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SABAKI 第三部 継送  作者: 吉幸 晶
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ヒーローの最後


       ヒーローの最後



 その女子高校生が綾瀬涼子の前に現れたのは、梅雨が明けた七月も終わりに近い頃であった。

 彼女は警視庁という場所に恐れも持たず、正面入口から堂々と入って来ると、迷わず涼子の前に立ち一礼をして「私は三宿女子高等学校二年の桜坂(さくらざか)(しおり)と申します。」と自己紹介を始め、戸惑う涼子達を物怖じせずに続けた。

「私は将来、警察官になるのが夢です。警察官と申しましても、できましたら科学捜査研究所か、または鑑識を希望します。」そう言うと鞄から本を出して「化学は得意ですが、昨年の試験問題集を見ますと、判らない所が多いのが実情です。そこで塾へ通うなどよりも、最も効率的な事と思いこちらに伺いました。お願いします。問題集で判らないところだけで結構ですので、ご教授いただけませんでしょうか。」

 涼子と今日の相棒の清川聖子は面食らって、結局、栞の話しを最後まで聞いていた。


「三女と言ったら超優秀な子達の学校よね?」

 我に戻った清川が栞に聞くと、栞はニコリと笑って「はい。」と答える。

「そんな子がどうして――。と言うより、三女って理科系じゃないわよね。」

「はい。」また、栞が明るく返事をする。

「それなのに化学が得意って?」

「私、科学部の部長をやっています。」

「部長?」

「はい。」笑顔の耐えない女の子だった。

「科捜研は最低でも大学を出ていないと無理よ。」

 やっと我に戻った涼子が言う。

「そうなんですか?」

「そうよ。」

 そこに上神宮が受付の前を通り過ぎた。

「課長!上神宮課長!」

 上神宮に気付き急いで涼子が呼び止めた。

「ん?」と呼ばれて振り返ると、「あの。済みません。この子が――」栞に手を向け「警察に入りたいと……」

「あら。若いのに、しっかりしていて良いんじゃない?」

 行き過ぎたが踵を返して戻りながら答えた。

「でも。科捜研か鑑識が良いと――」

 栞が上神宮へペコリと頭を下げて疑問を口にした。

「あの……。」

「あぁ。こちらは総務課の課長で上神宮警視正よ。」

「えっ。本当ですか!ひょっとしてキャリア――ですか?」

「えぇまぁ。」と上神宮が満更でも無さそうな顔で答える。

「私。上神宮課長と一緒に働きたいです。」

「科捜研は?」

「やめます。キャリアになって、上神宮課長の下で働きたいです!」

「そんな。簡単に夢を諦めては駄目よ。」

「いいえ。私――。テレビのドラマで科捜研に憧れていただけです。でも。今日。若くて美人でキャリア。確固たる夢を見付けました。」

 栞の褒め言葉と、将来へ対する信念を見出して、上神宮も上機嫌になった。

「どうすれば上神宮課長の下に入れるのですか?」

 栞の真剣なまなざしに「まずキャリアを目指すなら――」と上神宮が答え始めた。

「国家公務員採用試験――俗に言う国家試験一種に合格して、警察庁に入る必要があるわ。」

「難しいですよね?」

「それはそうね。簡単にはなれないわ。」

「まず、どうすれば良いのでしょうか?」

「大学に行くこと。それも国立ね。」

 東京大学法学部卒業の上神宮は、簡単そうに答えた。

 栞が「東大ですね。」とメモ帳に書く。

「そうね。」

「わかりました。担任の先生も『経済学部であれば、頑張れば無理では無い』とおっしゃってくださいました。まだ。充分間に合います。」

「そう。貴方、優秀なのね。私――。そういう子好きよ。」

「ありがとうございます!」

 栞は深々と頭を下げて礼を言った。

「でも。警察の問題集も有ります。今からやっていないと不安で――。大学受験も身が入らないかも――」

「警察の問題集?」

「これです」栞が差し出す。

「こんなの大学に入ってから――、試験間近で充分よ」

「私の性格上、そうはいかないのです。不安要素は早目に片付けないと、進めない性分なので」

 今までの元気で溌剌な栞とは変わり、少し甘えて上神宮を上目遣いで見つめた。

「わかったわ。貴方――」涼子を見て「綾瀬巡査長。暇な時にこの子に教えて上げなさい。」

「暇な時って――」

 涼子が眉根を寄せて上神宮を見やった。

「毎日ではないわ。週に二、三日。そうね。午後五時以降で一時間程度なら、都合着くわよね。」

 上神宮にピンポイントで聞かれたが、まさかデートが有るなどとは言えずに、渋々「はい」と返事をした。


 以前上神宮の頼みを、デートだと断った女性警察官が、翌月には異例の人事異動で、青梅署の配属になってからは、警視庁の女性の間では、上神宮へ彼氏の話しと、デートの話しはタブーとされていた。


「決まりね。えーと」栞を見ながら言いかける。

「三宿女子高等学校二年の桜坂栞と申します」とタイミング良く答える。

「栞ちゃんね」

「はい!」

「綾瀬巡査長。良いわね。将来の女性キャリアの為に。」

「はい!」と敬礼をして答えた。

「では私は出掛けるので、失礼。」

 そう言うと、革靴の(かかと)を鳴らしながら外へ出て行った。


「綾瀬先輩!来週からお願いいたします!」

 栞は元気良く涼子の敬礼を真似た。

「しょうがないね」と清川が、上神宮へ了承した涼子が悪いと言わんばかりに呟いた。


 翌週の月水金の五時半から六時半までと約束をして、栞は帰って言った。


 約束通り、週が変わった月曜日の午後五時に、栞は涼子を訪ねて現れると、受付の横にある長椅子に座り、問題集を出して判らないところを涼子に聞いて、書き込んでは次の問題に入る。を繰り返した。


 三日目の金曜日の三時半頃だった。早目に来た栞は、一人でいつもの長椅子で勉強していると、上神宮が来るのに気が付いた。声を掛けようとしたが、隣にいる多治見を見ると黙ってやり過ごした。

「多治見悪いわね。参事官から」そう言って携帯を振って見せた。

「では外で待っています。」

 多治見は一言告げて先に出口へ向かった。その時一瞬、栞の視線と交差すると、栞は急いで多治見から、上神宮へと視線を向けた。


「あの女の子は?」

 多治見は栞が気になり、入口で立哨している者に聞いた。

「今週の月曜日から来ていますね。」

「何しに?」

「警察官になるのだと言いまして――。上神宮課長に憧れて、キャリアを目指して勉強しに」

「勉強?高校生でキャリアの?」

「はい。受付の綾瀬さんの所へ、今日で三回目ですかね。今は夏休みなので、今日はいつもよりは早目に来ています。あそこの長椅子が、彼女の指定席のようです。」

 多治見は険しい目を、待ち合わせ用の長椅子に座っている、栞の背中へ向けた。

(どこかで会っている気がする。)

 多治見の目は、庁舎の外から栞を注視していた。


「うわ。警視総監だ。」涼子が今日の相棒の大野聡子へ囁いた。

「そう言えば申し送りに有ったわね。」

「何事ですか?」栞がその声を聞き問う。

「庁内報があってね、この前のテロに関った、上層部の方々の写真をそれに載せるの。その撮影をこのエントランスホールでするのよ」

「本当ですか?」栞が興味津々に訊く。

「警視総監の隣が刑事部長の山形警視長で、その隣が酒田一課長と鶴岡二課長よ。」

「お偉いさんばかりですね。」

「緊張するわ」

 涼子の手足は小刻みに震えていた。

「上神宮課長のお隣の方は?」

「福島生活安全部長よ。」

「上神宮課長の上司の方ですか?」

「そうよ――。駄目。もう息が詰まりそう。早く行ってくれないかしら」と涼子が言う。

「何てついて無いのかしら」と聡子もぼやいた。しかし栞は鞄を持つと、その集団へ歩み寄った。


 受付のカウンターから振り向いた栞を見て「そうだあの目だ!」

 多治見は善波と初めて有った時に見た、奥二重だが大きな目に茶色味かかった瞳を思い出した。

「まずい!」栞の正体に気付いた多治見が、大声を上げて庁内に戻る。


「あら栞ちゃん。勉強?」上神宮が栞を見付け訊いた。

「はい。でも今日で終わりです。」

「えっ?どう言う事?」

 上神宮の問いには答えずに、栞は酒田の前に歩み出て、笑顔で挨拶をした。

「酒田一課長ですよね」

「そうだが?」

「私は桜坂栞と言います。善波正道の妹です。」

「善波……だと?」

 酒田の顔が引き攣った。

「兄が大変お世話になりました。今日はそのお礼に伺いました。」

 栞は満面の笑みを浮かべ酒田を見た。


(善波!妹を止めてくれ!)

 多治見は走りながら願った。

「止めなさい!そんな事で――」とエントランスホールに入るなり叫んだ。が、その叫びは、栞を含む一団には届かなかった。

 栞は一度振り向き多治見を見て、すぐに酒田に向き直し、鞄に手を入れた瞬間だった。

 閃光が走り疾風がホールを駆け抜け、地響きの様な重低音が少し遅れて体を揺さぶった。続いて黒い煙幕が渦を巻いて、勢いよく広がると、悲鳴や助けを請う声が上がり、警視庁のエントランスホールは地獄絵図を模写した様な、言葉に表せない惨状と化した。


 多治見は爆風でうしろに飛ばされた。その僅か前には、警視総監で寺社奉行の岩本と上司の上神宮が視界に居た。

 その風景は、まるで記念写真かの様に、鮮明に多治見の脳裏に焼きついた。


 栞が居た場所を基点に、半径十数メートル程に被害は及んだ。まず五メートル内にいた者は、爆弾の中に有った金属片が貫通して、身体はずたずたに千切れ、誰の物かの判別さえ難しい有り様であった。その円外に居た人も、金属片が打ち込まれたり、爆風で飛ばされたりして、大怪我を負っていた。

 一面、まさに血の海となり、その海の中に、遺体や体の一部が点在して島の様に浮かんでいるように見えた。警視庁始まって以来の惨劇であった。


「課長!上神宮課長!」

 多治見は起き上がると一番に大声で呼んだ。しかし多治見の視野に入った物は、上神宮が着ていた服が、体の部位と一緒に散らばった物だった。

「警視総監!総監!」と今度は岩本を呼ぶ。しかし上神宮と同じで、最後に見た場所には、肉片は残っているが、人の形は完全に失っていた。

 多治見は両膝を落とし、両手を床に着けると、「うぉおー」と声にならない大きな呻きを上げた。


 爆音を聞き付け、庁内の警察官がエントランスホールに集まって来たが、負傷したエントランスホール内の、人々の鳴き声と呻き声が交じり、血と火薬の臭いで鼻腔を刺激され噎せ、飛び散った体の部位を目の当りにして、殆どがその場で立ち尽くした。

「救急車だ!早く救急車を呼べ!」と大声で多治見が指示を出す。我に戻った者が、慌てて非常ベルを押して、携帯を取り出し救急車を呼んだ。


 涼子も十メートルの圏内に聡子と居たが、運良くカウンターが盾となり軽症で済んだ。しかし一面に散らばった肉片と血飛沫を見て失神した。警務部は急ぎ定点カメラとホールに居合わせた生存者から、死傷者の人数と名前の把握に当った。


 マスコミも前代未聞の警視庁へのテロに対し、どこの局も挙って桜田門に押し寄せた。警視庁は庁舎に面している、国道一号線と二十号線を封鎖して、規制線を張りマスコミの進入を阻止し、外からの撮影までも規制した。

 規制は場所だけに留まらず、警察官は元より、職員やその家族にまで緘口令を出し、詳細を口にする事を封じた。が、人の口に戸を立てることは出来ず、翌日の遅刷りの朝刊には、犯人は女子高校生で先週から警視庁に来ていたと暴かれ、昼の報道番組では、その女子高校生が、先日SITに射殺された善波正道の妹と報じた。

 それと平行して、爆死した警察関係者の名前が公表された。


警視総監 岩本剛基警視総監

刑事部部長 山形正太郎警視長

生活安全部部長 福島忠順警視長

捜査一課課長 酒田誉警視正

捜査二課課長 鶴岡忠行警視正

生活安全総務課課長 上神宮優代警視正

捜査一課係長 吉田新警部 

捜査二課係長 中野太一警部


以上の八名の役職者と、他に一般人が三名、写真撮影担当と庁内報担当の、警察官二名を含めた計十四名が亡くなり、その他重軽症者を合わせて三十二名の大惨事であった。




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