西へ -2-
-2-
トーイはあっさりと言った。
「スパン、俺たちも一緒に西へ行くよ。 “エヴァと生まれてくる子供に奇跡起こさせたい”という想い。俺もその奇跡を起こしたいんだ。」
トーイはエヴァの手をとると、
「いいかい、エヴァ」
と聞いた。エヴァは泣き笑いをしながら、頷いていた。なんどもなんども。
スパンは広場-この場所は、この前まで子供たちが元気に走り回り、母親たちは他愛ないおしゃべり、夕方になるとあちらこちらの家から夕餉のいい匂いがしていた-の真ん中に立ち大声で叫ぶ。
「みんなー集まってくれー。」
そう叫びながら、頼むみんな顔をみせてくれ…と願う。今は、どれだけの人が生きているのだろう。そんな不安を打ち消すようにもう一度叫んだ。
「スパンだ。みんな集まってくれ。」
「ああ…」
と低い声。
「いま、そっちへ行く」
「ラルだ。よかった生きている。」
ラルは今32歳だという。赤い砂がでた当初、幼い息子のルイを背負って遠い町からサマーズに避難してきて、そのまま住み着いた。
顔をだしたのはラルだけだった。しばらく待ってみたが、他には誰も出てこなかった。スパンは勤めて、知らん振りをした。
「僕たちは街をでる。西へ行くことにしたんだ。トーイとエヴァも一緒に。“きみ”もこないか。」
(あえて“きみ”と)
ラルは黙って横を向いている。その瞳は、何も見ていないように感じた。光の消えた瞳。
「実は、エヴァが妊娠した。生まれてくる子供とエヴァに奇跡を起こさせたい。この町からでて、その奇跡をみつけたい…」
ラルは瞳を見開くと、驚いたようにエヴァをみた。そして、エヴァの下腹部をしげしげと眺めていた。スパンたちは、じっとラルの言葉を待った。ラルはスパンたちに向き合い、すっぽりと頭を覆っている帽子をゆっくりと脱いだ。スパンたちは、おもわず息を吸い込んだ。吸い込んだ息を吐くことができないでいた。ラルはスパンたちに右の耳のあたりを見せながら言った。
「耳が砂になってしまった。」
おもわずスパンはその耳にふれてしまった。ざらっとした砂の感触がする。ラルは皮肉な笑いを浮かべて言った。
「ルイは4日まえから砂になり始めている。多分、明日か、明後日かには完全に砂になってしまうだろう。少しづつ、でも確実に…」
ラルはうつむいて地面の赤と白の混じった砂を、強く踏みにじった。苦しい沈黙が続く。
「最初は、耳が砂になったんだ。どんなに水を飲ましても、赤い砂が吸い取ってしまう。沢山、ほんとに沢山の水を飲ませたんだ。ラルの全身にかけてもみた。でも、でも…君らもしってるよな。
あっという間に赤い砂に吸収されてしまうんだ。ヨシやダンの家からも、水をもらってきてルイの体の浴びせたんだ。でも、ラルの細く白い指が真っ赤な砂になって、そして、そして、俺にパパと抱きついてくれた腕も砂になって、一緒に海岸を走った足も砂になって…みんな、なにもかも」
ラルはうつむいたまま砂を強く踏みつける。
「ルイが言うんだ。『パパ、僕は全然怖くないし苦しくもないよ。もうすぐママに会える。パパも僕がいってしまったあと、きっと来てくれるよね。』って、そうルイが言うんだ。だから、スパン。俺は君たちとはいけない。ルイのそばにいて、ルイが逝ってしまうのを見送らないと。俺がルイの後を追うのはそう先じゃないし。」
そう言うと、ラルはゆがんだ笑いを浮かべた。
「エヴァ。君の奇跡を信じるよ。生きるものすべて、星自体の命さえもが尽きようとしている。そんなときに、新しい命が、そこに…君の体に宿った。それ自体が奇跡だよ。失ってしまった未来が、まだそこにあって、君らに、あきらめるなと、ささやいているようだ。」
そういうと、ラルはエヴァを抱きしめそっとその頬にキスをすると、トーイ、イブ、スパンの顔を一人一人じっと見つめた。
「おきまりに言葉だが、“グッドラック”幸運を祈ってるよ。俺とルイの分も奇跡を見つけてくれ。」
そう言うと、スパンたちに背を向け、ラルはとぼとぼとルイの待つ家へと戻っていた。
赤い砂を、もっと赤く染めるように西に太陽が沈む。
スパンたちはラルが見えなくなるまで見送っていた。ラルが道を曲がるときに背を向けたまま、軽く右手を振ってくれた。その瞬間彼の指が砂になって風に飛ばされたように見えた。もう二度と彼に会うことはないだろう。
夜明けとともにスパンたちは出発した。スパンたちは、ラルに別れを告げなかったし、ラルも姿を見せなかった。
町の外は荒陵とした荒野だった。
少し前では、深い緑の森があり、その森を迂回するように道路が走っていた。今は枯葉をつけた枯れた木立が目立ち、地を覆っていた背の低い植物は枯れてかさかさになって地にはいつくばっている。その上をうっすらと赤い砂がおおっている。
道路を静かに、荷物とスパンたちを載せた小型トラックは、サマーズの町から荒野を北西へと進んだ。
荷台で揺られながら、イブが言った。
「今日は空が青いわね」
「ああ」
「風、ないわね」
「ああ」
「静よね」
「ああ」
「さっきから、『ああ』ばっかりね」
「ああ」
イブはあきらめたように、つかの間の青空に視線をもどした。久しぶりに見る青い空のような気がした。最後にこんなに青い空を見たのはいつだっただろう。記憶の中を探ってみて、思い出したのはずっと昔にみた深い蒼空だった。
(そうね、こんな色が蒼のわけ、ないわ)イブは静に目を閉じた。
スパンは以前この道を通った時のことを思い出していた。赤い砂がでる前だった。学術調査をしようと西の国への旅券をとり、西行きのバスに揺られながらこの道を走った。その時の気持ちは、楽しく、うきうきしていた。目にうつる深緑は目にしみるようだったし、時折、森からひょこっと顔をだす、野生のコリンがスパンが乗ったバスをものめずらしそうに見送っていた。森と反対側には、遠くに海がちらちらと見え隠れしていた。天気のいい日だったな。一人旅の楽しさと、目的地への期待から気持ちが浮き足立って、自然と鼻歌が出てしまっていた。その鼻歌にあわせて、後ろの席の老夫人が綺麗な声で歌ってくれたっけ。それがきっかけで、車内で言葉を交わした。西に住むお孫さんに会いにいくのだと言っていた。あの老婦人はどうしているだろうか。
そこまで思いを馳せて、スパンは胸の中に急に苦い思いが広がるのを感じた。あのときの旅は楽しかった。目的地に向かって期待と希望があった。今、同じ目的地に向かって入るが、心がひりひりする感覚がある。目的地に期待はあるのか。自分が何を求めているのか判らないままだった。
ふと思いついて、口にしてしまった言葉が、いま、スパンの心をひりひりとさせていた。
旅は、行った先がたとえ期待はずれだったとしても、帰るところがあれば“期待に胸弾ませ”の言葉どおりにそれは楽しい期待であり、楽しみであった。が、この旅は目的地はあれど、そこに期待はなく、また、期待はずれであっても、戻れる場所もないのだ。ましてや、確信があったわけでなく、やりきれない思いに追い立てられうかのように、サマーズの町を出てしまった。
スパンは、無責任にも似た、思いつきのような気持ちでみんなを連れてきてしまったことを、後悔していた。なぜ、一人で旅たとうと思わなかったのだろうか。後悔と責任の重さに心はひりひりと痛む。
道路はまだ赤い砂がそれほど多くなく、他の障害物もなく、嘘のように順調に小型トラックは北西に向かって進んでいった。妊娠中のエヴァの身体を思って途中なんどか休憩をとった。
「ヤナギ渓谷までは、あと1日くらいかな。」
トーイが水を飲みながら聞いた。
「それぐらいかな。あそこには渓谷を渡る橋がある。そこを越えると西の国だ。」
「西の国は今どうなってるんだろう」
「さあな」
スパンは喉まででかかった言葉を飲み込んだ。みんなが望むようなものはないかもしれない。スパンは道路の赤い砂をけった。
「トーイ。すまないな」
「なにが?」
「ん、車の運転、任せっぱなしで」
「いいさ。スパンが運転できないのは百も承知さ」
「僕も練習くらいしておけばよかったよ」
「しかたないさ。スパンは機械とか苦手だからな」
「ははは。」
スパンは照れくさそうに頭をかいた。
機械いじりがにがてて、運転すらできない。もう少し自分が器用だったらなと、やはりここでも後悔していた。
夜になると寒さは半端じゃなかった。予想はしていたがこんない寒いとは。ちらりとスパンの脳裏に後悔がかすめた。
家の中いれば、冷たい空気は遮断できたが、野外ではそうはいかない。イブが念のためと余分に毛布をもってきていたがそれでも寒さは身に染みた。イヴとエヴァを小型トラックの運転席で休ませ、スパンたちは荷台に隙間を作って眠った。
トーイの静かな寝息が聞こえる。その寝息に混じって、遠くから、近くからサラサラと砂の動く音。
スパンは強く眼をつぶる。
コニータ。僕は君のいうとおり、最後まで生き抜くよ。後悔ばかりはもうイヤなんだ。おもわず思いついたままを口にしてしまったけど、サマーズの町を出てきてよかったと思いたい。今度だけは後悔したくない。いや、後悔は許されない。
思わず拳に力が入った。この先どうなるかわからず、不安で心が壊れてしましそうだった。スパンは、コニータの温もりを思い出そうとしていた。
(コニータ、僕を励まして。勇気づけて。)
「コニータ…」
そっとつぶやく。
眼をあけるとそこにコニータがいるような気がした。真っ暗な闇の中で、きらきらと星が輝いている。
空気が凍えて、星が激しく瞬いていた。この星空のどこかに、人類はいるのだろうか。スパンたちの祖先が旅立ったという故郷の星があるのだろうか。
空の星は、冷たく瞬いていた。
翌日、日が暮れたところに、ヤナギ渓谷についた。
目の前に目的地があるのだが、この暗さでは渓谷に近づくのは危険だった。渓谷には西と東を結ぶ鉄橋がある。鉄橋の入り口には、旅券を確認する事務所と、小さな売店、カフェ、ホテルがあった。夜でも明るく照らされた渓谷は、とても美しかったし、観光客は夜の渓谷の風景を楽しんでいた。
だが今は、真っ暗な闇が渓谷を覆っていた。小型トラックのライトも渓谷までは届かなかった。赤い砂の影響でどうなっているかわからない今、むやみに渓谷に近づくのは危険だった。渓谷から少し離れたところにあるカフェは無事そうだった。
中にはいるとうっすらと砂をかぶったテーブルや椅子などが雑然と置かれていた。
その夜はそこで眠った。トラックよりはずっと暖かで、また、手足を伸ばせて眠れることがうれしかった。
トーイが店の中から、魚の缶詰と紅茶の葉っぱを捜しだしてきた。携帯コンロであたため、食事らしい食事と、温かいお茶はみんなの気持ちをなごませ、笑顔にした。
「まるでキャンプみたいね」
エヴァが嬉しそうにいった。
「そうだね。なにかゲームでもしよう」
スパンが提案し、トーイとスパンが子供のころよく遊んだ言葉遊びのゲームを4人で始めた。久しぶりにみんなで笑った。こんな風に笑うことはもうないと思っていた。スパンは少しだけ自分の選択は間違っていなかったのかもしれないと思った。
翌朝、スパンは夜明けとともに目を覚まし、一人で渓谷を見に外へでた。東の空には、低く、赤い太陽があった。いやに赤く、どろどろとした感じの太陽だった。
スパンをその太陽をしばらく見つめていたが、ゆっくりと渓谷に向かって歩き始めた。カフェの隣に立っている3階建てのホテルの横を廻りこむと、そこに旅券確認の事務所があり、その先が鉄橋だった。ホテルも無事に立っていたし、事務所もあった。鉄橋の入り口もあったが、西側の光景にスパンは目を見張った。
渓谷の西側からは、赤い砂が滝のように流れ落ち、渓谷の底は砂で覆われていた。
鉄橋はかろうじて、渡れそうな感じだったが、それもいつ落ちるか判らないほど、朽ち果てていた。スパンはそっと鉄橋の手すりに触れてみた。ふわっと一部が砂になって風に運ばれて行った。
「だめだ」
スパンの中に暗い失望が沸いた。ふと背後に気配を感じて振り向くと、トーイとイブが立っていた。2人の瞳には絶望の色があった。おそらくスパンも同じ色の目をしているだろう。スパンは思わず2人から視線をはずした。
「このまま、ここに立っていてもしかたない」
スパンの言葉に、イブがはじかれたように飛び上がった。その様子が可笑しくて、思わずトーイが噴出した。
「いや、そんなに驚かなくても…」
「ご、ごめん。急に声をかけらたからびっくりしちゃって」
「すごいジャンプ力だよ」
トーイがからかうように言った。イブは顔を赤らめてトーイのお知りを蹴飛ばしていた。
「とりあえず、朝めしだな」
「そうだな、それからだ。」
「それからって?」
「次の目的地だよ」
そういって、スパンがイブの肩をやさしく叩いた。
エヴァが言った。
「マーリス山は立ち入り禁止区域ではなかったかしら?」
朝食の時に、スパンはマーリス山の東側から西の国へ入ろうと提案していた。マーリス山は遠い昔、先祖の飛行船が着陸した地であり、また、西の国の所有となっていた。西の国の政府機関の重要な拠点があるらしく、東の国の人間はもちろん、西の一般人も入れないようになっていた。
トーイが微笑みながら、エヴァの肩に手をおいた。
「もう、いまさら誰も“禁止”なんて硬いことは言わないよ。」
「そうね。でもスパン、東側からマーリス山に入れるの?」
「ああ。一度いったことがあるんだ」




