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SABAKI 第三部 継送  作者: 吉幸 晶
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悪夢


       悪夢



 多治見は自宅の玄関先で、動物園の熊の様にうろうろと、いったり来たりを繰り返していた。

「まだかな?」じれて家の中へ声を掛ける。

「もう少しよ。静かに待っててよ!」

 奈美が大きな声で返す。

「始発に乗るんじゃ無かったの?」

 多治見が腕時計を見ながら催促した。

「女性はね。お父さんと違って、出掛けるのに色々と手間が掛かるのよ。」

 奈美が抗議的に言う。多治見は仕方なく、玄関先の石段に腰を降ろし、「五時に出るって言ったよな」と、五時十八分を指している腕時計を見ながらぼやいた。


「お待たせしました。」

 美佐江の声に多治見が振り向く。

「どう?素敵でしょ!」

 薄いピンク地に黄色と若葉色で、薄目の赤い小さな花柄がプリントされたワンピースに、細目の紺のデニム。腕にはムートン系のハーフコートを持ち、コートと同系色のブーツを履いた、美佐江と奈美が立っていた。

「あぁ。」多治見は声を無くした。

「待っていた甲斐が有るでしょ!」とクルっと一回りして見せた。

「素敵だ。良く似合っているよ」

 美佐江を見て、驚きから解放されて絶賛した。

「もう一度。プロポーズしたくなった?」

「――」照れて頭を掻く。

「お父さんったら、お母さんばかり見て。私は見てくれないの?」

 慌てて奈美を見る。しかし奈美の姿が見えない。

「何処だい?」

「ここに居るじゃない。」

 奈美の返事は聞こえる。しかし肝心な姿は見えない。

「何処?判らないよ。」

 振り向くと、美佐江が微笑みながら多治見を見ていた。

「美佐江。奈美は何処?」問いに答えずに微笑み続ける。

「こっちよ。台所。」

「えー。何でまだそんな所に居るの?」

 多治見が迎えに家に入り、台所の引き戸を開けた。

 しかしそこに奈美の姿はない。テーブルの上には、まな板が置かれ、その周りには玉ねぎやジャガイモとにんじんが、小口切りにされてざるの中に入って置かれている。

 ガス台には鍋があり、中には出来たてのホワイトソースが湯気を立てていた。

「奈美?」多治見は声を掛けるが返事は無い。

「美佐江。奈美が見当らないよ。」振り向き言う。

 多治見の目に、美佐江を抱え込む男が移った。

「この人、俺を笑ったんだ。」

 男は美佐江にナイフを突きつけて非難した。

「ばかな。美佐江を放せ!」

「良いよ。殺したら放してやる。」

 そう言うと、ナイフが美佐江の首を切り付けた。血しぶきが上がった。

「貴様!」多治見が吼えた。

 その場に倒れた美佐江を、多治見は慌てて急ぎ抱き起こした。

「何て事を!美佐江!美佐江!」

 多治見の嘆きが台所にこだます。

「お父さん!」

 奈美の声がする方へ向く。男は奈美にもナイフを突きつけていた。

「放せ!今直ぐ娘を放せ!」

「遅いよ。」

 男が答えると奈美の胸にナイフが刺さった。買ったばかりのワンピースに血が滲んだ。

「貴様!」

「俺は貴様って名じゃ無い。菅谷て言うんだ。覚えておけよ」

 多治見は血だらけの美佐江と奈美を抱き寄せ、絶望的な声を上げた。

「ははは。面白い。刑事でも泣くんだな」

「貴様!」

「だから貴様じゃないって。俺の名は――」


「菅谷!」

 大声と共に起き上がった。

「……」

 ベッドの横にいた上神宮は、突然の大声に驚き、うとうとしていた浅い眠りから目覚め、椅子から落ちかけた。  

 ベッドの上では、今まで見た事も無い憤怒の形相をした多治見が、荒い息をしながら正面を睨んでいた。

「た……」上神宮はその恐ろしさで次の言葉が出なかった。

 多治見の大声を聞き付け、当直の看護師がやって来たが、ベッド上の多治見を見ると、上神宮同様に、尻込んでその場に立ちすくんだ。

 ぜえぜえと荒い息遣いの中で、多治見は段々と落ち着きを取り戻し始めた。大きく深呼吸をしてゆっくりと吐き出す。二度三度と繰り返すと呼吸は通常に戻った。俯いたまま目を閉じ、「落ち着け」と自分へ言い聞かせているかのように、何度か静かに頷くと平静を取り戻した。

「多治見?」恐る恐る上神宮が声を掛ける。

 ゆっくりと呼ばれた方へ顔を向けるが、焦点が定まらないのか、右手で顔を覆う。

「気が付かれましたか?」と今度は看護師が声を掛けた。

「はい。迷惑を掛けた様で――」

「今、先生を呼んで来ますので」そう言い残し病室を出て行った。

「多治見?」再び声を掛ける。

 手を取り虚ろな視線を向けた。

「何が有ったの?」

 視線は上神宮へ向けられているが、多治見の瞳は小刻みに動いている。

「とても――。本当に心配したのよ。」

「ここは?」

「警察病院。警視総監から電話を貰って、飛んできたの。」

「警察病院……。警視総監――」

 多治見は頭を両手で抱えた。

「無理しなくて良いから。」

 その時、医者と看護師がやってきた。

「多治見さん?ご気分は如何ですか?」医者が訊く。

「頭痛が……。酷く」

 多治見が答えると医者はベッドの横へ来て、ペンライトを出すと多治見を診始めた。

「痛むのは頭だけですか?」

「はい。」と答え顔を歪めた。

「君、血圧と心拍数を取って置くように。それと朝一番にCTの予約をしてください。」

 看護師が返事をした。

「少し良いですか?」

 心配顔でいる上神宮へ声を掛けて、廊下へ出るよう促した。

「では鎮痛剤と睡眠薬を出します。それを飲んで今日の所はぐっすり寝てください。」

 多治見へ言うと、看護師と上神宮を従えて出て行った。


「先生。どうでしょうか?」看護師が薬局へ行くのを見送って上神宮が訊いた。

「詳しくは明日のCT検査に寄りますが、先日の怪我とは関係無いと思えます。何か強いショックを受けた。と言った感じがしました。」

「強いショックですか?」

「はい。入院中には見られなかった、精神的ダメージが見受けられます。」

「そうですか?」

「何か心当たりでも?」

「えぇ。少し……」

「良いですか、いくら警察官――。本庁の刑事だと言っても、人間なのですよ。あのような重体明けで、いきなり通常勤務は――。」

「判っていたつもりです。ですから一番動かずに――。安静にいられる勤務に就けた積りでいました。」

 上神宮は自分を責めた。

 医者にもそれが判ったのか「この時期で難しいと思いますが。お二人とも、少し休まれた方が良いかと思います。」

 そう言うと医者は医局へ戻って行った。


 病室に戻ると、多治見が私服に着替えようとしていた。

「ちょっと!何しているの!」本気で叱責した。

「警視総監を護らなければなりません。」

 多治見は上神宮を見る事無く、着替えを優先させる。

「多治見。貴方は気を失って。さっきここに入院したの!判る!」

 上神宮が多治見から服を無理やり取り上げた。

「しかし――」

「今の多治見では。正直、足手まとい!頭を冷やし、身体が元に戻るまで休む事が、今の――。貴方がしなければならない事。私は警視総監よりも。貴方の方が大事なのよ!」

 上神宮から思いも寄らない言葉が口を吐いた。それでも多治見は、着替える手を止めない。上神宮は多治見の背に(すが)り、後ろから抱きしめて「お願い……」と涙した。

「課長。私は警察官です。今の私の任務は、警視総監をお護りする事です。それに自分には妻と娘がおります。」

「そんなの判っているわよ。奥さんやお嬢さんとの間に、割って入れない事なんて。初めから――。貴方が所轄にいた頃から。いいえ。私が警察に入った時から。」

 多治見の動きが止まった。

「あれは警察庁へ入庁して半年ほど経ったときだった。」

 上神宮は当時を思い出しながら語り始めた。

「所轄の。生活安全課の横の繋がりが良いと聞いて、芝署の会議の時に見学へ行ったの。そこで貴方を見て、貴方の声を――。考え方を聞いた。会議が終った時には、もう貴方の教えの全てが、私の理想となっていた。いいえ。多治見翔一――という。貴方に魅かれていた。」

 衝撃的な告白だった。しかし多治見は表情を変える事無く「残念です。課長とは上手くやれると思っていましたが、その様な感情を持っていられては、仕事に支障をきたします。」と冷淡な口調で言った。

「わかっているわ。このテロが収まったら、転属願いを出す。多治見が警察を辞めろと言うなら、辞表だって構わない。だからお願い。責めて今日はここで休んでいて。私、一人でも警視総監の護衛に付くから。」

 上神宮は多治見の背中に本心を晒した。

「多治見さん――」

 そこへ運悪く、看護師が薬を持ってやって来た。

 上神宮は慌てて離れ「どうしても任務に付くと言って聞かないから――」誤魔化す言葉を重ねた。

 看護師は信じたのか、信じていないのか定かではなかったが、「多治見さん。安静にしていてください!任務だなんて無謀過ぎますよ。」と上神宮と共に、ベッドへ強制的に多治見を戻した。

「出掛けようとするのでしたら、先生にお願いして、麻酔を掛けて貰いますから!早くこの鎮痛剤と睡眠薬を飲んでください。」

 半分叱責しながら、無理やり薬を飲ませた。

「三十分もすれば、睡眠薬が効いてきますので、そうすれば今日のお昼頃迄は寝ていると思います。」

「わかりました。ありがとうございます。」

 上神宮は看護師へ小声で礼を言った。

「多治見さん。ちょくちょくと見回りをしますので、逃げる事はできませんよ。念の為、私服と靴はナースステーションでお預かりします。」

 看護師は上神宮が手にしていた上着を預かり、他の服と靴を持って病室のドアの所まで行くと、「念の為、眠りに付くまでは、見張っていてください。」と上神宮へ告げた。


「多治見が眠ったら、警視総監の護衛に行きます。付き添いも病院へ頼み、私はもうここへは来ないわ。」

 ベッド脇の椅子に座り、両手で顔を覆いながら言った。

「自分が本庁へ転属された時、課長は自分を毛嫌いしていたと思いました。」

「逆よ。私は昔から意思表示が下手で――、きっとこの男勝りの性格が邪魔をするのね。好きな人を苛めてしまう。だから未だに一人も付き合った人がいないのよ。」

 多治見の手をじっと見つめて話しを続けた。

「多治見がね。私の部下で本庁に来ると知った時、正直戸惑った。どう接すれば良いのか。普通にしていると、貴方の顔を見る事ができない。だから強がって――。結局、今までと同じ。冷たく厳しく当って嫌われて。だからすぐに諦められると高をくくった。だけど貴方は私を避けるどころか、真正面から向き合ってくれた。」

 上神宮の手が伸びた。しかし多治見の手の近くで停まった。

「正味僅か半月ほどだったけど、とても充実していたわ。生まれて初めて、お洒落に――。多分、貴方は気が付いていないと思うけど、洋服や化粧。香水まで――。女になれた。貴方といると、心がときめいたわ。不謹慎だけど仕事が楽しかった。一緒にいると一日がとても短くて。帰りには時計が止まれば良いと思うのに。自宅に着くと、早く時間が進まないかと焦がれていたわ。」

 多治見の目が虚ろになって行くのが判った。

「ごめんなさい。私の恋は、ここを出たら終る。」

 切ない気持ちは多治見にも伝わっていた。しかし多治見はそれには答えることはなかった。

「課長。公安と一課は、すでに犯人グループに目星を付けています」

「公安と一課が?」

「はい。渋谷を根城にしていた離是流というグループです。」

「離是流って、多治見の――」

「そうです。リーダーの菅谷は殺害されましたが、残党に新たなリーダーを迎え入れたのではないかと……」

 睡魔が急に襲ってきた。記憶が薄らぐ中、多治見は掴んだ情報を、全て上神宮へ伝えようと睡魔と闘った。

「奴等は火薬その物ではなく、材料を個別に……買い漁って……」

「判った。ありがとう。警視総監へ必ず伝える。だからもう寝て頂戴。」

「課長……。一人で護衛は無理です。今日だけでも……自分の代わりを付けてください。総監も課長も……。どちらも自分には大事な……」

 少しずつ眠気が強くなって来るのを感じた。最後の方は睡魔に負けて言葉にならなかった。

「ありがとう。そうするわ。だから安心して休んで。」

 そっと多治見の手を握って答えた。


 上神宮の手が離れ、気配が意識と共に遠退く。


 微かな意識の中で多治見は思った。事件後、今まで一度もあんな夢を見た事は無かった。それなのに、どうして見たのか理解できなかった。

 美佐江と奈美に会えたのは嬉しいが、二人が殺される所など、金輪際見たく無い。


 もうあの夢を見たくない。眠る事が恐ろしいと思いつつも、多治見は夢の待つ所へと落ちていった。




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