西へ -4-
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サマーズの町で砂に怯えながらスパンとコニータと暮らしていた。それでもその頃はサマーズには、まだだいぶ人がいたし、食料や水の配給もちゃんとあった。砂に怯えながらも、
政府がなんとかしてくれるのでは?
突然砂が無害になることもあるのでは?
と根拠のない期待を持つだけの気持ちの余裕があった。ある日、コニータが小さな悲鳴をあげ、スパンにしがみついてきた。ひどく怯えている。
「どうしたの?コニータ?」
コニータはその大きな瞳でスパンを見つめた。そして、長い髪をそっとかきあげた。右の耳がなくなっていた。スパンは思わずコニータの右耳があったあたりを手で包んだ。
(耳が、耳が。)
「コニータ…」
スパンは、呆然として、言葉が続かなかった。コニータは目に涙をためていった。
「本を読んでたの。そうしたら、本の上に赤い砂が降ってきて。どこから降ってきたのか判らなかった。しばらく砂を眺めていたんだけど、ふと、耳を触ったら、耳が…」
コニータの声は震えていた。恐怖がその顔色を青白く染めていた。スパンは恐怖で喉が貼りついたようになって、声がでなかった。その恐怖からコニータを強く抱きしめただけだった。
コニータがいなくなるその日まで、スパンはコニータに寄り添い片時もはなれようとはしなかった。暗い顔をして、ずっと彼女の胸に顔をうずめ、小さな鼓動を聞いていた。小さくかすかな鼓動。砂になり始めてから、鼓動は小さくなり、温もりも冷めていった。時々コニータの鼓動が止まる瞬間がある。
スパンは怖かった。彼女が消えてしまうのがたまらなく怖かった。ただ、胸の鼓動を聞くしかできない自分の非力さを呪い、置いていかれる恐怖を思って震えていた。小さなか弱い動物のように。
姿をみせないスパンを心配したトーイが訪ねてきた。そのころには、コニータは足と腕の一部が砂になっていた。もうスパンを抱きしめることはなかった。
それでもコニータはスパンをみつめては、微笑んでいた。その微笑みは恐怖で凍りついた心を癒し、そして、恐ろしい悲しみももたらした。トーイはコニータの姿をみて、スパンの肩を強く揺さぶった。
「しっかりしろ!スパン。いったい何をしてるんだ?」
トーイの姿をみてスパンは弱々しく笑った。コニータは静かに目をつぶったままだった。
「トーイ。コニータが…」
スパンはそれ以上言葉にならなかった。トーイはスパンとコニータの姿を見て、一瞬、頭に血が上ったが、スパンの悲しみの大きさを思うと何もいえなかった。トーイはスパンが好きだった。同じくらい、コニータも好きだった。
初めてトーイにコニータを紹介された時、心になにかが突き刺さったような気がした。スパンの恋人でなければ…と思うときがあったが、それ以上にこの2人には自分が入り込む隙間もないほど、深い心でつながっているように感じていた。コニータに愛されているスパンをうらやましく思いながら、また、この2人が永遠に幸せであることを強く望んでもいた。
トーイは、スパンの気持ちを推し量ってみた。その悲しみは自分の心の中のいろいろなものを集めても、それ以上のような気がした。結局トーイはスパンの横に座り込み、肩に手を置くのがやっとだった。どれくらい2人でそうしていたのだろう。眠っていたコニータが、ふっと目を開けた。トーイの顔をみると弱々しく笑い、ささやくように言った。
「スパン。少しのあいだでいいのトーイと2人で話をしたいの」
スパンは少し驚き、コニータの側を離れるのを嫌がったが、結局彼女の願いを拒みつづけることはできなかった。ほんの少しのあいだ、コニータはトーイと何かを話していたが、トーイはかすかにうなずき、そっとコニータの額にふれ、立ち上がった。
3人で楽しく過ごした時間がトーイ、スパン、コニータの間に、まるでスクリーンに映る映画のコマのように、瞬の間、映った。3人は同時に瞬きをした。
それからまもなくコニータは砂になった。
最後の瞬間、コニータは弱々しく微笑むと、残った腕をさしだしスパンを抱きしめようとした。スパンはコニータの腕をそっと握りしめる。白く細く長い指があったあたりにキスをする。
「コニータ、大丈夫。大丈夫だよ。」
スパンは何度も何度も繰り返した。「大丈夫」という言葉はすでに意味をもたない。ただおまじないのように繰り返し、繰り返しつぶやいた。
「スパン。もう消えるときがきたみたい。」
コニータはかすかに笑った。
スパンは震えが止まらなかった。
「大丈夫よ。スパン。大丈夫よ」
今度はコニータが繰り返しささやいた。
「私自分が消えるのが怖いのじゃない。あなたに会えないのが哀しい。」
「僕もだ。コニータ。君がいなくなった世界で僕は…生きていけないよ」
「スパン。私の最後のお願い聞いて。」
「最後なんて言うな」
コニータは微笑み、首を横にふる。コニータを見つめるスパンの目は恐怖で怯えていただろう。反対にコニータは涼しげな優しい眼をしてスパンを見つめている。
「砂になるといろいろなことが見えてくるみたい。苦痛とかそういうものが全然なくて、恐怖もないわ。ただ、あなたにあえなくなることが哀しい。だからスパン私の最後のお願い。あなたは、最後まで生きて。何があっても、どんなことがあっても。
最後の最後まで、その瞬間まであきらめないで。お願い。スパン。生きるのをあきらめないで…」
スパンはコニータを抱きしめた。コニータの体のどこかが砂になった。サラサラと乾いた音を立てている。
「スパン生きて。最後まで、生きて。」
コニータはもう一度そうつぶやくと、表情が凍りついた。
スパンはコニータを抱きしめたまま。何度も繰り返しコニータにささやいた。
「絶対にあきらめないよ。君の分まで、あきらめない。絶対に君の分も生きる。だから…だからお願いだ。砂にならないで。消えないで。お願いだ。誰か…誰か…お願いだから、助けて。」
スパンの涙がコニータの頬に落ち、シミを作ったが、そのシミはすぐにコニータの皮膚に吸収されていった。スパンはただ、コニータの頭を両手で抱きしめた祈るように繰り返し、繰り返し「消えないで」と呟いていた。
スパンの腕の中でコニータがサラサラと音を立てて崩れてゆく。小さくて可愛い唇も、形のいい鼻も、大きな瞳も、美しいオレンジ色の髪も。スパンの手には、かけらさえも残さず、コニータは砂になった。
(ねえ、コニータ。僕は約束した。絶対あきらめないって。だけど、挫けそうだよ。本当にみんなを連れて町をでてよかったのか…。コニータ。答えをくれ。僕に答えをくれ…ないか。)
ぼんやりとそんな思いを抱きながら歩いていると、コニータが両手を広げて微笑んで立っていた。
「コニータ…!」
スパンは、駆け寄ろうとした。強い腕がスパンの肩を掴む。
「スパン。どうした!。スパン?」
トーイだった。しだいにスパンの意識ははっきりしていく。
(ああ、そうか僕は…。)
「いや、ごめん大丈夫だよ。夢を?見ていたらしい」
「スパン…急に走りだしてビックリしたわ」
「夢って…歩きながら眠ってたの?」
トーイが笑って、スパンの肩を強く掴んだ。
「スパンはね、器用なんだ。」
「ときどきね。」
「やだ、スパンったらぁ」
イブもエヴァも笑っていた。トーイの目は笑っていなかった。




