九月
シータス・ミアロートの物語
大学一年・九月
初めて転生したとき、つまり二回目の生を受けたときだが、そのときの記憶すら曖昧だ。
父と母は生きていたのだろうか? 叔母は四十歳前後で時を止めていたが。
そうだ、生きているわけはない。
一度目の生は五十年。
そのときには、父母とも戦乱の中でその命を散らしている。
では、私が二度目の生を受けたとき、父母も転生していたのか? そもそも転生していたとして、それを両親と呼ぶべきなのだろうか。
転生するたびに残る記憶。転生先で何度も繰り返し視てきた化け物に怯える両親と兄弟姉妹と友人たち。何故か隣にある木製の箱。巨大な鎌に変化するカリンバという民族楽器。それを父親と呼ぶ私。
コレは本当に私のものなのか。
私の記憶は本物か。
それとも気が狂っているだけなのか。
私が父親と言って語りかけるこの箱は、実は、ただの変哲もない箱なのではないだろうか。転生の記憶も父親と呼ぶこの箱も、すべては現実世界に適合できない私の妄想でしかないのではないだろうか。
答えはきっと導き出されることはないのだろう。
「ということで悩んでんの。」
重たい告白、
のつもりだったのに。
「え? べつにどっちだっていいんじゃないですか?」
私は二つ年下の少女の言葉にあっけに取られた。
ポカーン。
擬音にしたらそんな音が聞こえるのだと思う。
「悩んでるシータさんにはツラいかも知んないけど、その友達のヘスさんは今のシータさんを信じてんでしょ?
あたしも、モノ識りなヒトだなとか、オトナっぽいヒトだなとかしか思いませんよ。」
あっけらかんと季節限定のラ・フランスソフトクリームにかぶり付く少女は、こないだ知り合ったばかりの和神フィース・ラホブ神殿の神官ピェシータ・ウェイテラ。大学の友人コーノスの妹だ。
「いや、まぁ、そうなんだけどさぁ…」
相手のプライベートを引き出すには、自分の過去をそれなりに晒さなければならない。何かしらの傷をもっているニンゲンには、自分の傷も晒そうという気になる。
もちろん、お互いの信頼は必須だ。
だからこその、私なりの話術のつもりだったのに。
「もしもシータさんがバケモノで、あたしのことを頭からかぶりつくためにここにいるんだとしても、あたしの命の恩人には違わないでしょ?
あたしはそれで一日生き延びたんだもん。
で、こうやって今もおしゃべりできてるじゃないですか。それって、スゴいことだと思いませんか?
あたし、あれだけコワイ目にあっても、まだ生きてるんですよ。」
マシンガントークとはこういうのを表現する単語だ。いろんな意味で、この娘はすごい。
「それに、正直、あたしの想像の域を越えちゃってます。
前世のキオク? じゃないや、転生前のキオクが残ってるなんて、どう想像すりゃいいんスか。あたしなんて昨日の晩ゴハンすら覚えてないですよ。
ついでに訊いてもいいですか?
ダレかムカシのヒトに話して転生一つ前のキオクをすり合わせたり、パパさんの声をどうにかダレかに聞かせたりしたんですか? そうすれば、シータさんの話のウラ取れません?
あ、べつに疑ってるわけじゃないんです。ただ、そんなにフアンなら、証明しちゃえばいいのかな、なんて考えちゃっただけで。
ゴメンなさい。いらぬお世話ですよね。」
そうね、窓の外の並木道を眺めながら、そう呟くのがやっと。
完全に相手のペース。正直私は悔しさで歯噛みした。
ホントは自分の話をエサに、和神殿と生命神殿のかかわりやら過去やらの情報を引き出そうと目論んでいたのだが、相手のほうが上手だった。
お手上げ。この娘には小細工は効かない。
と、勝手に駆け引き相手に仕立て上げ、勝手に負けを認めてしまった。
もちろん、彼女はそんなことおかまいなしだけど。
「で、あたしはナニをお話しましょうか?
なんか一気にしゃべったらノド渇いたです。なんか頼みましょ。」
ペシタはそう言ってカモミールティを注文した。私もアイスミルクティを頼んだ。
いや、まだまだ、先は長い。落ち着かなければ。
「あたしはその辺にいる女子高生だから、なんにもネタがないし…お兄ちゃんのこと?
あ、もしかしてお兄ちゃんのコトがスキとか。
だったらダメですよ。お兄ちゃんには意中のヒトがいるんですから。あのヒト、一途だからシータさんにはなびきません。
時間をかけてでもオトしたいって言うなら…でも、やっぱりダメです。あたし、お兄ちゃんに応援するってセンゲンしちゃったんで。」
「その話にも興味あるけど、今日は違うこと訊いておくわ。
あのね、ペシタかコナって、何か楽器できないかしら?」
マシンガントークを無理やりさえぎって、あたしは問うた。
コナが好きなヒトってダレだろ?
ダメだ! それよりも目的を果たさなければ。
「楽器ですか?
だったら、あたしたち、二人とも吹奏楽部ですよ。あたしは打楽器と鍵盤類。
お兄ちゃんは、なんとフルート。」
「げ…マジ…似合わな…」
思わず本音が出てしまった。やるなら逆じゃないの、と心中ツッコんでしまった。
口には出さなかったが、表情には出てたらしい。ペシタがしたり顔であたしを見ていた。
「やっぱ、そう思いますよね。
でも、うまいんですよ。ウチの神殿でも定期的に演奏会が開かれちゃうんですから。しかも、ソロで。
ときどきあたしと隣のテナ神殿のルビ先輩が混ざるときもありますけど。
あ、ルビ先輩は夏に会いましたよね。あの悪魔男爵と一緒に暮らしている変わり者です。」
悪魔男爵とか変わり者とか言いたい放題だなこの娘は。
とは言え、その評価はやっぱり正しいし、矢継ぎ早にしゃべり続ける割に会話の内容にムリやムダがない。
ホントすごいな。
「あのさ。だったら神殿に変な楽器ってないかしら。吹奏楽では絶対使わなそうな民族楽器の類なんだけど。
例えばこんなのとか。」
カリンバをテーブルに置いて、私は彼女をじっと見つめた。
首をかしげて、しばし黙り込む。
やっと弾雨がやんだ。
私は一息つくように、ストローでミルクティをすすった。氷がとけて薄くなっていた。
「んと…
だったら太鼓。二つつながったコレくらいの大きさのヤツ。」
ペシタが手で示したのは、彼女の肩幅くらいでテーブルからアゴ下くらいの高さのものだった。
「ボンゴかな、多分。」
名称が出てこないらしい。
私が言っても首を傾げるばかりだった。
「あと、お兄ちゃんはオカリナ持ってる。
そういえば、ルビ先輩も竪琴をもってたなぁ。
なんで?
偶然にしては妙に集まってません?」
勘も鋭い。
カリンバはさておき、ボンゴもオカリナも街の大衆向け楽器店では売っていない。
どこかで情報を得て、目的買いしない限りは手元に届くことはないのだ。
「ルビ先輩の竪琴も結構めずらしいですよ。
吟遊詩人がカッコよく爪弾く、ポロロンってのじゃなく、鹿の頭に弦が張ってあるみたいなヤツなんです。
あ、角は枝分かれしてませんけどね。
みんな、名前がわかんないから、とりあえずハープって言ってましたけど、正式名称は違いますよね。」
「おそらくリラって楽器だと思う。
ホントにマイナー楽器ばかり集まってるわね。ねぇ、どこで買ったか知ってる?」
「お兄ちゃんなら知ってるかもしれませんけど、あたしは気がついたらそれらが部屋に転がってた覚えしかないんですよね。
ごめんなさい。」
ペコリ。頭を下げられた。
「あ、ちょっとだけいいですか?」
そう言って、彼女はテレパスを弄りだす。
群青の空に横向きのヒト。小さな色砂がちりばめられているのは星をあらわしているのかな。白いヒトは地に跪き、空に祈りをささげていた。
吊り下げベルトのついたホットパンツにダボついたカラフルな長T、ムラサキノキャミ、指ごとに色の違うドハデな爪のマニキュア、厚底サンダル。
それらに比べると、あまりにギャップのある神秘的な絵柄だ。
私は漠然とテレパスが、この少女のホントの自分ってのを映しているような気がした。
「すみませんでした。で、あとはなんでしたっけ?」
まったく隙のない笑み。
なんとなく、この辺で切り上げたほうが賢明だろう、と思う。
「じゃあ、最後にもう一つ。」
「なんですかぁ?」
「コナの好きなヒトってダレ? どんなヒト?」
あくびをかみ殺して涙がにじんでいた目が何度も激しく瞬いた。
私はちょっとだけ後悔したが、たぶん訊かないと今晩気になって眠れないから訊いてみたのだ。
「そんな顔しないでよ。狙ってないってば。」
ニヤつくペシタに肩をすくめて溜息をついて見せた。
「教えてあげません。」
彼女はそう告げて、楽しげに去っていった。
その後姿を横目に見ながら、再度大きく溜息をついた。
背後の席からクスクスとこらえた笑いが聞こえる。
ペシン!
振りかえりもせず、肩越しに笑い声の張本人を叩いてやる。
「いやぁ。すごかったねぇ。」
私の後ろに座っていたのはヘスだ。
ウチらの会話を盗み聞きさせていたのだ。
そんな指令を私が出したからなのか、濃紺のスーツにワイシャツを着て、斜めストライプのネクタイまでしめて、しかもメガネもいつものモスグリーンじゃなく、黒ぶちメガネだ。黒の革靴できっちりと固められた足を組んで、難しい顔して新聞呼んでる。ふだん読まないくせに。
あまりのわざとらしさに思わず笑ってしまった。
「あの娘、計算づくかな?」
笑いの原因を問い詰められることもなく、ヘスが訊いてきた。
「どうだろうね。
でも、頭がいいことは確かね。むしろ、全部話して協力してもらったほうが有利かも。」
彼ら兄妹を巻き込みたくないヘスの気持ちもわからないわけではない。
でも、実際のところ、ウチらが何をしているのか黙ったままで聞き取り調査をするのは心苦しい。
「悪党とかどっかコワれたウチらの家族を相手してるほうが楽だわ。」
私がぼやくと、同感、とヘスが苦笑した。
ヘスが飲みかけのコーヒーを片手にこっちのテーブルへと移動してくる。
「先々月だっけ? ルービスさんの竪琴の写真をディルが送ってきたのって。」
「たしか、そう。これだろ?」
ヘスがテレパスの画像を表示して渡してきた。
一つ一つ詳細に見ていくほど違和感を覚える。
ルビはコレをいつから持っているか記憶がない様子だった。今日のペシタも同様だ。
コナにはまだ確認していないが、答えは予測できた。
「この手の楽器を持っていないの、ヘスだけなのよね?」
彼が肯定した。
ルビのリラ、ペシタのボンゴ、二人とはるか昔から持っている私のカリンバ。さらに、ディルサの部屋から買った覚えも、貰った覚えもないマラカスが出てきた。
共通しているのは、楽器を所持したときの記憶がない。
となれば、コナの持っているというオカリナも同様だろう。
「マラカスはもしかしたら僕、所有なのかもしれないけどね。」
そう。ディルが以前住んでいたアパートはある災害で住めなくなった。
今住んでいるところは、ヘスとその父親が住んでいた場所だ。ヘスがこの街へ、父親は王国の辺境にある仕事場へと住まいを移している。
となれば、その可能性は高い。
「もし、私たちとあの兄妹との出会いが必然だとしたら…」
「ダレかが意図的に僕らに楽器を配ったことになるってことになるね。生命神殿の神官長を渦中として。」
二人で考え込んでしまう。
もし、それが真実だとしたら、ダレの何の意図があったんだろう?
「どっかの金持ちの吹奏楽部や音楽志望者への寄付。」
「あんたらみたいな金持ちヴィクセン兄妹へ渡す理由と、使い道に戸惑うようなマイナー楽器を寄付する理由がない。」
「マイナー楽器の普及活動。」
「だったら、広報活動が必要。記憶を弄ってまで所有させる理由がない。」
「本当は親かダレかに買ってもらったのを皆して忘れている。」
「可能性がないこともないけど、そろいにそろって忘れたこと自体を忘れていることに説明がつかなくなる。」
「そろってウソをついてる。本当はどこで買ったのかを知っている。」
「全員がウソをついていることは、多分ないと思う。
ルビとペシタはあっても、私とディル、もしくはヘスが記憶がないことをごまかしても意味がないもの。」
私たちは、可能性を検証して一つずつ潰していった。その結果、何かしらの意図は感じるものの、それが何なのかがわからない。
「そもそもシータの持っているカリンバと、他の四つは同じ類のものとみなしていいのか?」
「そこなのよねぇ。」
私の記憶では、いつからコレを持っているかはわからないけど、転生するたびに持っていた記憶だけはあるのだ。つまり、それだけの過去から存在している代物だ。
対して、残る四つは、少なくとも私の周囲にはなかった。
「過去からあるとすれば、たまたまこの時代に、この街に集まったってことになるよね。」
「でなければ、コレがオリジナルであれらはコピーである。」
「そうなるね。」
ピン、とヘスがカリンバの鉄ベラを弾いた。
変な音、とどっかのテーブルから聞こえてきた。
「シータのパパは? 何も教えてくれないの?」
「それも疑惑の一つ。鎌に変化はするくせに、呼びかけには応じないの。」
私のカリンバには転生する前の一番最初の父親が封じられていた。大鎌はその父が使っていた武器だ。
だから、私は父の記憶と能力を自分に憑依させることによって、自分の倍はあろう大鎌を振るうことができるのだ。
「私は自力では武器を振るうことはできないわ。変化させることすらできない。
だから、パパがこの中にいることは確かなの。」
「でも、会話はできない、と。」
私は黙って肯いた。
それが、父の意図なのか、それとも外部から力を制限されているのかすら、私には判断できなかった。
「私がどれだけパパに依存していたかを思い知ったわ。」
リアルに私の身を守っていた事実だけではない。
パパがこの中にいることが、私の記憶と存在を肯定してくれていたのだ。
その意味では、ペシタへの独白は真実だ。
私は今、揺らいでいた。
「ペシタが、今の私を肯定してくれたからね。本人にその意図があったのかは知らないけど。」
「何千年生きても、自己肯定できないのかぁ。
だとしたら、僕が自分を肯定できるのはいつなんだろうね。」
ヘスの苦笑とぼやきで、私たちは一息ついた。
考えても答えが出そうになかった。トイレに立ったついでに、レジ脇の新聞を持って戻った。
「あいかわらず、テレパスでなく新聞の情報なんだな。」
テレパスでも最近のニュースを知ることはできる。
でも、私はあまりテレパスをそういった使い方をしていない。苦手なのだ。
反対に、普段文字ばっかり見てるヘスは紙媒体のニュースを読むことがない。
ムダにヘスに新聞を手渡した。
やっぱり今日の格好にお似合いのアイテムだな。
それだけ確認して、ポカーンとした顔をしてるヘスから新聞を奪い去った。
「情報は早いけど、信頼性がねぇ。やっぱりプロの言葉じゃないと、私はダメだわ。
プロだから信頼性があるわけじゃないけど、少なくとも自分の言葉に責任はもってるから。」
そういった意味では古いニンゲンなんだと思う。
一面記事をぼんやりと眺めながら、情報を詰め込んだ。
「また、北の山地に竜が出たのか。」
私に話しかけたのだろうか。上目遣いに彼を見ると、視線はテレパスのまま。
「みたいね。
コナに言っておかなきゃ。ペシタがあまり北の山に行かないようにって。
でも、あそこってオミナエシとかリンドウとかけっこう群生しててすごくキレイなのよねぇ。」
あのシスコン兄貴は、私がペシタと知り合ったのを、これ幸いと監視を命じてきた。
それはうすうすペシタも気づいているらしく、言葉の端々に兄に対する拒否が垣間見えた。今日はめずらしく兄のフォローに回っていたが。
「家族っていいわよね。」
私の独り言にヘスが反応する。
「せっかく普通の家族なんだから巻き込みたくないよな。」
同感。
私もヘスも、ディルもあまり家族には恵まれていないから。
「ヘスはディルがいるからいいわよ。
父親は、まぁ、残念なオトナだけどね。」
苦笑するヘス。
彼とディルの母親が違う段階で、コドモには残念なオトナに見えただろう。
「かなぁ?
ディルを家族とは思えないから…なんとも…」
コヤツはいまだ諦めてないのか。
私は心の中でツッコんだ。
「最近さぁ、ディルにテルするとダレかと通話中なんだよなぁ。
さっきメール送ったのに返ってこないし。」
「バァカ。ナニサマのつもりだ。
ったく、あんたのシスコンぶりは、兄の域を越えてるよね。コナを見習え。」
照れるなよぉ。
ぜんぜんいいこと言ってないし。
でも、正直ダレかをそんなに想うことができることは、羨ましい。私にもいつかそういうヒトが出てくるのだろうか。
千年の時を経て、桜が咲かん。
「思い出し笑いは気持ち悪いぞ。」
マジ顔でとがめるヘスに、カリンバを投げつけた。