一月
ピェシータ・ウェイテラの物語
高校二年・一月
『雪がふりだした。
あたしはこの季節が嫌いだ。寒いから。まぁ、それもある。
でも、それ以上に過去の記憶に縛られているから。
恐怖。ダレにも言えない恐怖の記憶を抱えていた。』
「うまく書けん。」
ぼんやり天井をニラみつけるように凝視した。
あたしはダレにも言えない趣味を持ってる。
べつに悪いことはしてないんだけど、声高に宣言するにはハズかしい。両親はもちろん、兄にも話してない。友達にも言えない。
物書きになりたい。
すでに趣味の域を越えているんだけど、胸張って言えない。なんでだろ。
『あれは去年の冬のことだった。
しんしんと降り積もる白雪が周囲の音を吸収していく。
街外れから一人の男が歩いてきた。
時折すれ違う男女が、忌むように歩く先々を避けていく。
ぼろをまとった男は虚ろな瞳で通りを歩き続けた。
「サムインダ…」
しわがれた声が静寂を壊した。
しかし、その声はダレかに届く前に雪に消えていった。
「サケヲクレナイカ…」
夜の酒場の灯りが、カレを誘っていた。
カレは灯りに誘われるまま酒場へと入っていった。』
えっと次はなんだっけ?
頭の中には情景を思い浮かべてるんだけど、なかなか単語、文章になって出てきてくれない。いろいろこねくり回して、けっきょくブナンな言葉に終始した。
「まずはストーリーを作らないとね。」
昨日、兄からもらったふわふわのパウンドケーキにかぶりつく。
これが手作りか。すごいな。
とスナオに感心し、どっかで嫉妬する。才能があるヒトがホントにうらやましい。
『狂騒に満ちていた酒場が思わぬ客に波を打ったように静かになる。
オトコは空いてる席を見つけると、ふらふらと腰を下ろした。
「何にしますか?」
ウェイターが嫌悪感もあらわに客のオトコに声をかけた。
それを合図とするように、酒場内は再び喧騒に包まれる。
「サケヲ…」
しわがれた声。
干からびた指先でテーブルに置かれた銀貨をウェイターへと押しやった。
ウェイターは奪うように銀貨をつかみ、厨房に消えた。
しばらく後、ジョッキで酒が一杯、カレの前に運ばれてきた。
どこにそんな力があるのだろう。
歩く様子とは正反対にきちんとした動作でジョッキを傾けた。
「こいつ、こぼすんじゃねぇよ! それともなんだ? もらしてやがんのか!」
酔っ払いの客の一人が、オトコに絡んでいく。
ぼろを着ているわりに銀貨を出してきたのが、いいカモだと判断されたのだろう。
「おら。立てよ!」
酔っ払いがオトコの胸倉をつかんですごんでいる。
酒場の主人がグラスを拭きながら、迷惑そうにそちらに眼を向けた。
確かに床はびしょ濡れだった。』
窓の外も深い雪景色。
灰色の空から落ちてくる白い牡丹は、朝に比べて量が増えた。
雪の積もった並木道を歩くヒトたちは、みんなそろって足早だ。
そんな冬の一幕をぼんやりと眺めつつ、あたしは次の展開を推敲する。
とは言え、展開は決まっているのだ。あとは言い回しを考えるのみだ。
『着ていたぼろが捲れた。
「ぎゃぁっ!」
オトコに絡んでいた酔っ払いが悲鳴を上げて、あとずさった。
再び酒場中の視線がオトコに集まった。一瞬の沈黙。そして一気に混乱する。
オトコは羽織っていたボロ以外何も身に着けていなかった。
しかし、酒場の客たちを恐怖に陥れたのは、そのことに対してではなかった。
オトコの腹は空洞だった。
ボロを床に落としたまま、男は立ち上がった。
真正面に立つ客から、腹の穴を通して向こうの客が見えた。
「化け物だぁ!」
ダレかが叫んだ。
客の混乱を意に介さず、ボロを拾いなおすオトコ。
その身体を他のダレかが蹴り飛ばした。
床にはいつくばったオトコにもう一発。
「ナンデダ…カネハアルゾ…」
オトコは感情のこもらぬ口調で、夜の路にひざまずいていた。
雪がカレに降り積もっていく。
ピタリと閉め切られた酒場の扉が再び開くことはなかった。
「サムインダ…」
緩慢に立ち上がったオトコはあきらめて再び雪の夜を歩き出した。』
休憩。
ここまではできている。
問題はこの後なのだ。うすらぼんやりと浮かぶ風景があるんだけど。どうにも霧に包まれてるように先が見えない。
ぼんやりと窓ごしの雪を眺めた。真っ白な雪の花があちらこちらに咲いていた。
「あれ? ペシタ…?」
ふと女のヒトの声がした。
はじめ、あたしだと思わなかったから、シカトしていた。
今あたしがいるところは、駅前の喫茶店。ダレか来てもおかしくはないけど。
「ピェシータ・ウェイテラさん…だよね?」
いきなりあたしの前に座ってきた。
「そうですけど。」
あたしはじっとその女のヒトを見つめた。
雪の積もったニット帽の下にはピンク色のショートボム。脱いだロングコートの下にはフリルだらけのゴシックファッション。
背中のギターケースをイスに降ろして、ごくアタリマエのようにギターのトナリに、あたしの向かいに腰を下ろすと、その女のヒトはニコリと笑んだ。
「よかった。ヒト違いだったらどうしようかと思ったわぁ。」
寒そうに両手をすり合わせている。
いまだあたしはこのヒトを思いだせないでいた。見たことはある気がするけど。
って居座るんかい…
「あ、覚えてないか。ほら、夏に一回道端で会って、その後サテンで楽器のこと話して。」
「大きな鎌を担いでたヒト!」
声が裏返った。ついでに音量が大きすぎたから、ハズかしくて縮こまった。
「そうそう。こんなトコで会うなんて、ビックリだわ。」
あたしのほうがビックリだわ。
あれから、テレパスで演奏会を開くだの言ってはいたものの実際会うことがなかったし、その後連絡がとぎれたから計画倒れに終わったんだと思っていた。
だからといって、すっぱり顔まで忘れているとは、自分自身それもビックリだ。
あぁ、でも、タイミング悪いな。
口には出さない。
「お久しぶりです。今日はどうしたんですか?」
小首をかしげながら笑顔でそのヒトに話しかけた。
用事があるなら早急に済ませてほしいのですが。
とも言わない。
「さっきまで駅前で歌ってたんだけどね。
さすがに寒さに負けました。」
だからギターか。
いいね。堂々と趣味をさらけ出せて。ウタうたいはカッコいいもんね。
思いだした。
シータ。シータス・ミアロートさん。そういえば、兄の友達だ。
あたしはなぜこんなに目立つピンク頭の記憶を失っていたのだろう。
「ウェイテラさんは?」
「え?」
「ここで何してたの?」
ふと、ペンをはさんで閉じてたノートに気づかれた。
「勉強? 高校生だっけか。」
「そんなトコです。」
フーン。邪魔しちゃったかな。
そう言っといて、ウェイターにホットチョコを頼んでるし。
「ウェイテラさんもなんか飲む?」
「えっと…ペシタでいいです。」
また微笑んだ。
テレパスごしのときはさんざん、ペシタペシタ言ってたのに。
悪いヒトじゃないのはわかってんだけど、今はジャマなのだ。
このタイミングじゃなければ、お相手しますがね。
なんて上から目線でけなしてみる。
待てよ…
「あの…シータさんって、本読むヒトですか?」
思いきって訊いてみた。
「ん。あなたのお兄さんに比べたら、かぎりなく少ないけど、読むよ。
なんで?
なんかオススメ本でもある?」
やっぱり一瞬躊躇う。
でも、きっとこのヒトなら、バカにしないで読んでくれるんじゃないかな、と期待した。
「オススメはあまりできませんけど、これ読んでもらえませんか?」
そう言ってあたしはさっきまで書きなぐっていたノートを彼女に渡した。
きょとんと見つめられた。
後悔と焦りが、ノートを引き戻したいという衝動を駆り立てる。
「もしかして、自作の小説?」
「迷惑ですか?」
あたしは弱気に尋ねた。
シータさんはこっちがビックリするくらい、あたふたと否定していた。
あたしにわずかながら笑顔が戻った。
「失礼言ってごめんなさい。意外だったから。
お兄さんからはあなたの恋愛ジャンキー話しか聞いてこなかったからさ。
予想外だったの。」
「あはは。そうですよね。
って、あの兄マジか…」
ついホンネが出てしまった。
アワてるあたしを楽しげに見つめていた。
「いつぞやと雰囲気違うね。」
「兄は知らないんです。あたしがこんなことしてるの。」
「ってことは、両親や友達やカレシもでしょ?」
なぜバレた。
いや、バレるか。
「だからか。カレシがとっかえひっかえになるの。
あまり深入りすると、ホントの自分がバレそうで怖い。」
びしっと指を指された。
失礼なヒトだが、図星だ。
「コレ読むのあたしが初めて?」
「二人目です。」
一人目は卒業したオトコ先輩。
でも、批判も感想もなかった。なんでか空ろにノートを見つめていた覚えがある。
「そっかぁ。
じゃあ、心して読まなきゃなんないね。」
このヒト、いいヒトだ。
っていうか、兄が信用したヒトは、ほぼ間違いなくいいヒト。
これでまた一人証明されたなぁ。
「で、なに飲む? もちろんオゴるから。
さすがにじっと見られながらはあたしも読みずらいわ。」
「あ、ぜんぜん短いんで…でも、お言葉に甘えさせてもらいます。
オレンジジュースをお願いできますか?」
寒いのにいいの?
なんて笑われたけど、しょうじき、喉がカラカラだった。
こんなに自分をサラす作業が緊張するものだとは思っても見なかった。
オレンジジュースをすすりながら上目遣いに二人目の読者を何度もチラ見した。
さっきまで書いていた話だけでなく、やたらテンション高いだけの恋愛小説やら、使い古された異世界ものとか、何個か書いているからどれかには品評を貰えるかもしれない。
「うん。」
パタリとノートを閉じて、あたしのほうへと滑らせる。
キンチョウで目の前がよく見えない。
「おもしろかった。
さっきも言ったけど、私はそんな読書量が多くないから的確な批評は期待して欲しくないけど、もっと書いたのを読みたいと思う。」
あたしをキズつけないブナンな批評だ。
「世界観は好きよ。
一般ウケするかといわれると、一大ヒットって内容ではない気がする。
あとは文章の選び方かな。
文語体でいきたいのか、会話文を使って進めたいのか、曖昧だったりするから統一したほうがいいかな、とは思ったよ。」
パチクリ。
あたしは驚きになにも言えなくなる。
書いたものに反応が返ってくるってこんなにウレシいことだったんだ。
ほおが緩むのがガマンできなくなる。
「ありがとうございます!」
あたしは精一杯感謝した。
オレンジジュースを一気飲みして、笑われた。もう一杯温かいミルクティを頼んでくれた。
「よし!
今から時間の許す限り書こう。ペシタは続き仕上げて。
私も曲、作りたくなった。」
「スゴっ。
曲も自分で作るんですか?」
もちろん。
シータさんがそう言って、かばんから五線譜ノートを取り出す。
あたしのノートよりごちゃごちゃと書かれたノート。余白にまで音符が書かれていた。
テレパスにヘッドフォンをさしこんで、五線譜ノートの上において。
作曲用の画面が映っていた。
霧が晴れた。
まるで呪いから解かれたかのようにストーリーが浮かんできた。
『オトコは街を彷徨い続けた。
当てもなくいつまでも。その足が街外れで止まる。
両のまなこに映し出されたのは、雪の中にうずくまる女の子だった。
空虚な二つの深遠に灯りがともった。
「ドウシタ…」
少女は驚いて、カレを見上げた。
さすがに幼子を怯えさせるつもりはない。
ボロの前をしっかり閉めて、フードを目深にかぶりなおした。
「おじさん、ダレ?」
オトコには自分の名前がない。
しかし、少女は涙を両瞳にたたえたまま、オトコを見つめ続けた。
「ケガヲシテイルノカ…」
オトコは手を伸ばしかけてやめた。少女に怯えを見たから。
しかし、オトコの失いかけた五感は、少女の死を予見していなかった。
「おとうさんをさしたの。」
虚ろに少女は言った。
「おとうさんがおそってきたから、びっくりしたから、あたし…あたし…」
泣き崩れる少女をオトコは抱きしめることはできない。
オトコはカレのできる範囲の優しい声で、
でも、しゃがれきった聞き苦しい声で、少女に語りかけた。
「ココハサムイ。イエニカエロウ…」
「でも、おとうさんが!」
恐怖と後悔でパニックを起こす少女をオトコは魔法で眠らせた。
クタンと力なく膝を落とした少女の体を宙に浮かせ、歩き出す。
雪につくはずの足跡がなかった。
「カミノミコカ…」
少女の記憶の断片をオトコがまとめあげ、家を探る。
たどりついた場所は深雪に埋もれた神殿だった。
真っ白い景色から冷たい石壁に囲まれた神殿の中へ。
静かに並ぶ長椅子の間を抜けて神像の前へ。
「コレガチチオヤ…」
仄かな光の中、赤黒い血の海の中で眠るように横たわっていた。
「ツラカッタノダナ…」
少女を奥の部屋に横たえ、再度死体の前に戻った。
オトコは軽々とその死体を持ち上げると、神殿の外に出た。
その二つの暗渠とした瞳には、桜の巨木が立っていた。
「カコハボウキャクノカナタヘ…」
オトコがそう呟くと、少女の父親の体を桜の樹の下、雪の上へ落とした。
それはずぶずぶと雪にめり込み、姿を消した。
雪面は何事もなかったかのようにまっさらな白へと戻る。
少女の記憶とともに。
枝につけた雪が桜色を帯びて、また白を積み上げる。』
「どうだ!」
あたしは思わず声を上げてしまう。
アワてて周囲を確認してハズかしさにうつむいた。
「お、できたのね。
見たい、見たい!」
シータさんはヘッドフォンを耳からはずすと、全く周囲を気にするそぶりもなくはしゃいだ。
周囲の視線が再びあたしたちに向けられる。
でも、奪いとったノートをダイジそうに胸に抱えたシータさんを見たら、そんなのどうでもよくなった。
「あらー悲劇ねぇ。」
「ダメですかね?」
弱気に訊くあたしを「なんで」みたいに見つめ、再びノートに視線を落とした。
その表情がクルクルと変わっていく様は、ドキドキするやらホッとするやら。
「うん。よくできました。
私、このラストシーン好きだわ。」
「どこ直せばいいですか?」
勝手にシータさんを評論家ならぬ、先生に仕立て上げてた。
「私に文章添削はムリだよ。
それはお兄さんか、ヘスのほうが得意だよ。」
苦笑いされ、照れ笑いで返す。
「ヘス…さん?」
「あー、お兄さんと私の友達の文学バカ。
光明神殿のヴィクセンって知ってるでしょ?
あそこの後継者。」
「知ってます。
すごい有名人じゃないですか!」
思わず声が上ずった。
そうか。
アタリマエのことだけど、カラトン神大学に行かないわけがない。
「なの?」
「お兄ちゃん、そんな有名人と友達なんですか?」
しっくりこないらしい。
眉間にしわを寄せて天井をしばし凝視し、首を傾けた。
「まぁ、いいや。
ねぇ、その有名人に読ませてもいい?」
「そんな駄文、読ませられないです!」
半ば悲鳴だ。
「自分の子供を駄文言わないの。
言葉は生き物だよ。どう育つかは、どう関わるかなんだから。」
うわ。名言だ。
「歌だっておんなじ。絵だって、音だってそう。
だから、私はへたくそでも歌い続けんだしね。」
そういえば兄も吹奏楽でそんなコト言ってたな。音を大事に育てろ、って感じのこと。
「あ、そうそう、秋くらいに発表会やろうって話しあったさ。
覚えてる?」
あたしはこくりと肯いた。
「ごめんね。企画作りが伸びちゃってんのよ。
コナ経由で話聞いてないよね。」
「あ、立ち消え話じゃなかったんだ。」
言ってしまってから、アワてて口をつぐむ。
シータさんはシカタないと笑ってくれたけど。
「もう少し、話詰めたらまた誘うからね。でさ、一つ確認していい?」
ふと思い出したようにシータさんが訊いてきた。
あたしはふわふわした頭で肯いた。
「これってオリジナルよね?」
「盗作って言うんですか!」
現実に戻されるどころか、一気に血の気が引いた。
「違う!
ごめん。勘違いさせちゃった。
いえね、実体験みたいに読んでしまったから。」
平謝りに謝られた。
早とちりに顔が赤らんだ。
でも、実体験?
「それだけ文章力があるってことなのよね、きっと。」
ヤサしいフォロー。
とはいえ、心の片隅にもやっとするものが残ったことは否めない。
「実体験…」
「そんなわけないよね。
こんな体験したら、ペシタみたいな性格にならないよね。
そうね。
重ね重ねごめん。」
ヒッシに弁解するシータさんと広げられたノートを交互に見比べた。
すごくイヤなフアンが沸いてきた。
「ねぇ、でもさ。おとうさんがその娘に殺されたって設定でしょ?
何があったかは語らないの?
それとさ、少女の筋力で大の大人を失血死させられるかな?
その辺りは気になったかなぁ。」
シータさんの話し声がはるか遠くに聞こえていた。
雪をまとった桜の巨木。
朝陽に照らされて、オレンジを照り返した樹が桜色だった。
ウチの神殿の庭には桜の樹がない。オリーブやら梅やら桃やらは雑多に植わってるけど。
だったら…
その記憶はいつのどこ?




