四月
五人の春の物語
桜の花の下にて
ヘシアン・ヴィクセン
大学一年・四月
カラトン市北西部は、近年変わりつつある。
東に北部工業地帯が広がり、西は英雄墓地に繋がるこの場所に王国最大の大学が設立されたのは五年前のことだ。職業ギルドの高位専門学校や貴族子女の通う女子大は各市にもあるが、スコラと呼ばれる最高学府は首都ロムールとその東部の町の工業大学、南部の農業水産大学の三つしかなかった。
王侯貴族と金持ちしか入学できないロムール大学は、学歴格差の象徴であり、統一信仰を推し進める急進派の温床と化していた。表向きは王侯貴族以外の市民平等と信仰の自由を謳っていながらだ。
僕は大学入試の論文問題の導入部にそんなことを書いた。それは、まだ卒業OBの少ないカラトン神大学の存在価値をさし示すきっかけになったとカラトン市に表彰された。
手前味噌だが、ひそかな自慢だ。
「また、ヘスの妄想癖が始まった。」
横から、呆れたような溜息が聞こえた。
慌てて見上げた視界にとびこんでくる淡い桜色に、僕は思わず目を伏せた。
「あ、ごめん、シータ。で、何の話だっけ?」
「しっかりしてよ。次期大司教ヘシアン・ヴィクセン様。」
ポンと肩を叩かれた。
正直言って、その呼称は嫌いだ。
出自だの、育ちのよさだのを強調されて、本性を隠さなければならなくなる。たしかに祖父は、光明神ラ・ザ・フォーのカラトン大神殿のトップ、大司教の地位にいる。
ほんらい父が継ぐべきなのだろうが、はるか昔に勘当されている。今は首都ロムールで神官ではない仕事をしている。だから、祖父のあとを継ぐのが僕なのは決定事項なのだろう。
ただ、べつに大司教の地位は世襲制ではないから、次期大司教ではない。
シータ、シータス・ミアロートは、小学校からの付き合いだ。だから、僕がそういった不満を持っていることを百も承知のはず。だからこそ、ムッとして黙りこんだのに、追い打ちをかけるように頭を撫でられた。
「大学のキャンパスでもその顔見せてみたら?」
怒る気もなくして、苦笑まじりにおとなしくその掌に頭をあずけた。グリグリとゆらされる視界に楽しそうに笑いあう学生たちが映る。平和だな、と独りごちた。
「授業終わったら、桜の下で待ち合わせね。」
それが一般大学生の日常会話なのだろう。今一度桜の花びらと枝葉を見上げた。
僕とシータスはカラトン神大学の一年生だ。
基本神官を目指す学生にとっての最高学歴なのだが、それはタテマエで、半分以上の学生は神様とは無関係の出自のヒトだ。神学一筋のマジメ学生はごく一部である。
なぜならば、一般学生を入れなければ、大学及び各神殿、ひいてはカラトン市が財政難に陥るからだ。一般入試の学生を入れれば、それだけ寄付金が集まる。受験料や授業料の軽減免除がないに等しいから、予算が組みやすい。
反対に、将来的に神官になった学生には、授業料等々が返還される仕組みになっている。奨学金や学校関係費の一部免除も申請可能だ。当然それは、王国とカラトン市に収められる税金と神殿の寄付金によってまかなわれるわけだ。
「貴方は光の申し子です。」
光明神ラ・ザ・フォーの神官ら、特に大司教のトリマキらは、そう言って僕を讃える。当然その背中を見て育ったジュニア世代、つまり僕と同じ年代のヒトも僕を祀り上げた。
僕にちょっかいを出してくるこの少女は、神様とは無縁だ。むしろ、神の示すヒトとしての生き方を完全にムシしている。にも拘らず、僕と同じ神大学に通っているというわけだ。
「タイクツだね。」
シータがあくび交じりに呟いた。
「世の中はどんどん変わっていってんのにね。」
高台にあるキャンパスの東側には灰色の箱型が建ち並ぶ。そこでは強制労働に近いかたちで、劣悪な環境のなか働いているオトナたちがいる。
南東には純白に輝く光明神殿と屹立する鐘楼が見えた。そこから西にうねりながら真っ白な城壁のようなものが続いていた。通称『竜の道』。光明神殿から大司教以下高位神官が英雄墓地に向かう道だ。
白壁に囲まれた道を挟んで向こう側は、農業地区となっていて種まきのすんだばかりの畑は茶色のジュウタンだ。
そして白い道の先、西の丘には真っ黒のドット柄のような広大な墓地が広がっている。工業区、農業区に住む一般のヒトには関わりのない墓地で、その名のとおり過去の英雄が眠っている墓地である。ここからは見づらいが、キャンパスの西側に回れば、それをとり囲むように種々多様な神殿が点在しているのも見えるはずだ。
「そういえばさぁ…」
英雄墓地のほうをぼんやりと眺めながら、シータが話す。
「テナ神殿の噂って聞いたことある?」
「テナ神殿って、去年の冬に神官長が殺害されたって、アレ?」
黙って肯くシータ。ちょうど受験勉強してたから、各神殿の集まる公会議には参加しなかった。参加した祖父に受験後聞いた。
「大司教から聞いた。あと父からも。」
「お父さん、なんて言ってた?」
父は大司教である祖父と冷戦状態のため、この街にはいない。ロムールに居を構えており、僕とは母親が違う妹と暮らしている。
「それが、父のところに死体が届かなかったらしい。」
父は死体管理人だ。主に変死体や病死したヒトを検死する仕事をしている。
「どういうこと?」
「送られてこないから、直接こっちに見にきたらしいけど、テナ神殿ですでに火葬されていたって言ってた。」
殺人事件であることは、公会議で発表された。にもかかわらず、父の検死なしに埋葬されることはかなり稀なことだ。
「警邏隊も動かなかったらしいよね?」
「うん。らしいね。でも、まぁ、身内や神殿が認める信者に関しては、治外法権の部分はあるからありえないことじゃないよ。」
しばしシータが考えこむ。彼女が宗教ネタに首をツッコむのも稀だ。
「なんか気になることでも?」
「うん、まぁ…でも、ダレもそれに対して文句や疑問を言ってるわけじゃないんだよね。だったら、私なんかが口出す話じゃないのかな。」
シータのほうから話を切った。なんかモヤモヤ感が残ったから、全部話してもらおうと思ったが、それすら遮るように彼女は続けた。
「あ、時間だ。そろそろ行きましょ。」
大学の時計台を見ると十時になろうとしていた。今日は大学の選択授業の説明会だ。まだ春休み中で入学式前にもかかわらず、キャンパスにやたらヒトがいるのはそのためだ。
しかたなくさっきの話は諦めた。いずれ、父と祖父に確認してみようとシータについて立ち上がったところで、ふと足を止めた。
「どうしたの?」
シータがそれに気づいて尋ねてきた。僕は桜の下の掲示板を指差した。その先には二人の男性の姿。一人はお堅いスーツを着込んでいるから、教授だろう。僕と眼が合うと、ニヤリと笑んだ。いや、会釈をしたのだろう。
しかし、僕が気になったのはソッチの男性ではない。タータンチェックのシャツにブルゾンを羽織り、踝丈のジーンズをはいた若い男性のほうだ。
「知ってるヒト?」
「あ、覚えてないか。」
どうも説明会の場所に迷っているように見えた。早足にその男性の傍へと歩み寄った。それに気づいた男性が僕をふり返った。久しぶりと声をかけてみた。
「あれ? 覚えてない?」
ヒト違いではないと思う。驚いたように目を見開いて、口をパクパクさせているから、まったく知らないニンゲンを警戒している、といった雰囲気ではない。
「まぁ、いいや。たぶん僕と同じクラスだよ。一緒に説明会にいこう。」
驚きより、迷っていることを思いだしたのだろう。慌てて彼は頷いた。とりあえずシータのとこに戻り、三人で校舎へと歩きだした。とちゅう自己紹介をしながら。
「コーノス・ウェイテラです。よろしくお願いします。」
同い歳なんだけどな、なんて苦笑しつつ彼を横目に見ると、僕にというよりシータに戸惑っているようだった。
「私はシータス・ミアロート。このヒトのカノジョよ。」
「黙れ。ピンク頭。」
僕が冷静にツッコむとようやくコーノスに笑顔が見られた。
満開の桜の花びらももつられ笑いをするように風に揺れた。
コーノス・ウェイテラ
大学一年・四月
大学の正門をくぐると、今までの自分がニセモノであるかのように不安になった。高校からの持ち上がりが多いはずなのにまったくもって知り合いに出会わない。足がなかなか前に進んでくれない俺の横を、笑いながら女の子グループが追い抜いていった。
一人は気楽だ。しかし、団体の中の独りはとてつもなく不安になる。和神フィース・ラホブの神殿では自分の役割が明確なので、神官長の息子という立場でいられる。しかし、ここでは俺は役割も立場も剥ぎ取られた個人だと思い知らされる。
「そんなんでダイジョウブなの?」
二つ下の妹にからかい半分、心配されるのも当然だ。
校舎が左手先に見えた。五階建ての建物が数棟見える。ということはそれだけの学生がいるということか。結構うんざりする。
しかし、右手先に桜の巨木を認め、俺は安堵した。自らの美しさを誇り咲く満開の桜に憧れていた。俺には皆無の圧倒的な存在感。そんな将来を夢見て高校時代を過ごしたのだから。
正門から校舎へと向かう小道に立ち並ぶ桜は、まだ満開のひとつ手前くらいだろうか。このところ暖かい日が続いているから、入学式の頃には満開を迎えるだろう。今日は入学式前の登校日で、入学や選択授業の説明が行われる。
相変わらず俺以外の学生は楽しそうに、俺を追い越していく。初めてここを訪れたのではないのか? みんなして迷わず校舎へと入っていく。受験会場だったから、もう見知った校舎なのだろうか。俺は、高校からの持ち上がりだから初めてだというのに。とりあえず桜の樹の下に掲示板があるのは知っている。そこで確認しようと、みんなとは別方向へと歩いた。
掲示板の前には先客がいた。スーツを着ているからおそらく先生だと思われた。その先に学生と思われる男女が二人。一人は長髪眼鏡の男で、もう一人はピンクの頭をした女だ。俺は嫌悪感で目をそらした。あんなちゃらちゃらした奴らでも、神様の下へ来られるのだと思うと、真面目に生きてきた自分が愚かしく思えた。
「嫉妬だよな。」
彼らに対する嫌悪ではなく、自己嫌悪であることは分析済みだ。くだらない感情は無視して、今日するべきことをしよう。俺はそう考え直し、掲示板を見つめる。
「解らん。」
小さく独りごちた。どうしようか。隣の先生に訊いてみようか。しかし、それは和神の次期神官長として、評価に関わるだろうか。横目に見た先生は、静かに桜の蕾を愛でていた。年の頃は四十代に見えた。細身の黒い四つボタンスーツに目深に平高帽を被っていた。表情があまり判別できなかった。優しげにも見えるし、厳しいヒトにも見える。
グダグダと優柔不断をしていたら、さっき向こうにいたはずの学生がこっちに歩いてきた。別に俺に用があるわけではないだろうと一瞥しただけで掲示板に視線を戻した俺に、その学生が声をかけてきた。
「久しぶり。」
思わぬ台詞に慌てて彼を見た。驚いた。驚きすぎて、返答に詰まった。
「あれ? 覚えてない?」
覚えていないわけがない。しかし、あの事件は五年近く前のことだ。俺には眩しすぎる存在。神は二物も三物もヒトに与える。この男は、俺みたいな凡人に話しかけるようなニンゲンではない。
なのに、
「まぁ、いいや。多分僕と同じクラスだよ。一緒に説明会に行こう。」
と気軽に声をかけてきた。そして、戸惑い曖昧に頷く俺について来いとばかりに歩き出した。時計を見ると、すでに時間は迫っている。迷ってる暇はないようだ。
すると、男は校舎に向かわず、予想通りピンク頭の女性のほうへと歩いていく。さっきの自分の評価を恥じて、女性をまともに見られない。
「じゃあ、行こうか。」
その女性は、俺のそんな想いを気にも留めずに校舎へと歩いていった。途中自己紹介をしながら。
「コーノス・ウェイテラです。よろしくお願いします。」
同い歳なんだけど、気後れしてつい丁寧語になってしまった。怪訝そうに見た二人から目線をそらした。そんな俺にピンク頭が声をかけてきた。勝手にとげとげした声を連想していた俺は、
「私はシータス・ミアロート。このヒトのカノジョよ。」
「黙れ。ピンク頭。」
という二人のやり取りに思わず笑ってしまった。やばいと一瞬で表情を引き締めたが、むしろ彼らのほうが笑っていた。
「コーノスさんって、ヘスとどんな関係なの? 友達?」
少し間の伸びた話し方につい気が緩んだ。しかし、全力で彼女の問いを否定してしまう。
「え? やっぱり覚えてない?」
それにも全力で否定した。当然怪訝そうな目線が俺を刺した。
「いや、ヘシアンさんのことは、よく知ってます。光明神殿の大司教様のご子息であることも…」
中学のときの事件のこともと言おうとして、言葉に詰まった。
「なんか緊張している? とりあえず同じ新入生なんだから、ヘスとシータって
呼んでよ。」
「あ、俺はコナって呼ばれてます。」
二人が顔を見合わせた。そこで会話が終わった。目的の教室についたのだ。
「ありがとうございました。」
そう言って彼らと別れようと思ったのに、さも当然とばかりに俺の隣に二人並ぶ。俺を挟むように。周りの学生がちらちらとこっちを見ているのが解った。当然だ。光明神殿次期大司教として幼い頃から表舞台で活躍するヘシアンと外見的に一目を惹くシータスにはさまれた一般人という異色の三人が並んで座っているのだから。
「ねぇ、コナって入学式は神官着? それともスーツ?」
とか、
「うわぁ、そんなに授業入れるの? 五コマ目までぎっしりじゃん。コナってマジメなのねぇ。」
とか、
「その教授、出席厳しいよ。こっちの授業にしようよ。ヘスもそうしよ。」
とか、
「掲示板の前にいたスーツのヒトって知ってるヒト? あ、違うんだ。」
とか。シータは、なんとも気安い女性だった。なんとなく妹と同じ系統に思えた。
「シータ…さんって、ずいぶん大学に詳しいんですね。」
本気で感心してそんなことを言ったら、
「ここの大学三回目だしね。」
冗談で返された。ヘシアンにぺしりと叩かれて、唇を尖らせている。高校時代には目の端にも捕らえることのなかった、薄紅の引かれた唇に思わず見入ってしまう。不思議そうに首を傾げられ、慌てて目線をそらした。
そらした窓辺に桜が見えた。こっち側の桜はまだ蕾。咲きかけの蕾がシータの唇に見えた。小さく頭を下げた。
これから始まる大学生活が桜色に染まった。
シータス・ミアロート
大学一年・四月
カラトン神大学がはるか昔に存在していたことを知っているのは私くらいだろうな。一度組織ぐるみの不正があって大学を閉鎖されたことがある。今となっては知っている教授もいない事実だ。
昔を懐かしみながら、桜の樹を見上げた。いまだ緑と茶色が残る枝の隙間から、ちらちらと陽光がこぼれていた。
「アンタだけは変わらないね。」
私は愛でるように樹の幹を撫でた。くすぐったそうに葉を揺らす桜も、懐かしい顔を歓迎しているようだ。
「あ、シータ、来てたんだ。」
遠くからヘシアン・ヴィクセンの声。私をもう一度この場所に連れてきたヒトだ。
小学校からの親友で、腹違いで同い年の妹がいて、その妹が誰よりも大好きな光明神大司教のお孫さん。その妹とも親友だ。ときどきロムールに戻って、二人でお茶をしたり、テレパスで長話したりしている。
彼女がいまだ私とヘスをくっつけようとしていることを、ヘスは知らない。私もいいかげん何度も否定しているのだが、彼女が納得することはない。
予定時間までは一時間近くある。桜の見えるところで少し暇つぶしすることにした。うん。蕾も多いけど咲きムラ含め、五分咲きくらいか。
「そういえばさぁ…」
ムダ話の途中でふと思い出したことがあったので、ヘスに訊いてみた。ちょうどウチらが受験勉強の追い込みに入ったころ。いや私はしてないけど、今更勉強する必要などないから。
英雄墓地のほうに目を向けた。
「テナ神殿のウワサって聞いたことある?」
「テナ神殿って、去年の冬に神官長が殺害されたって、アレ?」
私が黙って頷くと、彼は少し考えて答えた。
「大司教から聞いた。あと父からも。」
「お父さん、なんて言ってた?」
意外な返答が返ってきた。いや、少し予測もしていた。彼が話すことには、ヘスの父のところに死体が届かなかったらしい。さらに、送られてこないから直接こっちに見にきたらしいけど、テナ神殿ですでに火葬されていたって言ってた、と彼は続けた。
やはり、おかしな話だ。受験勉強の必要がなかった私は退屈しのぎに、テナ神殿で起こった殺人事件を調べていた。にも拘らず、調査はまったく進展を見せなかった。
なぜならば、
「警邏隊も動かなかったらしいさ?」
「うん。らしいね。でも、まぁ、身内や神殿が認める信者に関しては、治外法権の部分はあるからありえないことじゃないよ。」
しばし考えをめぐらす。やはり納得いかない。
「何か気になることでも?」
「うん、まぁ…でも、ダレもナンも言ってないんでしょ? だったら、私なんかが口出すネタじゃないのかな。」
納得いかないけど、せっかく始まる大学生活を穏やかなものにしたかったから、それ以上話を続けるのはやめた。
「あ、時間だ。そろそろ行きましょ。」
大学の時計台を見ると十時になろうとしていた。今日は大学の選択授業の説明会だ。他の学生たちと一緒に楽しく、自分のことに目いっぱい悩みながら、大学生活を送ることが私の夢だから。
突然ヘスは掲示板のほうへと歩き出した。知り合いを見つけたらしい。遠目に掲示板を見ると二人の男性の姿。一人は学生だろう。友達かな。
「あいつ…」
もう一人の男と眼が合った。途端背筋に寒気が走る。ぞわぞわと虫が這うような感覚。私の全神経がそのオトコに警笛を鳴らしていた。
ニヤリ。
オトコがいやらしく笑んだ。ヘスとその友達はそれに気づくことはない。和気藹々とまではいかないまでも、熱心に話しこんでいた。
その睨みあいは、ヘスと友達が私のほうへ戻ってくるまで続いた。私はすぐにでもその場をたち去りたく、集合時間が迫っていることを二人に告げる。そして、足早に校舎へと向かった。途中自己紹介をしながら。
「コーノス・ウェイテラです。よろしくお願いします。」
癖なのだろうか、緊張しているのだろうか。あ、私の外見に違和感を感じているのか、なるほど。ヒトって第一印象が大事だよね。そんなことを思い直す。
「私はシータス・ミアロート。このヒトのカノジョよ。」
「黙れ。ピンク頭。」
あえて。軽口を叩いてみた。ようやく警戒が解けたらしい、三人で笑えた。
「コーノスさんって、ヘスとどんな関係なの? トモダチ?」
全力で否定された。
「え? やっぱり覚えてない?」
しかし、その問いにも全力で否定する。なんだそりゃ?
「いや、ヘシアンさんのことは、よく知ってます。光明神殿の大司教様のご子息であることも…」
やっぱりそういう人柄なのだろう。なんかいいヒトっぽい。素直すぎてコワいくらいだ。
「なんかキンチョウしとる? とりあえず同じ新入生なんだから、ヘスとシータって呼んでよ。」
「あ、俺はコナって呼ばれてます。」
ヘスと顔を見合わせてしまう。しばらく慣れるまで時間がかかりそうだな、なんて思っていたら、目的の教室についた。
「ありがとうございました。」
そう言って逃げだそうとしたから、むりやりヘスと挟みこんだ。理由は二つ。新しい友達を作りたかったのと、いまだイヤな視線を感じていたから。いろいろコナと話してみた。さっきのことをさりげなく絡めながら。
「掲示板の前にいたスーツのヒトって知ってるヒト? あ、違うんだ。」
自分で何を訊いて、何を言ったかあまり覚えていない。あの視線が気になって。
「シータ…さんって、ずいぶん大学に詳しいんですね。」
「ここの大学三回目だしね。」
やばい。口が滑った。慌てて訂正しようとした私の後頭部をぺしりと叩かれた。 ヘス。ナイスフォロー。
唇を尖らせて、ヘスを睨みつける。横目に見たコナは、素直に冗談と受け取ってくれたらしい。私を見つめ、微笑んで目線をそらした。きっと楽しい大学生活とはこういうことなんだ。私は一人納得する。
だから、今を守らなければならない。
「ちょっとお花摘みに行ってきます。」
と私は席を立つ。怪訝そうに私を見つめるコナと苦笑するヘス。大丈夫。バレない。私は教室を出ると、視線の主を捜した。
「隠れる気はないのね。」
意外に早くそれは見つかった。笑みをはりつかせたまま、教室を出てすぐの廊下に立っていた。四つボタンのブラックスーツとシルクハット。やや時代錯誤のファッションセンスだが、大学教授としてはさほど違和感がない。
「狙いは?」
そのオトコのヒトならざる気配に、つつっと汗が流れていく。桜も開花しそうな陽気に似合わぬ気配。むしろ妖気。
「ずいぶんと敏感なんですね。」
紳士な口調だが、優しくはない。むしろ威圧的だ。
「大丈夫です。あの二人には危害は加えません。」
「私に用事ってことね。」
「えぇ、まぁ。しかし、警告に従っていただければ、貴女に何かしようというつもりはありません。」
ダレだ、こいつ。私の長い人生記録から必死に人物を検索していく。しかしまったくヒットしない。
「余計な詮索するな。」
低く、まるでジゴクから響くような声に私は思考を止めた。止めざる得なかった。
「なにを詮索するなって? それがわからなかったら、なにをやめればいいのか、わからないわ。」
「ごもっとも。」
再び紳士な口調に戻った。しかし、続いた言葉に愕然とした。
「テナ神殿長は自殺だ。」
喉が涸れる。いや体中の水分を吸い尽くされた感覚に私はめまいを起こし、廊下の壁に背中を打ちつけた。
「大丈夫ですか? では、そういうことでよろしくお願いします。」
刹那。
感覚がよみがえる。春の陽気。教室の笑い声。饐えた臭いが一瞬にして消えた。私は乾いた口内と唇を潤した。
「校舎裏にもこんな大きな桜があったんだ。」
教室を背に廊下の窓の外に春待ちする桜の樹を見つめた。
ルービス
高校三年・四月
コナ先輩が卒業していった。唯一心を許せた先輩が。四月からわたしはヒトリだ。クラスメイトも吹奏楽部の後輩たちも、わたしに遠慮しているみたい。わたしもみんなとの距離感が測れない。
「だからといって家に帰ったところでダレもいないしな。」
唯一のニクシンだった父が死んだのは去年の冬のこと。新しい年が明ける直前の二十八日のことだ。
本来十一月には花を閉じるアニソドンテアの花がまだ咲いていた。桜の花に似た優しいピンク色の花は、雪の降る日に僅かばかりの彩を添えていた。
今日限り
皮肉な花言葉だ。
今日限りのはずの不幸は、永遠の不幸をひき連れてきた。父親の不審死。そのことにわたしは大したショックを受けてはいない。
なぜなら、父はわたしにとってテキ以外の何者でもないからだ。父はわたしを虐待していた。だから、外目には落胆しているように見えてただろうが、内心安堵していたのだ。フタリきりの密閉空間で、彼の存在に怯える必要がなくなった。
しかし、それによってわたしに残されたのは、生命神テナの神殿長という重圧だった。生活じたいは信者の寄付金でまかなえた。むしろ、わたしを憐れんだヒトビトが寄付という名目で、神殿に金銭を置いていった。
寄付金を生命神のためではなく、我がモノのように扱う父親はもういない。贅沢に慣れていないわたしはその寄付金をどう使っていいかすら解らない。しかたがないので、地下の蔵に都度しまっていた。
わたしはさらにそれらヒトビトの善意をどう扱っていいかもわからなかった。心の底から感謝はする。でも、もっと奥深い部分では謝罪の言葉を唱えていた。
「わたしは根暗なニンゲンだ。」
校庭の桜並木を眺めながら、ぼそりとヒトリごちた。まだ、五分咲きくらいか。
「確かに。でも、ネアカなルビ先輩は想像できません。」
ヒトリ言のつもりだったのに、いつの間にか隣にいた後輩が答えた。やたら明るい声にムッとする以前に溜息が洩れた。
「溜息一回で幸せが一個逃げますよ。」
「わたしの幸せはもう尽きたわ。だから、隣にいるペシタの幸せを借りるわね。」
苦笑混じりに隣を一瞥すると、ホンキで困った顔をする後輩の姿があった。
「しかたない。あり余るあたしの幸せを先輩に少しあげます。」
そう言ってドヤ顔しているのは、ピェシータ・ウェイテラだ。
卒業した先輩コーノス・ウェイテラの二つ下の妹で、わたしの一つ下の後輩。あだ名はペシタ。まぁ、ヒトリじゃないか。先輩にしてたようなマジメな話をすることは、ほぼ皆無だけど。
「で、ナニを想いめぐらせてたのですか? カレシ?」
「いないの知ってるでしょうが。」
自然と呆れ口調になる。この娘の頭の中はいつもピンク色だ。満開の桜のように。ちょうど窓の外の桜みたい。なんであのマジメが服を着て歩いているような兄の妹がこんななのかと首を傾げてしまう。
「今年はどんな進入部員が入ってくるのかな、って想像してたのよ。」
「お、さすが新部長。」
ただでさえ、家がワタワタしてるのに、さらにそんな立場もつけ足された。ペシタの兄に。
苦笑まじりに一瞥した後輩は、一生懸命爪を研いでいた。
丁寧に砥がれた丸みを帯びた爪と細い指先を見ると、彼女の育ちの良さが見て取れた。茶髪で軽めにウェーブかけて、見た目からして軽い。クリンとした大きな目で見つめられ、ポテッとした赤い唇で甘ったるい声を聞かされるたび、同姓にも拘らずクラッとくる。わたしと正反対の女の子だ。
「そもそもわたしを新部長に任命したのだって、コナ先輩だし。」
決してわたしが信頼されているからではない。
元部長の名指しで、かつわたしが吹奏楽部にも拘らず、鍵盤担当だからだ。各吹奏楽器のパートリーダーが、統括リーダーをするのは、予想外に辛いと言って、唯一の鍵盤担当のわたしが名指しされただけだ。
「ルビ先輩って、なんでそんなに卑屈なんですか?」
ヒトの気も知らず、ずけずけと言ってのけるのは兄と同類だ。
まぁ、だからこっちも本音でしゃべれることは確かだけど。
「わたしもペシタみたいにカワイイ女の子だったらねぇ。」
半分イヤミ。半分ヤッカミ。
「えー。あたし、メガネ女子好きですよ。きれいな黒髪も、その瞳も。」
「わたしにそんな趣味ありません。」
じっと覗き込んできたペシタから逃げた。
「あたしもです!」
慌てて掌をピラピラさせる仕草も、いらいらするくらいカワイイ。嫌いではないんだよな。きっと。そんなことを考える。
「で、ソッチのカレシはどうなの?」
話題をそらした。これ以上自分を嫌いになりたくない。
「ナカヨシです。」
また、微妙な表現だ。多分、近いうち別れるな、とちょっとだけ思った。
それを決定づけたのは、副部長に任命されたオトコが声をかけてきたとき。部活を終わりにしようと、わたしに声かけてきたカレに嬉しそうに、残念そうに微笑み返したのを見たとき。一瞬、問い詰めてみようかと思ったら、
「あ、校門にカレシ来てますよ。」
と先手を打たれた。
「カレシじゃない。あんなオジさん、わたしは好きじゃない。」
あからさまな不快感に、ペシタが黙り込んだ。少し悪いことしたかな、と思いながらも、わたしは徐に立ち上がり、ペシタに別れを告げる。
「はい。じゃあ、また明日。」
今は春休み。だけど、新歓の準備のために練習に来ている。わたしは昇降口を抜け、校庭をぐるりと回るついでに校舎を見た。ペシタがじっと校門を見つめていた。笑っているようには見えなかった。
「ねぇ、まだ送迎必要?」
わたしは校門につくなり、キセルを加えていたオトコに、そう問いかけた。
「何か問題でも?」
「いえ、何も。」
もう一度ふり返ると、桜の花と枝葉が邪魔してペシタの姿を見ることはできなかった。
「きっとはやく満開になるように祈ってたのよ。」
そう自分に言い聞かせるように呟いた。怪訝そうにオトコはわたしを見た。わたしの髪と同じくらい真っ黒なスーツと平高帽子が先に歩き出した。わたしは連行されるように俯いたまま、その背中を追った。
わたしの家には居候がいる。居候なんて生易しいものではない。歳は四十代に見える。しかし、本当の年齢はわからない。彼は死人だ。死霊術の最大禁呪である蘇りの法を使用し、生きながらにして、死人となった。
「悪魔。いつまでウチに居ついているつもり?」
わたしは恨みがましく、紳士面した死人を睨みつけた。オトコは涼しい顔をして、わたしの恨みつらみを受け流していた。
「ふぅ…ねぇ、やっぱり送迎はナシにできない?」
「どうしてだ?」
少し考えてしまう。カレシと勘違いしている後輩がいるから?
いや、そんなことは言えない。鼻で笑い飛ばし、むしろ調子に乗ってどこ行くのにもついてこようとするだろう。
「何百年も動いていると、退屈なんだよ。少しは楽しませてもらわないと、とり憑いている価値がない。」
ヤツはいつぞや言っていた。なぜ、わたしにとり憑いたんだよ。これではいつまで経っても、カレシなんて作れない。いや、そんなピンク色はどうでもいい。わたしはヒトナミのフツウの生活がしたいのだ。
「まぁ、ルービスに支障がないなら、送迎はやめてやってもいい。」
なぜ、上から目線? 支障があるのはヤツが憑いてくること自体だというのに。
ありがと、とわたしは溜息混じりに答えた。これ以上ごねて、やっぱり憑いてくるって言われたら迷惑だ。
「ちょうど他に暇つぶしも見つけたことだしな。」
そのままソッチにとり憑いてくれないかなと願ってしまう自分がホントにイヤになる。テナ神殿の正門をくぐると、桜が咲き乱れていた。まだ、高校の桜は咲きかけだというのに。
狂い咲き。わたしと同じだ。
ピェシータ・ウェイテラ
高校二年・四月
一学年上になった。
実感はないが、確実に歳をとっている。制服に身を包み、高校生でいられるのもあと二年しかない。この戦闘服を脱いだら、あたしは何者になるのだろう、と毎日戦々恐々としている。
「わたしは根暗なニンゲンだ。」
そんなあたしの横で聞こえた先輩の声。
「たしかに。でも、ネアカなルビ先輩はそーぞーできません。」
ルビ先輩は、独り言を拾われてムッとした表情を見せていた。
「タメイキ一回でシアワセが一個逃げますよ。」
「わたしの幸せはもう尽きたわ。だから、隣にいるペシタの幸せを借りるわね。」
こりゃ、重症だわ。
あたしの悩みがあっさりとどっかに消え去った。
ルビ先輩、本名ルービス先輩は生命神テナの神殿長になった。まだ高校三年生なのに、神殿長なった。
さすがに気丈で責任感の強いヒトでもマイッてる。いや、そんな性格だから、よけいにマイッてるのかもしれない。
そう考えたら、あたしがクラい顔をしていられない。
「しかたない。あり余るあたしのシアワセを先輩にちょっとだけあげます。」
と笑顔をルビ先輩に向けた。そして、さらにカレシのこと、と問い質す。
返ってきたアキれ顔、アキれ口調はまた兄と比べられたんだな、と少しだけキズついた。あたしはダレかが隣にいないと生きていけない。それだけなんだけど。むしろ自分のヨワさに落ちこんでんだけどな。そう思うけど口には出せない。
なんかイヤになって、ぼんやりと爪を研いでいた。ながらで話さないと、ヨワい自分がルビ先輩にヤツアタリしそうだった。新部長とおだてるのもイヤミに聞こえてしまうらしい。
「そもそもわたしを新部長に任命したのだって、コナ先輩だし。」
コナ先輩とはあたしの兄だ。今年から大学生になる。前部長でルビ先輩がゆいいつ心を許していた存在だ。あたしはそんな兄に命じられて、ルビ先輩の傍にいる。
「ルビ先輩って、なんでそんなにヒクツなんですか?」
思わず声に出してしまった。ヤバイ。警戒されてしまった。でも、怒らない。むしろタメイキをつかれた。
「わたしもペシタみたいにカワイイ女の子だったらねぇ。」
「えっ。あたし、メガネ女子好きですよ。キレいな黒髪も、その瞳も。」
「わたしにそんな趣味ありません。」
ほっと胸をなでおろし、自然と軽口が出た。そこでふとあることに気づいた。
兄の命令だなんてウソだ。あたしがルビ先輩の傍にいたいのだ。ヨワりきったルビ先輩の傍にいることで、自分の存在意義を感じているのだ。じっと覗きこんだら、目線をそらされた。メガネに映ったあたしはすごく笑顔だった。
「あたしもです!」
先輩のヤサしい笑顔に救われた。あたしがカワイイ自分でいれば、先輩は笑顔でいてくれる。
なのにどうしてうまくいかないんだろう。先輩が、意図せずカレシの話をフッてきた。感情を覚られたくない。副部長がちょうど話しかけてきたから、笑顔で逃げようとした。
それも逆効果だった。さらにアワてたあたしは、ふと校門に人影を見つけた。これはラッキーとばかりに矛先をかえる。
「あ、校門にカレシ来てますよ。」
「カレシじゃない。あんなオジさん、わたしは好きじゃない。」
しかし、それすら逆鱗に触れたらしい。これ以上は笑顔でいられなかった。さすがに打たれ強いことを自負するあたしでもヘコんだ。
「お疲れさまでした。」
それを言うのが精一杯。春休みもまだ何回も逢うんだけど、明日は他の話題を探そうと、消えていく背中に誓う。じっと校門を見つめた。
「ナカよさそうなんだけど、なにか問題があるのかなぁ。」
蕾をつけた桜の下からタノしそうに帰り道をいく二人を羨ましく思った。そう思ったら、なんでだろう。二人をもう少し見ていたくなった。いっそう嫌われるのを覚悟しながらも、あたしは校舎をとびだした。
「やっぱマズイよね。」
独りごちながら、二人の後をつけた。一定の距離を保ちながらだから、会話の内容は聞きとれなかった。それでも、二人の距離感と横顔からは、ナカのワルさを感じられない。
「でも、あのヒトの話題をフッたときのルビ先輩、いつもと違かったんだよねぇ。あんな表情はじめて見たもんな。」
独り言が増えるが、彼らが気づくことはない。
校門を出て西へ三十分ちょっと。我にかえってみれば、生命神テナの神殿前まで来ていた。
「スゴ…ここ桜、咲いてんだ。」
さっきまでコソコソと足音をしのんでいたことも忘れて、神殿の門の前に佇んだ。数人、信者さんと思われるヒトたちが不審者を見るような目で通りすぎていった。
「きれいでしょう?」
とつぜん、男性の声が耳元に響いた。聞こえたと表現しづらい感覚だった。アワてて周囲を見渡すと、桜の樹の下に紳士面した男性が立っていた。
目もそらさずに桜に魅入っていたのにいつの間にいたのだろう。
そして、その距離感。声の届く範囲にいることは違わないが、遠近法が正しくない。
「す、すみません。あまりにキレいだったのでつい…」
たまたま立ち寄ったていで、頭を下げた。にこやかに笑みをはりつかせて、男は言った。
「ずっとついてきましたね。ルービスに何か御用ですか?」
あたしは探偵には向かないらしい。気づかれずに尾行していたつもりだっただけだった。とはいえ、テナ神殿に向かっていたことは明確だったから、尾行もヘッタクレもない。
「ルビ先輩、今日ゲンキなかったから、心配だっただけです。」
「そうですか。優しいんですね。」
このヒト、すごくヤバいヒトだ。
頭の中で警笛が鳴り響いていた。あたしの得意技。ヒトのご機嫌を伺う能力が、フル稼動している。そしてなにより、そんなバカなことを考えなければ、圧し潰される気がした。
「でも、あたしのオモイチガイだったみたいですね。なので今日はこのヘンでお暇させていただきます。」
さっそうとその場を去ろうとしたあたしは、桜の樹の下に幻を見て息を呑んだ。ピンク色に咲き乱れる桜の花びらに霞んだ無数の人影、そしていつぞやの公会議で見かけた男性の影。
「あれ? ペシタ…?」
神殿のほうから聞きなれた声がした。あたしはそっちに目を向けることができなかった。
ベイビーピンクの景色が霞みにぼやけて、サーモンピンクへと色相をかえていった。