八月
ピェシータ・ウェイテラの物語
高校二年・八月
あたしはときどき、お墓にこもる。音がないから。
木々のざわめきも鳥の鳴き声も、はるか遠くに聞こえる。
この静寂を求める。
たいていは英雄墓地。
王国建国の立役者や文化功労者、平和に貢献したヒトや他国では悪鬼とおびえられたような軍人たち、国境を越えて奉仕活動をしてきたヒト。
べつに英霊に触れてジブンを奮立たせようとか、そんなことを考えているわけではないんだけど。
あたしの住む和神フィース・ラホブの神殿からもっとも近い墓地が、英雄墓地と呼ばれる広大な敷地をもつココだからだ。
あたしは、とにかく歩くのが好きだ。
というより、他にやりたいことがないから、歩いているとも言えるけど。
まぁ、プラプラしながら、いろんな景色を観て、いろんな言葉を想像するのも好き。
今日も英雄墓地に行こうか。
それとも昨日も行ったから今日は別のトコにしようか。
墓地から南に広がる彼岸花の群生地は、ホントに見事なんだけど、さすがにまだ開花には早すぎるし。
あたしは真っ白なTシャツと膝丈のハーフパンツをはいただけのラフな格好で表に出た。
平日は高校の制服をきっちり着込み、少しスカートのコシをたぐり上げて、ヒザ頭が見えるように長さを調整して、先生にバレないていどに薄く化粧して、片道一時間弱の路を歩く。
休日は、トモダチとの約束があれば、ハヤリの服で着飾ってばっちり化粧をして、アセかくのがイヤだから乗合馬車を待って、片道二十分で街に向かう。
で、今日みたいに約束がない休日は、暑かろうが雨に濡れようがおかまいなしに普段着で散歩に出る。
「ホントに乗合馬車なくなっちゃうのかな。」
テレパスで見た今日のトップページの記事。
タイムリーに目の前を駆けすぎる。
「馬を馬車馬のように走らせるのは動物虐待だ」
なんじゃ、その表現は。
動物愛護団体が言うに、これだけ魔法技術が整った王国で動物を移動手段に使うのはけしからん、ということらしい。
安くて学生には助かるが、たしかに非効率だし〈空間転移〉やら〈疾走〉といった魔法を無機物のハコにぶち込む技術が開発されたのだから、当然の主張なのかもしれない。
学校怪談レベルのネタでは、乗合馬車の馬は〈支配〉〈疾走〉〈回復〉といった薬剤魔法がふんだんに練りこまれたエサを喰わせられている、といった話も聞かれるけど。実際のところは不明。
「でも、一瞬で街までついちゃったら、とちゅうのキレイをぜんぶ見逃すじゃないか。
あの絶妙な速さですぎてく景色が楽しいってのに。」
夏は暑いし、冬は寒い。馬の調子しだいで到着時間もずれるし、天候によってはドタキャンされる。それでも馬車が好きなニンゲンだっているのにさ。
「あっついなぁ。」
左右を見て前を見た。神殿正門前の路は東西と南に伸びていた。
南の道は英雄墓地へと向かい、西は王国管理の大平原へと向かう道。東は生命神テナの神殿前を通って、街へと続くいつもの通学路。
どっちを見ても、逃げ水が地面に浮かび上がっていた。
うんざりするような暑さが、あたしをムシヤキにしそうだ。
それでもあたしは歩きだした。少し迷って、東へ。
理由はヒマワリが一本あたしを手招きしていたから。
ちょっと歩いたら、真正面にテナ神殿が見えてきた。
テナ神殿の桜は数こそ減ったが、いまだに花をつけていた。
あまりに季節ハズレの景色にうすらザムさを覚える。
「やっぱ、あっちいこ…」
独り呟いて、あたしは左に折れた。
北はあまり行かない。
ほとんど歩かぬうちになにもない草っぱらにいきあたるような退屈な路で、途中から山道になって、終着地は北の隣国だという。
しかも、山のてっぺんには竜が住むという伝説がある。
真実は知らない。知ろうとも思わない。
あえて北の理由はここらでなかなか見ることのできない花が見られるから。
今ならヒメサユリ、ユウスゲあたりかな。で、ササユリ、スズランは終わったころかな。
だから、月に一度くらいは、と強行するのだ。
山の麓まで一時間弱のけっこうな距離だが、今日は時間も早いし充分行き来できるはず。
とちゅう、剣と軽めの鎧で武装した男女とすれ違う。
「あいつ、ニンゲンか?」
「どうだろ。私も変な感じがした。」
ちょっとうつむいて、二人をやり過ごしたとき、そんな会話が聞こえてきた。すぐ横で会話がとつぜん途切れたから、あたしの存在を認めたのだろう。
とくに話しかけられることはなかったが、通り過ぎたあとにまた気になる会話が続く。
「教えてあげたほうがいいんじゃないかな?」
「いや、逆に怪しまれるだけだろ。この辺のヒトだろうよ。」
そんな会話。
この周辺に不審者が出たという話は聞いていない。あれば、緊急の公会議が開かれるため、両親がまっさきに教えてくれるはずだ。
あたしは、あの家が嫌いではない。
王国の主教会ではないにせよ、それなりの地位で、上の下ていどの暮らしをしている。父母の中もリョウコウ。ユウシュウな兄がいるから、あたしの立場もプレッシャーがない。
この歳にしては、やや過保護なところがあるが、自由がないわけでもない。
「やっぱりダレか呼び出せばよかったかなぁ。」
独りぼやく。
トモダチもいる。テキドな距離のおつきあい。カレシもいるし。
年がら年中、ダレかがいるから、サビシくない。
だからか…
いまさら気づいた。一人散歩の理由。
今日は疲れたからのんびり散歩と思っていたのだが、いまいちノリきれそうになかった。
熱せられた地面はあいかわらずゆらゆらと蜃気楼のように揺れていた。
遠くに十字路が見えた。あたしはこめかみを流れ落ちた汗を拭きながら、また思案する。
どっちに向かおうか。
「お嬢さんどちらへ?」
十字路にはいつの間にやら、オトコが独り立っていた。
腰くらいの杖に両手を重ね、背筋を伸ばして直立不動で。この暑い夏の昼下がりに、真っ黒なスーツと真っ黒なシルクハットをかぶっていた。真夏の太陽に熱せられた地面を踏みしめてる足元が、蜃気楼のように揺らめいていた。
曖昧にゆらゆらと消えていく気がする。
まるで幽霊のように。
「また、あんたか。」
あたしは思いっきりイヤな顔をした。
生命神殿に住み憑く悪霊。ホントの悪霊かどうかは知らないけど。
さっきすれ違った二人に教えてあげれば、退治してくれんじゃないだろうか。
春のテナ神殿。そのときのキョウフがぶり返してきた。
悪魔と向き合うには精神力がタイセツだ。そう授業で習った。
「それは『四辻の悪魔』のマネ?」
「なんだ、それは。」
ダレもいない、ナニもない十字路にイツのまにやら現れて、
「超絶ギターテクいりませんか」
と尋ねてくる悪魔。もちろん契約すれば魂を奪われる。
「だったら、そこ通して。」
「どこに行く?」
「あんたに関係ないでしょうが。」
背筋を幾多もの芋虫が這いまわる悪寒に必死に耐えながら、あたしはオトコと対峙した。
沈黙が空間を満たした。
ふと気づく。音がない。
ヒバリもセミも鳴いていない。葉ずれの音も草のそよぐ音もしない。ヒマワリがゆらゆらと重そうに頭を揺らしていた。
「そうですね。私には確かに関係がない。
しかし、あなたはルービスの知り合いだ。あなたにとっては関係なくとも、私はそれだけで関わる必要がある。」
「ルビ先輩? なんで?」
確かにテナ神殿に居ついている以上、ルビ先輩と関わることはあるだろう。でも、なぜあたしも?
「あなたは頭がいい。 気づいてるのでしょう?」
「なにを、ですか? あたま、がいい、って…」
ヤバい泣きそうだ。
コワイ。
このオトコはコワイ。
得意のマシンガントークも愛想笑いも通じそうにない。きっと全部あばかれる。あたしは不安定なココロで、ユラユラと視線をめぐらす。
少し遠くにテナ神殿が見えた。
「桜がきれいですね。」
えぇ、不可解なほど。
「でも、今は、ヒマワリが、満開です。」
かろうじてそれだけ言い返した。
夏に狂い咲きする桜を不可解に感じるのが、頭のよさだというのなら、みんな天才だ。だから、あたしは天才なんかじゃない。天才なんかじゃないから、ホントにおねがいだから、ココから解放してください。
あたしは必死に神に祈った。
祈り通じず。
ノドが渇く。
ギラギラと照りつける太陽のせいなのか、オトコが醸しだすサムさのせいなのか、ぜんぜんわかんない。
「あなた、ダレ、なの?」
祈りは通じそうにないので、現実へと戻ってきた。
しかし、搾り出すように口にしたあたしのギモンに、オトコが答えることはなかった。
十字路の北からまたダレかが歩いてきたから。カタに大鎌を担いだ女、いやまだ女の子と呼んでもいいだろう背格好だった。
ピンクの髪と漆黒のゴシックドレス。それから、本人より長く大きな、死神を連想させる鎌。バルーンスリーブにかたどられたブラウスのそで口からのぞく腕なんて、細く真っ白で凶悪な鎌をぶん回す筋力があるのかと疑ってしまうほど。
「なんだ。ずいぶんと今日は客が多いな。」
「ずいぶんと私らにちょっかい出してくるのね。今日の目的は何?」
その女性はツメたい、無感情な口調でオトコに言った。
あたしを見つめ、一瞬フシギそうな顔をした。
しかし、
「そっちこそ何用だ。貴様を招いた覚えはないぞ。どうやってここに入ってきたんだ?」
と問われたから、興味は向こうに移った。ハッと鼻で笑う。
「こんな路の途中に魔法空間があったら、とうぜん立ち寄らせてもらうわよ。
で、こっちの質問に答えてないわよ。」
オトコの表情は変わらない。しかし、動揺しているようにも見えなくもない。
オトコのほうを向いたまま、大鎌を担いだ女性がなにか放った。
あたしがアワててそれを受けとると、それはオレンジジジュース。許可を得る前に一気飲みする。
あたしを差し置いて、この二人はなにを言ってるんだ。
「いいわ。きちんと名乗ってあげる。
そちらのお嬢さんは聞き流してね。ホントはここから脱出したあとに名乗るつもりだったんだけど、このおっさんがそれを許してくんないみたいだから。」
一触即発。
二人の空気がピリピリと痛い。
「私はシータス・ミアロート。死霊術師ミアロート家の直系よ。
あんたがいつからこの世界にいるのか知らないけど、私だって千年単位でこの世界にいるの。
ちなみに、カラトン神大学一年生の女子でもあるわ。そういえば、大学でもお遭いしたわね。
しかも、大学の教員に化けて、何のつもり? こないだは逃げられたけど、今日こそ話してもらうわよ。」
「カラトン神大学一年って、あたしのお兄ちゃんといっしょ?」
ようやくマトモに声が出た。
シータスと名乗った女性が驚いたように、そして納得したようにあたしに言った。
「どおりで見たことあるような気がしたのよね。もしかして、フィース・ラホブ神殿のウェイテラさん?」
あたしはコクコクと何度も肯いた。
にしても兄のトモダチにゴスっ娘?
想像できん。
ツバの直径が彼女の肩幅ほどもある丸高帽の下に浮かんだ笑みは、角度のせいか、言葉と同等の余裕は感じられなかった。
そんな少女を見つめながら謝礼と問いかけを試みた。
「あの、このオトコのヒトってダレなんですか?
あ、ジュースありがとうございました。」
「だってよ。きちんと名乗ったら?
あ、いえ、どういたしまして。」
ヒニクじみた笑みを浮かべながら、少女は横目にオトコを睨んだ。
オトコの貼りついた笑みが崩れることはない。ただ、声質が変わった。
「ごちゃごちゃと五月蝿いオンナどもだ。ここで殺してやろうか…」
声を発したとたん、周囲の空気が凍った。
まただ。
外部的な寒さじゃなく、内臓から凍るようなサムさ。
あたしの膝がカクンと崩れ落ちた。体がガタガタと震えだす。体内の水分をすべて垂れ流すのではないかと思えるくらいに、筋肉が弛緩していた。
「はい! 自分を保つ!」
パンっとかしわ手をうたれた。そして、力強い声に我に返った。
あと少しで、漏らすトコだった。かろうじて涙が垂れただけ。
「ふーん。よく耐えたわね。」
ピンク頭の女性が感心したようにあたしを見下ろしていた。
涙目で彼女を見上げる。ニコリと微笑まれた。
あたしがブジなのを確認したのだろう。再度オトコをにらみつけた。
毅然とした立ち振る舞いがカッコいい。
涙をぬぐった。
「パパ。やるよ。」
「いいのか? ヤツの…」
「余裕がない。」
「了解。」
ダレと会話してんだ? ともう一度見上げた。
ペシンと頭を叩かれた。弛緩したままの体が地面に這いつくばる。
あたしの視界には膝丈の黒革編み上げブーツ。ちっこい足。サイズいくつだろう。
直後、あたしの頭上でブンと何かがうなった。それが横なぎに振られた大鎌だと気づいて、また冷や汗が垂れる。それいじょうに動揺するオトコ。
「まさか…」
「なぁに? 自分の結界が壊されるとは夢にも思わなかったって?
もう少し見る目つけたら。」
再びヒニクたっぷりにシータスさんは笑んでいた。その悪魔じみた笑みを見ると、自分に向けられていたのが微笑だったんだと思い知らされた。
むわりと湿った風がまとわりついた。
せみの声がうるさい。
元の居場所にもどった…らしい。
「ペシタ! どうした?」
西の道から突如兄が登場した。
「あれ? シータと教授…なんで二人がこんなトコに…」
あたしを守るように二人との間に立った。
なんで追ってきたのかは問わない。おそらくあたしが外出したのを見て、両親が派遣したのだろう。
さらに、
「どこで油売ってんのよ!」
東のテナ神殿からルビ先輩が現れた。おかしな組み合わせに、首をかしげていた。
「コナ先輩? ペシタ? と知らないヒト。
どういうこと?」
困ってあたしは全員を順繰りに見渡した。
テキカクな表現が思いつかない。
「コレってあなたのトコで飼ってんの?」
と親指でオトコを指し示しルビ先輩を問い詰める。
シータスさんの悪魔の笑み。ルビ先輩の怯えきった表情。
正直ダレがあたしの味方で、ダレが良いヒトで、ダレが悪いヒトなのか混乱してきた。
強いて言うなら、悪魔に囚われてたのが、ほかの悪魔に奪いとられた感じだ。
それくらい、ワルモノな笑みだった。
「本当に今日は客の多い日だ。」
オトコはとってつけたような笑顔をはりつかせたままルビ先輩のほうへと歩いていった。
そしてそのまま、テナ神殿のほうへと去っていく。
「あら、また自己紹介ナシに去ってったわね。」
シータスさんのつぶやきにわずかに違和感を感じた。
ジブンで結界破ったんじゃなかったっけ?
しゃべらせるならあの状態のほうがよっぽどツゴウがよかったんじゃないだろうか。
しかし、口には出せなかった。
「よくわかんないけど、明日きちんと話してもらっていい?」
あたしにそう言うとルビ先輩もオトコを追っていった。
桜の下のイメージがわきあがってくる。
今さらながらアレがダレだか再認識した。
あたしがルビ先輩にカレシってからかったオトコだけど、アレをカレシ扱いしたのはホント失礼だった。
日常のまま関わっていいオトコではなかったという後悔が押し寄せる。
で、もうひとつ後悔。ってか、グチ。
「あたしのヒメサユリ…」
つぶやいて、ようやく日常を実感する。
兄が訝しげにあたしを見た。ムシした。
「シータ。説明してもらっていいか?」
あまり気にもとめずに質問はゴスっ娘へ。
キビシイ表情で彼女は肯いた。
ツヨくにらむ視線の先には、ヒマワリ畑と季節はずれの夏桜。
アレはナニを吸って生きているんだ。
そんな目だった。