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桜の樹の物語  作者: kim
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六月

コーノス・ウェイテラの物語

大学一年・六月

 

 自分が一目ぼれをするニンゲンだとは思いもしなかった。

 友人として数ヶ月お互いを知って、あらためて愛を告白して、付き合い始める。もちろん結婚が前提で。そういった過程を経て、カレシカノジョという立場になるものだと思っていた。


「それじゃ、友達以上になることないですよ。若いオンナの子の恋愛は、ノリが全てなんだから。」

 と俺より若い女の子に諭された。

「ルビだって、一目ぼれは信じないって言ってたじゃないか。」

「ん~。まぁね。」

 歯切れが悪い。

 学食の外に立つ深緑の桜の樹の下で、男女が入り乱れてはしゃいでいた。花壇の彩り豊かなポピーやパンジーを連想させる。

 俺には縁のない世界だ。


 ルビ。ルービス・テナは生命神テナ神殿の神殿長の娘で、俺の高校のときの吹奏楽部の一つ下の後輩だ。来年、俺らの通う神大学に入学してくるだろう。ウチらの高校は神大学付属高校だから、ある程度の成績を維持できれば、ほぼ持ち上がりで入学できる。

 話が続く。

「で?

 四月に一度逢ったきりの、その一目ぼれした娘を忘れられないと?」

 俺は恥ずかしさを我慢しながらも、素直に頷いた。

「わたしなんかを呼び出してるヒマあったら、その娘を呼び出しましょうよ。」

 白枠に何も映していない黒い画面。テーブルに置かれた長方形の物体を凝視し、ぶんぶんと頭を激しく横にふる。

 それを見たルビが大きな溜息をついた。

「それは理解できました。でも、なんでそれをわたしに相談するのですか?

 わたしだって恋愛初心者なのは先輩だって知ってるでしょう?」

 再び大きく嘆息されて、俺は一層恥ずかしくなる。

「他に、相談できる異性がいない。」

 それでも素直に言った。藁にもすがる思いってのはこういうのを言うのだろう。

「その様子じゃ、大学の一年間をこれまでどおりムダに過ごしちゃいそうですね。

 ってか、妹さんに相談すればいいんでないですか? 恋愛プロフェッショナルって名乗ってましたよ。」

「アイツは規格外。」

「そうですか。大学で女友達ができたってはしゃいでませんでした?」

 あぁ、ムリなんですね。そう言いたげだ。

 正しい。


 高校時代に毎日のように会っていたときは、絵の中のオトコに憧れていたような女子だったのだが、ずいぶんと変わったものだ。

 相手が俺だということを差し引いても、堂々と異性と話ができている。

 真っ白な肌にうっすら化粧をしているのが、鈍感な俺でもわかった。墨を落としたような長い黒髪が軽く見えるのは、おそらく表情の変化のせいだ。それと、草色のワンピースに白いカーディガンという私服が、重たい制服しか見たことない彼女を別人に仕立てているからだろう。

 受験のプレッシャーを少しでも和らげようと、大学見学を兼ねて誘ってみたら、この数ヶ月で大人になっていた。


 俺も何か変わっただろうか。

「なぁ。女の立場から見て、俺はどんな男だ?」

「うわ。答えずらい質問。」

「そ、そうなのか?」

「アタリマエじゃないですか。

 わたしの後輩って立場もあるし、オンナの子が正直にその質問に答えたら、よほど嫌われてるって思ったほうがいいですよ。」

 呆れ口調でそう言われ、俺はさらに落ち込んでしまう。その落胆ぶりが憐れに思ったか、ルビは目線をそらしながら続けた。

「でも、まぁ、一途で正直な男性に惹かれる女性っているはずだから、そのままがんばれ、とだけ言っておきます。」

「わかった。ありがとう。」

 俺は曖昧な笑みを浮かべつつ窓の外を眺めた。


 ふと、教授らしき男性と窓越しに目が合った。どうもウチらの方を見ているような気がした。

 俺の視線を追ったルビがガタリと椅子を倒して、立ち上がった。

「どうした?」

「え? あ、ごめん。なんでもない。多分ヒト違い。」

 彼女のその言葉に違和感を覚えた。彼女が垣間見せた瞳をどこかで見たような気がする。いつ、どこでだ?

 あの教授はこの大学で西部王国史を担当している客人教授だ。

 付属高校でも教鞭をふるっている可能性もないことはないが、基礎授業向きの、いわゆる先生というより研究者だった。

 なぜだろう。講義をとっているはずなのだが記憶が曖昧だ。


 と、うちらの真横で声がした。

「お、コナじゃん。めずらしいな、女連れか。」

 俺の思考はクラスの友人たちの声に遮られた。条件反射のように縮こまったルビを横目に、笑い飛ばす。

「おう。女連れだ。わかってんなら、無粋なマネをするなよ。」

「くくく。ずいぶんと強気だな。」

 そう言って、俺の頭を小突くとそのまま去っていく。俺は苦笑交じりにその後姿を見送った。


「先輩、変わりましたね。」

「そうか?」

「高校時代より堂々としてます。」


 あの手のやり取りは、二ヶ月で慣れた。

 高校時代だったら、俺が本気で怒るか、相手がイジメのネタを見つけたとばかりに俺を攻め立てきたと思う。

 最初の一ヶ月はその思考回路を改められずにさんざんヘスに迷惑をかけたな、そういえば。

「集団に迎合するからだろ。」

 ヘスがそう言って笑い飛ばされたとき、俺の中で何かが変わった。小中高の世界の狭さは、今思えばくだらないものだった。

 小さな家と、それより少しだけ大きいだけの校舎。アレが俺の世界のすべてだった。

「ルビも大学に入れば、きっとわかるよ。世界は自分の周囲にあるだけじゃない。

 それに気づけば、ルビを苦しめている何かもきっと変わる。」

「そんな簡単にいかないと思いますけどね。」

 自嘲気味に笑むルビ。俺が変わったのと同様に彼女も変わった。

 ひどい男性恐怖症だったのに、ある男が去年の冬から生命神殿に居候するようになってからというもの外部への接し方が愛想良くなったのだ。

 それ自体は好ましい変化だ。

 しかし、俺にはそれが仮面に見えた。


 奥底に何かを抱えている。


 昔から彼女を知る俺だからこそ、そう思えるのだ。彼女が何に悩んでいるのか教えて欲しい。

 そこに踏み込む権利は俺にはない。権利があったとしても、どうする事もできないかも知れない。

「それでも…」

 言いかけてやめた。

「それにわたし、別に苦しんでないです。勝手にカワイソウな娘にしないでください。」

「…そうか。俺の思い違いか。だったらいい。」

 確かに俺は変わったのかもしれないな。ここでも思った。

 おそらく高校時代の俺ならしつこいくらいに問い詰めただろう。それがヒトに気を使うことだと信じ込んでいたから。


「なぁ。」

「何ですか?」

 いまだ怒り口調だ。いや、かたくなに自分を守っているようだ。

「甘いもの好きか?」

「え? あ、はい。太るからあまり食べないようにしてますけど。」

 唐突な話題をふられて、あからさまに反応に困っていた。

「ルビはもう少し太ってもいいんじゃないのか?」

「先輩…セクハラ。失礼です。」

「そうか。そんなものか。」

「変わったって言ったの、撤回します。女性に対して失礼なのは全く変化ナシです。

 でも、とつぜんどうしたんですか?」

 俺は苦笑しつつ鞄からサンドイッチを取り出し彼女の前に差し出した。

 目の前に置かれた三角サンドと俺の顔を何度も視線が行き来する。

「ブルーベリーと生クリームのサンドイッチだそうだ。俺も一つ食ったけど、結構うまかったぞ。」

「組み合わせがよくわかんないんですけど…」

「サンドイッチの具材がか?」

 もちろんわざとだ。からかわれたのに気づいたルビが少しむくれている。つくづくヘスの話術に似てきた。

「俺の鞄から、スイーツサンドが出てくるのが意外だろ?」

 予想通り大きく肯かれた。

「クラスの女子だよ。スイーツ作りが趣味なんだと。今日ももらったから、客観的な意見をもらいたいんだと。」

「え? 先輩女の子とおしゃべりできるんですか?」

「驚く箇所はそこか?」

 また大きく肯かれた。大学の女友達に相談しろ、と助言したのはお前だろうが、と心の中だけで文句をつける。

「ホントはペシタに持って帰ろうと思ってたんだけど、ちょうど思い出したからな。

 どうせならルビの意見を聞いて、今日中に伝えてやろうかと思った。」

「うわー、メチャ違和感です。」

 神官たるもの言葉は正しく。なんてツッコんでやろうかと思ったが、一心にかぶりつく様子に黙った。

 メチャ、はペシタ言葉。つまり妹はきちんとルビに関わってくれているのだ。


 食べ終わるのをのんびり待った。

「どうだった?」

「おいしいです。正直、たいして真新しいものでないのにお店で売ってんのより、かなりおいしかったです。

 なんででしょう?」

「作った本人に訊いてみろ。」

 俺の背後のテーブルに座っていた製作者を手招いた。いつもの二人組み。戸惑うルビにニコリと笑いかける。

 今度は俺とその娘を見比べていた。

「あ、とてもおいしかったです。」

 ペコリと頭を下げたルビの両手を取り、スイーツ女子はぶんぶんと上下に振り、

「ありがとー! うれしい!」

 と満面の笑みで今にも抱きつこうかとの勢いで喜びを爆発させていた。

 ますます戸惑うルビを笑うと、彼女もようやく笑った。愛想笑いしかできないルビが心から笑っているように見えた。

「また、迎えに来るよ。こいつ、スイーツの話になると長いから。」

 俺はそう言って、一度席を立つ。


 行き先はダークグレーのストライプスーツのメガネ男と真っ黒なニットワンピースのピンク頭のところ。つまりは、ヘスとシータのいるテーブル。

「グッドジョブ!」

 ヘスが親指を立ててその手を突き出した。シータもそれに習う。

 つられて俺まで、小さい動作ながらも習った。

「すまん。あまり父親のことを訊ける雰囲気ではなかった。」

「んー、まだ半年も経ってないもんね。しかたない。」

 ついでに、と言われたから訊こうとは思ったのだが。

 にしても、この二人はなぜテナ神殿の話に首を突っ込んだんだろう。疑念が浮かぶ。


 ヘスは神官だ。次期神官長。

 光明神の場合は大司教というらしいが、ゆくゆくは六神殿を集める公会議で、他神の神官長と関わることもあるだろう。

 しかし、シータは一般入試で入ってきたと話していた。

 モヤモヤしたものが胸の辺りを陣取っている。

「お前らの暗黙の了解ってやつがあるのは理解しているつもりだ。それを承知で訊くが、なぜルビに関わる?」

 二人が顔を見合わせた。困ったようにヘスが腕組みする。

「やっぱ、気になるよなぁ。」

「正確に言えば、ルービス神官長に用事はないのよ。神殿に住み着いているオトコの情報が欲しいの。」

 言い淀むヘスを差し置いて、シータが小声で言った。

 それにも違和感を感じる。メインで動いているのはヘスではない。やはりシータだ。

「ルビは俺に親戚だと言っていた。

 きちんとした過程を経て公会議に報告をしていないからだが、ゆくゆくは神官長の地位を受け渡したいとも。」

「そうなんだ…それ、いつの話?」

 俺は一瞬答えを躊躇った。

 シータが悪人ではないことは、ここ何ヶ月の付き合いでしかないが納得している。

 ただ、どこまでルビのプライベートを晒していいか迷った。


「シータ。やめておこう。コナが困ってる。」

 ヘスが助け舟を出してくれた。だから、悪い、と素直に謝罪した。

「いいよ。僕らがムリに頼んだことだし。一番近くにいるコナが彼女のことを心配するのわかるから。」

「決してお前らを信用してないわけではないのだが…」

 不満げなシータをなだめるヘスを見て、やはりルビの件も話したほうがいいのかと考える。

 しかし、父親の死というナイーブな話題をほじくり返すのは気が進まない。

「シータ。コナから根掘り葉掘り訊き出したいんなら、ウチらの話も全部しないと、コナだって納得しないよ。」

 シータが黙ってそっぽ向いた。

「シータ、すまない。俺はルビが傷つくようなことはできない。」

「わかってるよ。感情がついていかないだけ。ルービスさんを傷つけたいわけでも、コナを困らせたいわけでもない。」

 不機嫌そうな口調にますますどうしていいか戸惑う。しかたがない。ヘスに任せるか。


 そっちはさておいて俺はひとつ疑問を呈した。もうひとつルビについての話を躊躇った理由だった。

 こっちは確認したほうがいいのかもしれない。

「ヘスは西部王国史の講義とってたよな?」

「いっしょに講義でてんじゃん。コナ、講義中寝てたの?」

「それはお前のほう。

 そうだ、テスト直前にノート借りにくるなよ。せめて一週間前にしろ。

 じゃなく、その教授の話なんだが…」

「あぁ、あのエセ教授ね。」

 答えたのはシータ。俺は驚愕に口をパクつかせてしまった。

「あ、私にも貸してね。二週間前でいいわ。

 で、あの教授のことなんだけど、エセというより、私とヘスが見ている教授とコナが見てる教授は別物よ。」

 言っている意味がわからない。というより、シータがあの講義をとっていたことも知らない。

「あの講義、出席重視だろ? だいじょうぶなのか?」

「だいじょうぶ。出席先取りタイプだから、出席確認後にドロンしてるだけ。」

「だったらいいか。

 いいのか? 

 いや、で、どういう意味だ?」

 質問が滅茶苦茶だ。支離滅裂な会話を必死に頭の中で整理する。


 授業内容や声は教授本人のものである。教授の顔が曖昧なのは〈貼付け〉の魔法で記憶が改ざんされているから。

〈貼付け〉の魔法はたとえば、他人の顔に自分の顔を貼り付けることで、見たヒトの記憶を改ざんするための魔法である。

 魔法を使っているのは、テナ神殿に住むオトコの仕業だと考えられる。理由はこの大学で不審者扱いされないためだろう。


 要約するとそういうことらしい。

「魔法自体はよくわからないが、さっき俺が見たのは顔を〈貼付け〉られた本当の教授か、その魔法をつかったオトコ本人か、どちらかだってことだな。」

「そうね。」

「だとしたら、ルビがそれを見て驚いた理由もわかる。俺が見た顔とルビが見た顔が違う可能性もあるということだ。

 で、驚いたってことは、教授の顔ではなく自分の神殿に住むオトコの顔だった可能性が強いってことか。」


 とそこにタイミングよくかわるくか、スイーツ女子が寄ってきた。

「おわったよー」

「カノジョ、待ってるよ。あれれ、シータ、なに話してたの?」

 と間延びした問いかけに、くるりと席を回して満面の笑顔で彼女らを迎えた。

 変わり身、早いな。感心する俺をヘスが促した。

「じゃあ、またな。俺はルビ送って帰るわ。」

 ピラピラと四人が手のひらを振っていた。俺もそれに習いながら、ルビのところに戻った。

「どうした?」

「やっぱり、先輩変わった。」

「そうか? まぁ、いいさ。あと見たいところあるか?」

 無言で首を横に振った。こっちはなんで不機嫌なのだろう。一人放置したからだろうか。

「あいつらの話、退屈だったか?」

 また、無言で首を振った。さっさと立ち上がり、ペコリと向こうのテーブルに会釈して、俺の手を引っつかみ校舎の外へと出た。


「先輩。ありがとうございました。」

「あ、あぁ…」

 やたら早足だ。

「ねぇ、街のおいしいケーキ屋さんおしえてもらったんです。そこでデザートしませんか?」

「いいけど、まだ食うのか?」

「先輩、失礼です。」

 ぶーたれた顔は見慣れたルビのものだった。安堵した。

 小洒落たケーキ屋で瞳をキラキラさせて今日のことをマシンガントークをするルビに相槌をうちながら、ヘスとシータのことを思い出していた。

 そして、いつか…ムリかな…


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