刑場
刑場
神奈川県湘南市、県西部に位置し、南側には太平洋の海岸線が続き、北側には丹沢の麓が山々連ねている。湘南という名は、日本の観光地のひとつとしてとても有名である。
春はいたるところに花の名所が有り、多種多様の花の競演が楽しめる。夏は勿論、海水浴が中心に海のレジャーで賑わい。秋は丹沢の山々の紅葉が色鮮やかに映えて美しい。冬は温暖がゆえ、ウインタースポーツは無いものの、自転車やマラソンなどといったスポーツを楽しめる。一年を通して人出の絶えない観光地である。
裁きの日の八月十日は、企業の夏期休暇に入るところも少なく無く、海は休みの初日から盛り上がりを見せて、大いに賑わっていた。
現職の衆議院議員の板戸は、海の家の視察という表向きで、午前中から知り合いの海の家で、サマーベッドをテラスに置いて、生ビールを飲みながら、若い女の水着姿を盗撮していた。
【MEBOSHI】は隣の海の家からパラソルを借りて、目明し組の者と三人で砂浜に陣取り、板戸慶介の、その破廉恥な行為の一部始終を録画していた。
「とんでもないエロじじいですね」
目明し組の紅一点が、吐き捨てる様に言った。
「政治家なんてさ、こんなものじゃないかな。」
「こんなエロが日本を動かしているんですか?」
「政治家みんなって訳では無いだろうけど」
「しかし、多かれ少なかれ――。ってことですよね?」
「あぁ。もう見張るのもうんざりだ。お頭へ連絡して、駅まで退却しよう。」
【MEBOSHI】は報告書を書き【JITTE】へ送った。
《噂のエロじじは齢六十八にして好色も現役で、ビーチの女の子の水着姿を盗撮しながら、生ビールを四杯飲み干しています。五杯目が運ばれて着ましたので、我々は駅まで退却し待機したいのですが》
《ご苦労。しかし慶介の見張りが主務だ。慶介が動くまでその場で待機のこと。》
《承知。》
「鬼!。」【MEBOSHI】がスマホに毒吐く。
「このまま待機ですか?」
エロじじいの面倒はうんざりといった顔を、【MEBOSHI】へ向けた。
「その通り。慶介を見張れとの組頭からの仰せだ」
「ビールでも飲みましょか?」
《じきに【ZANN】がそちらへ向かう。【ZANN】と先手組の邪魔だけは、くれぐれもしないように》
「読まれているな。組頭にはまだ勝てないか」
その頃【JITTE】は、部下を一人連れて、海岸の見える高台にある、板戸良太の自宅を張っていた。
良太の自宅は駅から徒歩十分圏内で、浜辺へも徒歩二十分で出られる。湘南市の高級住宅街の中にあった。
昨夜、良太は友人達と遅くまで酒を飲み、帰宅は午前二時を過ぎていた。こんな時間まで寝ていたのはその所為であろう。雨戸を開けている良太の姿を見て、やっと良太の在宅を確認できた。しかし息子の、高貴の部屋の雨戸は閉ざされたままで、高貴の居所については、この時点でも『在宅?』のままであった。
良太の妻が、良太に轢き殺されて以降、この家には、良太と高貴の二人だけが暮らし、週に何日か、慶介が手配した家政婦がやって来ては、買出しや掃除、洗濯をして帰っていった。その家政婦も昨日来たばかりで、今日は休みになっていた。
「やっとお目覚めの様で――」
【JITTE】が【ABURI】へメールを送る。
《やっとお目覚めです。どうしますか?》
《息子は?》
《まだ寝ているようです》
《それじゃ、【NAGARE】へ連絡するわ。少し待機していて》
《承知》
采配では、高貴が一人になった所を【NAGARE】が拉致し、その後【ABURI】が良太を尋問して、【SABAKI】へ沙汰を問う事になっていた。
《親は目覚めたけど、息子はまだ睡眠中のようです。どうしますか?》
五六は先日の采配の通り、八月十日午後二時に、海老名駅にやって来た。駅前の大型ショッピングモールの中にある、コーヒーショップにやってくると、外のテーブルに多治見が先に来ていて、暑い中、ホットコーヒーを飲んでいた。
「お待たせいたしました。」
挨拶をしながら多治見に近寄った。
「癖でね。早く来て、回りを見て周るのだが、ここは店の塊ばかりで、とても散策には向いていないようだな」
「そうですね。でも少し離れると、国分寺跡とか有ったり、田園風景が続いたりと、意外と静かな所なんですけど」
「そうだったのか。それは残念だった」
「では、コーヒーと何か食べる物を買ってきます。」
「僕のは良いからね」と言われ、改めてテーブルの上を見ると、飲み干したカップが二つあった。
「わかりました。では」
五六は笑みを浮かべ、店内に入っていった。
トレイにアイスコーヒーとホットサンドを載せて戻って来ると、多治見の向えに座った。
五六が一休みすると「時間だ。」と短く言った。
「まず部下の所在と刑場までのアクセス方法を確かめる。」
五六は「御意」と返事をして、スマホを取り出した。
男が入って来た時に対応したアルバイトの少女は、アメリカの軍人かと思い英語で問い掛けたが、返答した低くドスの利いた日本語に、今度は「自衛隊の方ですか?」と訊ね直した。
「近くでゲームをしていた」
男はぶっきら棒にそう答え、「コーヒーを」と注文を言って、奥の窓際に座った。
迷彩服を纏い、サングラスを掛けた厳つい大男が、海岸を見下ろせる席で、時よりスマホを見ては、操作をして海へ顔を向ける。
そこにオーダーのコーヒーが運ばれて来た。
「これはインスタントか?」とバイトに訊く。
「すみません。家は喫茶店では無いので――」
「そうか――。まぁ良いか」とテーブルに置かれたカップを見ていた。
《今、どこに居る?》
五六から確認メールが届いた。
《板戸家近くの喫茶店らしき店》
《仕置き前に、記憶や遺留品が残る様な、人との接触は御法度です》
《知っているけど、外は暑いし、日焼けするほどのお天気だし、涼しい所に居たっていいじゃない》
《御法度は皆の安全を守る為にある。それを破るのは裏切り行為だ。》
《日焼けしてミイラになれと言うの?》
《【FUMI】を行かせた。すぐに店を出て、駅へ向かう事》
《承知》
「悪かったな。釣りはいらない。」
大男は、結局カップに触る事無く、千円札をレジに置いて出ていった。
【ABURI】は駅に向かう途中の公園で、【FUMI】の運転する車と合流して後部席に乗り込んだ。
「【ABURI】は目立つので、単独行動は控えてください」
ルームミラー越しに【FUMI】がきつく言った。
「判っているけど、あんただって女なんだから、日焼けするのは嫌なのわかるでしょ!」
「だからと言って、店に入るなんて。有り得ませんよ」
「文句なら、何時までも寝ている下手人に言ってよ」
「まだ咎人で下手人ではありませんよ」
「それは『死罪』か『流罪』かが決まっていないだけで、仕置きは決まっているんだから、下手人じゃないの」
「それはそうですが、刑が決まっていないので――」
「直接『お奉行』に訊くから、もう良いわ」
【ABURI】がスマホを取り出すと、多治見へ電話を掛けた。
「何の用事?」
「板戸達は下手人?それとも咎人?どっちなの?」
「それが判らないと困るのかい?」
多治見が子供を諭すような言い方で問う。
「そんな訳では……」
「君は、前お奉行が最後に選んだメンバーだ。僕達のやっている事を、もっと自覚して仲間と歩調を合わせてくれないか?」
「だって皆して私を――」
「岩本さんや僕にできたように、心を開けられるだろ。」
「――そうね。覚悟して入ったのよね。ごめんなさい。」
「その言葉は【FUMI】へ。では無事を祈っている」
【ABURI】はスマホをしまい、ルームミラーに移る【FUMI】を見た。
「【FUMI】。ごめんなさい。」
「判って貰えれば良いです。私達は、どんな事があっても、仕置き組を守らなければならない。その為には」
「判っている。もう仲間が傷つくのを見るのはゴメンだもの。大丈夫。しっかり仕置きして、自宅まで送って貰うわ」
「良かった。では板戸家へ向かいます」
「承知」
「あの人、モデルかな?」
ビーチにいる先手組の男が訊く。言われて【MEBOSHI】と紅一点が視線の先を見る。
「癪だけど、顔とスタイル。私より上だわ」
白いワンピースにサンダル。白の鍔の拾い帽子を被って、板戸慶介が居る海の家に入っていった。
「一目惚れですか?」
サングラス越しに、熱い視線を感じた男の方が【MEBOSHI】を冷やかした。
「馬鹿な。あれは【ZANN】だよ。【ZANN】が動いた。二人はここで見張れ。何か動いたら、急ぎお頭へ連絡を頼む。僕は近付いて様子を見る。」
【MEBOSHI】は二人へ指示すると、慶介が居る海の家へ向かった。
《【ZANN】が海の家に、一人で入って行きました。誰か訊いていますか?》
急いで五六と【JITTE】、【FUMI】へ一斉送信した。
《このまま海の家に居座られると、仕置きが出来ないので誘き出す。旨を告げ、先手組の者から離れたと連絡は来ています。申し訳ないが、そのまま見張って、【ZANN】の援護をお願いします。》
【JITTE】から指示が届いた。
《こちらの落ち度、申し訳ありません。先程、その報告を聞いて、【ZANN】を探させていました。至急、担当の者を向かわせます。》
【FUMI】からは、謝罪のメールが送られて来た。
《【ABURI】だけでは無く、【ZANN】まで迷惑を掛けて済みません。近くにはいないので、どうしようもありませんが、二人をお願いします。》
《承知》
五六の返信に、【JITTE】、【MEBOSHI】、【FUMI】が応えた。
「この人数だ、見失うと探し出すのに苦労するだろうな」
改めてビーチを見回す。昼を過ぎた頃から気温の上昇と共に、ビーチにいる人の数が倍倍に増えて、今では芋洗い状態であった。




