因縁
因縁
上神宮との夕飯を済ませてから、多治見は一人で津田沼へ向かった。
病み上がりで本調子では無いが、気になった事をほっとける性質では無い。特に警察の仲間――。新宿南署の連中や所轄の生活安全課の面々など。つい最近まで共に働いてきた仲間と、やっと全員の名前と顔を覚えたばかりの、六名の部下を含め全国の警察官から、犠牲が出る前に、少しでも早く『倒幕の志士』の狙いや『志士』の正体を知りたかった。
津田沼駅から【ABURI】の店までぶらぶらと歩く。建物に入り『燻し銀』の扉の前に立った。看板の明かりは消えていて、ドアには『閉店』の看板がさがっていた。躊躇していると扉が開いて、【ABURI】が顔を出した。
「いらっしゃいませ」
出迎える【ABURI】に驚いた顔を向ける。
「二人っきりの方が良いと思って、臨時休業したの。遠慮しないで入って。」
【ABURI】は多治見の手を取り、店に招き入れた。
「すまない。僕の為に」
「私の為よ。気にしないで」
多治見は前と同じカウンターの席に座る。
「今コーヒーを淹れるから、ちょっと待って」
【ABURI】が厨房へ消えた。コーヒーの香りが漂ってきた。
「良い香りだ」
「今日はちゃんと飲んでね。」
「勿論」
「睡眠薬入れておくから」
「まさか」
「あら本気かもよ」
【ABURI】がコーヒーを二つ、トレイに乗せて戻ってきた。
「香りも、味もいいね。」
出されたコーヒーを疑いも持たず美味そうに飲んだ。
「何か入れたかも」
「仲間を信じられなければ、命を預ける事はできないさ」
「次は絶対に睡眠薬を入れるわ」
「眠ってはできないだろう?」
「それなりに楽しみ方は有るわよ」
「わかった。次は気を付けるよ。」
【ABURI】が楽しそうに笑った。
「さてと――」ひと段落すると多治見が切り出した。
「自衛隊も警察と同じで、実弾は勿論、銃器も何重にも管理されているの。だから横流しどころか、外へ持ち出す事も容易では無いのよ。」
「やっぱり。そうだよな」
「でもね。長い歴史の中では、空砲と実弾の入れ間違えとか銃器の紛失もあったのは事実みたい。その時は演習場を隈なく探したそうよ。」
「と言う事は、自衛隊からの武器や火薬の調達は無いと見ていいな」
「でもそれじゃ。私を頼ってくれた【SABAKI】に申し訳無いから、別を当ってみたのよ。」
「えっ?」
「こう見えても、武器や弾薬を扱っていたんだもの。調べるルートは持っているわ」
「これは『葬』とは関係が無い。完全に表の――。警察官としての捜査の一環なんだ。」
「そんなこと判っているわよ。例のテロでしょ」
「それでも教えて貰えるのかい?」
「だって。【SABAKI】も。『奉行』も対象なんでしょ。」
「一応は」
「だったら私の為だもの。気にしなくて良いわ」
多治見が真顔になって【ABURI】を見た。
「僕は君の想いには答えられない。」
「私は片思いでも平気。それを承知の上で、この世界に入ったんだもの。それに、いつか別の人が現れるかもしれないじゃない。それまでは【SABAKI】に片思いで充分。」
「すまないな。」
「どうしたの?今日の【SABAKI】は少し変よ。」
暫くの沈黙が有った。
「まだ新宿南署にいた頃――」
多治見が独り言を呟く様にぽつりと言った。
「吉田という部下がいてね。彼は裏方作業を黙々とこなしてくれた。署内で一番信頼していた部下だった。」
多治見は飲み掛けのコーヒーカップを握っている手に、視線を落としながら語った。【ABURI】は黙って聞いている。
「仕事上では事務方の彼に物事を頼むのは、極普通にできた。でも『葬』にはいると、仕事の電話より『葬』でのやり取りの方が増えてね。所謂、私用電話だ。でも彼は黙って見ていない振りを通してくれた。僕は彼のその心を利用して『葬』の連絡に使った」
黙って聞いていた【ABURI】の手が、コーヒーカップを握っている多治見の手に添えられた。
「【SABAKI】は仕置きの時、鬼の様に怖く、神の様に頼れる人だと聞いていたわ。でも本音は優し過ぎるのね。」
多治見の視線は【ABURI】へ向けられた。
「誰も【SABAKI】に騙されているなんて思わないわよ。その吉田さんだって同じだと思う。【SABAKI】の心のどこか片隅にでも、自分の事を思ってくれる優しさに気付いているから、貴方に魅かれるのよ。【SABAKI】が騙しているのが心苦しいと思わなくなったら、恐らく誰も貴方の傍から居なくなるわ。だから気に病む事なんかないのよ。」
「何か、人生相談に来たようだ」多治見が小さく笑った。
「では続けて良いかしら?」
「悪かった。頼むよ。その前に手を――」
「あらやだ。どさくさに紛れて。」
【ABURI】は惜しむかのように、ゆっくりと手を退いた。
「聞いた所に寄るとね。火薬そのものよりも、火薬になる材料などを買い漁っているグループがいるみたいなの。」
「火薬の材料?」
「えぇ。知識人なら、材料を個別に仕入れて調合すれば、無尽蔵に爆発物を作れるわ」
「火薬を直接買うより、足は付き難いか」
「それに、火薬を大量に保有も使用もできる。」
多治見は【ABURI】の目の奥に、火薬を弄ぶ者への怒りを感じた。
「でも既に公安と一課は、そのグループに辿り着いているみたいよ。」
「本当かい?」
「現に聞き込みに来たと言っていたもの。彼等も『叩かれると埃の出る身』よ。護身の為、条件付きで教えたらしいわ」
「それじゃ『奉行』にも報告が上がっているな」
「それは判らないけど、追い駆けるなら一人は駄目よ。」
「勿論。警察組織で動くさ。ところでグループの名前は?」
「離是流って聞いたわ」
多治見は驚いた。息が止まり、両目を見開きカップを握る手には力が篭った。
「元は渋谷のヤンキーの集まりだったけど、リーダー格が渋谷で殺されてからは、敵対グループが残党狩りを始めて、壊滅的だった――みたい。」
【ABURI】が多治見の異変に気がついた。
「どうかした?」
多治見は一点を見つめたまま、呼吸も止まり硬直していた。
「【SABAKI】!」
大声で呼んだが、今の多治見には聞こえない。
多治見の止まっていた呼吸が、いきなり荒く早く始まった。顔には脂汗が浮かんでいる。
「【SABAKI】!どうしたの?」
多治見はそのまま椅子から崩れ落ちそうになった。【ABURI】は慌てて多治見を抱き起こす。
「【SABAKI】どうしちゃったのよ――」
多治見の意識はそのまま飛んだ。
【ABURI】は多治見をボックスに寝かせると、『奉行』へ電話を掛けた。
「珍しいな。どうした?」
低く落ち着いた声が出た。
「ごめんなさい。【ABURI】です。」
「【SABAKI】と会っているはすでは?」
「それが話しをしている途中で、【SABAKI】の様子が急変して――。意識が無くなってしまって。私、どうしたら良いのか」
「どういう症状だ?」
「息が荒くて速い。脂汗を掻いて、体中に力が入ったままで――」
「何を話していた?」
「火薬を集めている離是流というグループがいると」
「まずいな。急ぎ【JITTE】か【NAGARE】に連絡を付ける。近い方をそこへ行かせる。それまで頼む」
「はい。わかりました。」
通話が切れ不通音が聞こえる。
【ABURI】は我に返ると、自衛隊で学んだ応急処置を思い出しながら、多治見の介抱に専念した。
まず多治見のネクタイと上着、靴を脱がせてベルトを緩めた。毛布を掛け、厨房から氷水を調理用のボールに入れ持ってきてタオルを浸ける。冷えたタオルを多治見の額にのせた。
『葬』の携帯が鳴った。
「もしもし?」
「始めまして【NAGARE】です。【SABAKI】が倒れたと?」
「はい。」
「私は先程、羽田から湾岸線に入りそちらへ向かっています。そのまま信頼できる病院へ連れて行きますので、それまで【SABAKI】の事を頼みます。」
「わかった。待っています。」
「ところで、どの様にして倒れたのですか?」
「『お奉行』にも話したけど。火薬を集めているグループの話しをしていたら、息が止まって、急に息が荒くなって――」
「そのグループとは?」
「離是流という――」
「まずいな!」
「『お奉行』も、そのグループの名を言ったら――」
「【ABURI】はニューフェイスで知らないでしょう。離是流は【SABAKI】の奥さんとお嬢さんを殺した犯人がリーダーをしていたグループです。」
「えっ!嘘!私とんでもない事を――」
「でもそれなら、受けた怪我が元では無い様ですから、少しは安心できます。今浦安を過ぎました。じきに行けると思います。」
「判りました。待っています」
電話が切れてから三十分程で、建物の前に白いBMWのセダンが停まった。
「【NAGARE】です。下に着きましたが【SABAKI】の具合は?」
「大分落ち着いてきて。今は眠っているように見えます。降ろしますか?」
「そうですね。一人で大丈夫ですか?」
「ええ。いつもお客様を抱っこして降りているから、問題は無いわ」
「では私はここで待っています。」
【ABURI】は多治見を抱きかかえると、店を出て階段を降り始めた。一階の階段の入口に、小太りな長身の男が立っているのが見えた。相手もそれに気が付き、白いBMWのセダンの後部ドアを開けた。
多治見を後部席へ寝かせ、出て来た【ABURI】と目が合った。
「初対面ですね。【NAGARE】です。今日は助かりました。」
小声で挨拶をした。
「こちらこそ、ニューフェイスがこんなので御免なさい。」
「【SABAKI】が選んだ方です。外見など関係は有りません。」
「ありがとう。」
「では【SABAKI】を警察病院へ連れて行きますので、これで。」
「警察病院?」
「はい。二日前に退院したばかりですが、『お奉行』が手配してくれました。」
「私が軽率な――」【NAGARE】が遮った。
「遅かれ早かれ離是流の名は判明したことでしょう。かえって【ABURI】の所で良かったですよ。」
「ありがとう。殿方は皆さん、優しい方ばかりで安心しました。」
「ではこでれ失礼します。」
【ABURI】は、BMWが曲がって見えなくなっても、暫くそのまま見送り続けた。
その晩遅く。日付が変わった頃、多治見は警察病院に検査の為の再入院となった。送り届けた白木は、弁護士という肩書きで何ら疑われる事は無かったが、病院へ連絡をしてきたのが、警視総監自らだった事で、白木は警視総監との間柄を問われた。
「多治見さんと話しをしていたら、急に具合が悪くなって、多治見さんが『警視総監へ連絡を』と言うもので、多治見さんの携帯をお借りして電話しました。」
その場に居たのが、白木か中道かの違いなので、説明には困りはしなかったが、その質問をしたのが上神宮という多治見の上司だと知り、白木は些か驚いた。
「そうでしたか。では貴方が多治見警部の情報屋ですか?」
「いいえ。私は以前、多治見さんの奥さんとお嬢さんを殺害した、犯人の弁護士をしていました。」
「そうなの?」眉根を寄せて、白木をまじまじと見る。
「はい。私の前に誰かと遭った。と言っておりました。たしかその人から聞いた話しで、私に確かめたい事がある。と電話を貰いました。それで羽田から多治見さんの居る、浦安へ行ってお会いしました。」
「羽田から?」
「今日は大阪の伊丹で仕事が有りまして、羽田に着いた時に、電話を貰ったので」
「そうでしたか。お疲れの所、助かりました。」
上神宮は丁寧に頭を下げてお礼を言った。
「いいえ。急な事で驚きはしましたが。」
「多治見は白木さんへ、何をお聞きするつもりだったのでしょうか?」
「はっきりとは判りませんが」と前置きをして、多治見と白木の繋がりは。菅谷――多治見の妻と娘を殺害した犯人――だけだと告げた。そして「菅谷の事を聞こうとしていたのか。それであの事件を思い出して体調を崩された気がします。」と答えた。
「わかりました。多治見が目を覚ましたら確認します。もしその後で、白木さんにお聞きしなければならないとしたら」
「構いませんよ。こちらへ電話を頂けましたら、審議中や打ち合わせで無ければ、協力は惜しみません。」
白木は上神宮と名刺を交換した。
「助かります。ではその際は宜しく。」
貰った名刺を見ながら、今度は白木が訊いた。
「あの……。」
「何ですか?」
「多治見さんと上神宮さんはどの様なご関係で?」
「先程も説明しましたが?」
「はい。ただの上司と部下ですか?」
「破廉恥な!ただの上司と部下意外には何もありません!」
上神宮は怒って処置室の方へ歩き出した。
「参ったな。彼女は【SABAKI】に惚れている。【TEGATA】が知ったら、ここに乗り込んで来そうだ。」
白木はBMWに乗り込むと『奉行』へ電話を入れた。
「夜分に失礼いたします。」
「いいや。こっちこそ急ですまなかった。」
「先程、警察病院へ送り届けました。一応、様子見での再入院だそうです。」
「そうか――。やはり病み上がりで離是流は、さすがの【SABAKI】にも辛過ぎたか」
「その様です。」
「ご苦労。後はこちらで何とかする。」
「奉行――」
「どうした?」
「上神宮と言う【SABAKI】の上司ですが――」
「彼女がどうかしたか?」
「【SABAKI】に惚れていますよ」
「まさか」
「本当です。これ以上傍に置くのは良くないかと」
「そうか。どうして【SABAKI】ばかりがもてるのか――。」
「そうですね。【TEGATA】は前からとしても、【ZANN】にも何かが芽生えた感がありますし、先程会った【ABURI】も」
「彼には、死んだ奥さんと娘さん意外見えていないのにな。皆が気の毒になる」
「同感です。」
「では離是流の件は『葬』では手を出さないよう。再度、私から連絡する。テロはあくまでも政府主導の元、警察が必ず防ぎ、テロ集団を捕まえてみせる。」
そう言うと電話が切れた。白木はエンジンを掛けると自宅へ向けて動きだした。