に爆破する予定です。」
「運転手は無関係だろ」
「年寄りも標的だと、再三伝えているではないですか。それを今更――」
「近くに若者がいて、事故に巻き込まれているかもしれない。」
「それも通達済みです。どうぞ中へ」
凍るような冷たい言い方だった。多治見は込み上げる怒りを抑え、善波の指示に従った。