五月
ヘシアン・ヴィクセンの物語
大学一年・五月
僕は大学内で、シータとコナ以外とつるむことは少なかった。
もちろん、愛想良く他の学生と絡むことはあったし、クラスの飲み会も適度に参加した。無難に、流行の話題や現代社会について話をすることもあったし、神について、王国について熱く語ることもあった。
しかし、そんな友達の輪を離れると、たいてい二人にグチをこぼすのが、習慣となっていた。
シータは昔からそんな自分のことを理解してくれていたので、気にしなかったのだが、コナには少し罪悪感みたいなのを感じていたことは確かだ。
「なんか弱っちい自分を押しつけてるみたいで。シータ、どう思う?」
見上げた頭上の桜はとっくに盛りを越えていた。散った桜の花びらも一枚も残ってはいなかった。かわりにシバザクラが薄い赤紫のジュウタンのように広がっている。
ジュウタンの端っこに体育座りする僕の手には、売店で買ったサンドイッチとコーヒー。いつもの昼食だ。毎度のことだが、学食は混んでるから行かない。そのへんの感覚はシータも同じだ。
「あいかわらずメンドくさい性格ね。考えすぎよ。みんながみんな、ヘスに媚び売りたくて近寄ってきてるわけじゃないし、コナだってそうでしょ?」
「わかってる。コナはそんなヤツじゃない。だからこそ、甘えてるようで自分がイヤになる。」
直接聞いてみたら? なんて言われ、何度も首を横にふった。
「はぁ…他人を拒絶するときは自信満々なくせに、いざ他人を頼るときはいつもソレだもんな。」
大きな溜息。
「もう少し気楽にいこうよ。でないと、これから訪れるはずの楽しいキャンパスライフが真っ暗闇よ。」
シータがあくびまじりに伸びをした。ピンク色の頭を小さく揺らし、銀細工がジャラジャラと巻きつけられた首をコキコキと鳴らして立ちあがった。フリルだらけの真っ黒なスカートが春風に翻る。
「さて、私、教職の授業あるから行くね。ヘスは終わりでしょ? 先に帰ってていいわよ。」
そう言って校舎に歩きだした。
途中、クラスの女子になにか話しかけていた。ケラケラと笑いあう様子を見て、苦笑する。比べてもしょうがないのはわかってる。でも、彼女が羨ましくなる。
そろそろコナが授業終わって出てくるころかな、ぼんやりとそんなことを考えていた。
「あの…」
予想外に声をかけられた。さっきシータが立ち話していた女子だ。
一人はパーマをかけたようにクリクリとしたクセっ毛で僕と同じような眼鏡をかけていた。小さくてコロコロした体にオーバーオールを着ていた。ところどころに油汚れみたいなのがあるから、本当に作業着なのかもしれない。
もう一人は、いかにも女子大生風で、アイライナーとエクステでやたら目が大きく見えた。ストレートロングの髪を軽くかき上げ、パッチリした蒼い瞳でじっと見つめている。白ベースの花柄ワンピにデニムジャケットってのは今年の流行だっただろうか。
「授業終わったの?」
ひととおりニンゲン観察を済ませてから、にこやかに笑みを浮かべつつ、僕は彼女らとの会話をつなげた。はい、と元気いっぱいに答える。
「隣座っていいスか?」
二人組みの一人がそう言ってきたから、どうぞ、と少し横に腰をずらした。何の用かな、と警戒する。べつに用事がなくても声かけるだろうに。クラスメイトなんだから。
「ヘシアンくんってさ…」
ときどき僕を交えながら、街の店の話で盛りあがっていた。今通ったネコかわいい、とか。こないだプリンを作った、とか。いつも帽子かぶった教授って髪薄いのかな、とか。
途中、コナの姿を見つけたが、僕を一瞥して学食のある建物へと消えた。やたらガタイのいい後姿に人垣がいちいち彼をふりかえっていた。
「なんかおなかすいたね。」
「そろそろ学食、ヒト減ったんじゃないですか?」
「場所を移動しますか。ヘスくんは?」
一瞬迷った。コナが待ってるかもしれない。いや、べつに待ってる義理はない。なので、
「あ、午後は授業ないから帰ろうかな、と思ってた。」
「あ、ごめんなさい。引きとめちゃいましたか?」
「いいよ。サークルに行こうか迷ってたとこだったから。」
じゃあ、また明日。元気に手を振って、彼女らは学食へと去っていった。
「あー疲れた。」
後姿が見えなくなるのを待って、僕はタバコに火をつけた。考えすぎ。わかってんだけど、距離感が測れない関係は、やはり緊張する。
「お、まだいた。」
そこにコナが現れた。少し息が上がっている。直立不動で見下ろすのはクセなのだろうか。真っ赤なスタジャンとジーンズでキチっと固めたデカブツはけっこう威圧感がある。
「さっき女の子としゃべってただろ? ちょっと訊いたら、間に合うかもよ、なんて言ってたから、追っかけてみた。」
それを聞いて満面の笑みを浮かべてしまう。
「いいな。お前といると、堂々と女子に話しかけれるわ。」
「コナ、お前が僕に近寄った理由はそれが目的だったのか!」
あからさまに慌てるコナをジト目でねめあげるように見て、二人思いっきり笑い転げた。ひととおり笑って、彼を連れだってその場を離れた。
「ブラスバンドのほうは?」
「今日はない。」
この恵まれた肉体に似合わず、中高時代のコナは吹奏楽一辺倒だったらしい。しかもフルート。指が太すぎないか? なんてからかったら、本気で怒られた。
とはいえ、僕も同じように文化部が似合わないなんてからかわれているから、おあいこ。それなりに運動神経はあるつもりだけど、運動部のノリについていけないのだ。だから、文化部。
とはいえ、僕の所属する文芸サークルも今日は行く気がおきず、ぼんやりと時間つぶしていたんだけど。
どちらのサークルも休みということで、二人でもう一つの共通して所属しているサークルのほうに行くことにした。
「ところで、真面目な話、なんで俺に声をかけた?」
質問の意図をつかみきれず、きょとんと彼を見た。
狭いサークルの部屋。神学についてディベートをするマイナーサークルだから、もとより所属メンバー自体が少ない。さらにカケモチが多いから参加者も少ない。だから、僕らしかここにはいない。
傾いた太陽の光が窓から差しこんでいた。陽光を背にするコナの表情がよく見えなかった。カラスとスズメがケンカでもするように何度も鳴いて、遠くに去っていった。
「いや、初日。入学説明会の日さ。俺が迷ってるみたいだったから、とは聞いたけど。」
唐突に何を言い出すのだろう。
「基本、自分から話しかけないだろ? クラスメイトにも一定の距離を保ってる感じだし。いや、俺は元から人付き合いが苦手だから、お前の存在は本当に助かってるんだ。」
「ダレがそんなコト言ってたの?」
笑顔という防具を外されると、途端分厚い殻に閉じこもるのも僕は小さい頃から変わっていない。自分を解って欲しいと思っていながら、解られるのが怖くなる。
「意外だった。人付き合いが得意なわけじゃないんだな。見てて気づいた。」
「得意だよ。嫌いなだけ。」
そうか。コナが薄く笑う。
「友達やめたくなった?」
幻だろうか。否、当然幻だ。
窓の外には満開の桜。ぎっしりと花を詰めこんだ桜の樹は、隙間なく二人だけの部屋に影を映しこむ。桜の影になった床の外側はオレンジ色に輝いていた。コナの姿が闇に消えていく錯覚に陥る。
「友達ってそう簡単にやめたりできるものなのか?」
皮肉か? 僕は搾り出すように話しはじめる。
「最初の質問の答え。」
あぁ、ダメだ。またヒトを拒絶しようとしている。またヒトを傷つけようとしている。
「コナが死神にとり憑かれているように見えた。」
気色ばむのを感じる。やっぱり陰になった表情は伺えない。なにも答えてはくれなかった。黙って、僕のほうへと歩み寄った。
「あの日、独りでいるコナを見つけて、かわいそうに思ったんだ。不安そうだったから。それに、隣に男が立ってた。学生じゃないし、教授にも見えなかった。なんだか怖くなった。
いや、コナのことは知ってたよ。中学のときに僕を手伝ってくれたよね。首都で僕が中学校をのっとったとき。カラトンの中学校からわざわざ来てくれたって言ってたから、すごく覚えてる。嬉しかったんだ。僕の意見を受け入れてくれて、一緒に闘ってくれたから。
だからほっとけなかった。
コナの不安そうな顔見てたら、隣の男に食われそうで。だから、声をかけた。」
僕は一気にまくしたてた。沈黙を恐れるように。いや、恐れていた。コナが自分のことを拒絶すると想像しただけで、この場から逃げ出したくなる。
「わかった。ありがとう。」
なのに返ってきたのはそんな一言だった。
僕は驚いて、彼を見つめた。縮こまる肩にコナの腕が回された。僕より太いごつごつした腕。背の高さも頭半分上にある。こっそりと見上げた顔が薄く笑んでいた。いや、微笑んでいた。目線は窓の外に向いていた。剃り残されたヒゲを一本だけ見つけて、ついふきだしてしまった。
「なんだ?」
「いや…」
なんでだろう。涙ぐみそうで、必死にこらえた。
「何、笑ってんだ。」
肩が小刻みに揺れるのを笑ってると見てくれた。僕はゲシっと肘で小突き、コナから体を離す。
「絵になるわねぇ。」
その瞬間を待っていたかのように、背後から急に女の子の声がした。
「シータ…いつから見てたの?」
恥ずかしさに顔が熱くなる。
「えっと、ヘスの長い独白から?」
「盗み聞きなんて趣味が悪いぞ。」
コナが、いつも持ち歩いているフレーバーつきのウォーターで唇を潤してから、幾分怒ったようにシータを責めた。
シータはまったく意に介す様子も見せずにニヤついている。
「男の友情の誓いってヤツ? 青春だねぇ。」
「うるさいわ。」
今度は三人で笑った。つられたかのように外でネコの泣き声がする。
その後、シータが売店で買ってきた大学生活協同組合特製スイーツを食べながら、のんびりダベった。
「さっき女の子二人組いたさ? あたしが話しかけてた。」
「そのあと僕にも話しかけてきたよ。」
「あの二人の髪の長いほう。その娘が企画販売してる商品らしいの。」
そういえばそんな話もあった。あまり集中して聞いていなかったから、どこで売ってるとか覚えていなかった。
同じことをコナも言った。
「サクラプリンか。結構旨いな。」
僕は感心して、一気食いした器を眺める。
「次はナノハナのアイスに挑戦だってさ。」
「みんないろいろなもんに挑戦してるんだな。びっくりだ。」
「それが大学ってものよ。あんたらも一つのモノに縛られてないで、外側に目を向けなさいよ。」
どんだけ上から目線だよ。苦笑まじりにコナと顔を見合わせた。そこにさらにおやつが追加される。
「私のおごりだ。たんと食え。」
「いや、たしかに旨かったけど、さすがに多くないか?」
「大丈夫。もうそろそろ欠食児童が現れるはずだから。」
そうケラケラと笑う。
「あー! こんなトコにいたぁ。捜したんだよ。」
唐突に扉が開いて、女の子がとびこんできた。聞き慣れた声だ。
「ディル? なんでいるの?」
すっとんきょうな声が出た。首都ロムールにいるはずの僕の妹。
ずいっと、右手をつきだされた。
赤青黄、銀金キラキラした色砂でデコられた四角く薄い板状のモノ。首を傾げてしまう。
「やっぱり忘れてたな。アパート行ったらまだ帰ってないし。
シータにテルったら、まだ学校いるだろうっていうから、ヘスにもテルったのに出ないし。」
言われて僕は慌てて、かばんからテレパスを取り出した。哲学書を真似た見開きケースを開いて画面を見ると、着信ランプとカレンダーの予定表が点滅していた。
「しかも、場所わかんないし。大学のキャンパス広いし。
アウェーで知らないヒトに案内してもらうの、けっこう緊張するんだからね。」
ディルはそう言って、背後をふりかえった。後ろには噂のスイーツの二人。その髪が長いほうがこれを作ったのか。
「すごくおいしかった。これ。」
僕は空の器を見せて、女の子に言った。
「ホント? うれしい、です。」
なぜか、満面の笑みで、でも恥ずかしそうに隣の娘の陰に隠れた。
ベシン!
いきなり後ろ頭を殴られる。文句を言おうとしたら、ディルが睨んでいた。
「ヘス…その前に言うことがあるでしょうが。」
「あ、ディル。ごめん。でさ…」
おざなりに謝って、スイーツの話を続けようとしたら、また殴られた。
「あれ、この団体さん何?」
神学サークルの部長が来て、二年、三年の先輩も何人か現れて、気がついたらあれだけ薄暗かった部屋の中が急に活気づいていた。
実際はコナと二人きりのときの方が部屋の中は明るかった。もう陽は地平の向こうへと半分くらいその姿を隠しはじめている。
「望まなくても、そこに理由や意図がなくてもヒトは集まるものなのよ。」
シータが僕にだけ聞こえる声で言った。僕は小さく肯いた。
落ちかけの陽光に伸びる何本もの長い影。
影は真っ黒だけど、ちょっと頭を上げたら、いろんな顔をしたヒトたちがいた。