十二月
ルービスの物語
高校三年・十二月
夏にコナ先輩のクラスメイトという女性に会った。ピンク色の髪で、真っ黒なフリルだらけのドレスで身を固めた、あまりにも非日常的な女性だった。
現実にこんなヒトがいるんだ、と呆れながらも、自分のあまりの普通さ加減に落ち込んだ。
ウチの居候がらみで夏に二度ほど見かけた。でもマトモに話したのは秋口以降。
あまり記憶にないけど、大学図書館での騒動のあとから、テル番にアドレスが追加された。
居候のオトコは夏の話をしてくれなかった。それ以上関わるな、とばかりに。
あの夏以降、オトコは神殿にいることも少なくなった。
「今日は講義があるからな。」
そう言ってたのはウソだった。
ゴシック娘、先輩だけど、が教えてくれた。
確かに大学のキャンパスに現れるけど、それは講義をしにくるのではなく、彼女たちの行動を監視するためだと。
「部外者が毎日いたら怪しまれるんじゃないですか?」
「他の先生の講義のときに、みんなの頭の中のっとてるからバレないんじゃないかな。
たとえば歴史の授業の先生が本人じゃなく、アレの姿に見えるとか。
そうすれば、キャンパス内で不意にダレかとすれ違っても、勝手に関係者と認識してくれるでしょ。」
魔法世界の奥深さを教授された。
「でもさ、神大学言ってるわりに結界ユルいってことださ。
私は大学の危機管理能力を問い詰めたくなるわ。」
ごもっとも。
初めて面と向かって話したときはどうにか逃げ出したかったのだが、わざわざ神殿に押しかけてまでわたしとお茶呑みしていった。
なかばキョヒってたシータさんのテンションにもようやく慣れてきた。
おかげでその関係はいまだ続いている。
そして、今日も。
「ルビぃ! また来たよ!」
楽しげな声が聞こえてきた。
神殿の正門から玄関までの雪かきをしていたわたしは、うんざり半分に腰を伸ばした。
ゆいいつ慣れないのは、この狙い済ましたかのような間の悪さだ。
「お、ずいぶん積もったね。」
あいかわらずのブラックゴシックなワンピース。さすがに寒いらしくダッフルコートを無造作にはおっていた。
茶色の編み上げブーツをまっさらな雪の平原にずかずかと足跡をつけながら。
で、大ジャンプして体の跡をつけて大笑いしている。
「コドモか!」
コートどころかワンピまで雪だらけのゴスっ娘に思わずわたしがツッコむと無邪気に笑っていた。
気勢をそがれてわたしは、持っていたスコップを雪に思いっきり差しこんだ。
「この周りだけでも済ませたいんですけど。」
目いっぱい迷惑そうにシータさんに声をかけた。
せめてあと一時間あとだったら、いっしょにはしゃぐ気にもなれたのに。
「あー大丈夫よ。そろそろ男手もくるはずだから。」
男手? コナ先輩来るのか? めずらしいな。冬場はコタツネコだぞ、あのひと。
眉間を寄せて、正門を見つめた。傍に来たシータ先輩がペチンとその眉間を指ではじいた。
「イタっ!」
「せっかくかわいい顔が台無しよ。」
このヒトはホント平然とそんなセリフを吐く。
わたしがカワイイだと?
自分に自信があるヒトのセリフだよね。苦笑が漏れた。
「あんたも少しは手伝ったら!」
シータ先輩は左手に植わった、今は雪の花の咲く桜の樹に怒鳴った。
姿は消していても、いるのは知ってんだぞ、そんな挑発じみた口調だ。
でも、その対象にはあっさりムシされた。降り積もる雪が世界中の音を吸収している。
「ホントにいないの?」
「最近、いないこと多いです。」
「ふゆごもり?」
「知らないです。そんなこと。」
そんなやり取りをしていたら、正門の方からまた声がした。
今度は男性の声。
あれ?
でも、居候のオトコでもコナ先輩でもないような気がする。雪のようなダブルボタンのピーコートに茶色のコーデュロイ。
真冬でも半そでを着てそうなコナ先輩がそんなの着るわけがない。なんて、さすがに言い過ぎた。
「え? ヘス…さん?」
いや、先輩?
いや、まだ先輩じゃないから、やっぱり、ヘスさん?
わたしの頭は一気に混乱した。
秋のカラトン神大学図書館でお世話になって、それ以来、何度かテレパスでお話したりしてきたコナ先輩の親友だ。
コナ先輩とタイプが正反対のヒト。どちらかと言えば、周囲には絶対存在しなかったヒト。
だからだ。
図書館でもそうだったが、わたしはマトモにあのヒトを見ることができなかった。
「ヘス。
来たついでに雪かきよろしく。私たちは中でお茶飲んでるから。」
「はぁ? ふざけんなよ!」
来て早々にけんか腰の二人にあせってしまう。
「あ、いえ、わたし、しますので…お二人こそ中で待っててください!」
ドモりながら、でも途中から早口でそう言って、わたしはスコップを手に取った。
テクテクとヘス先輩、いやさんでいいや。ヘスさんが歩み寄ってくる。
茶革のアンクルブーツがボスボスと雪を踏みしめるその足音だけで、わたしは緊張して金縛りみたいに動けなくなった。
「いいよ。スコップ貸して。疲れたでしょ。」
上目遣いに見上げると、すぐ傍にヘスさんの笑顔があった。
細面の輪郭に丁寧に並べられた顔のパーツが、完璧な笑みを作り上げている。知的なモスグリーンのメガネも、無造作にさらさらと流れる濃茶の髪も、わたしを圧倒する。
女装したらわたしより美人な気がする。
「あ、あの、大丈夫です。わたし、やりますので…」
小声でぼそぼそと言ったけど、彼が手を引っこめることはなかった。
「いいから、やらせなよ。どーせ、運動不足なんだから。」
「シータ。黙れ。」
そう言いながらも、ゆっくりとわたしからスコップを奪っていった。
そして、手際よく道の雪を避けていく。途中、信者さんににこやかに挨拶しながら。
「なぁに見とれてんの?」
耳元で囁かれ、ビクリと体を震わせてしまった。
ゲラゲラと笑い転げるシータさんと顔を真っ赤にしてうつむくわたしを、不思議そうに彼は交互に見比べていた。上目に見たら、ニコリと微笑みまれてなぜか涙がこぼれた。
「あ、やりすぎた。」
シータさんが慌てふためいてる。
ヤバい。止まらない。
必死に謝ってくる。いまさらだ。ヘスさんが彼女を責めている。
違うんです。そんなんじゃないんです。シータさんが悪いんじゃないんです。
そう喚きたかったが声が出てこなかった。
二人は困ったように、わたしが泣き止むのを待ってくれた。
ヘスさんのタバコの匂いは一生忘れない気がした。
「ごめんね。」
涙は止まった。
違うんです、と言いたかったんだけどしゃくりあげるばかりで言葉が出ない。
わたしは失礼承知で神殿の中を指差す。
二人の間にはさまれたまま神殿の中に入る。
「落ち着いた?」
シータさんが入れてくれた温かいミルクティに口をつけながら、小さく肯く。
あのとき何十分二人を寒空の下に待たせたのだろう。
わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ごめんね。」
シータさんがまた謝った。わたしはまた肯くことしかできない。
「もう、シータ、無神経。」
「反省してる。」
しゅんとしているのを横目にして、さすがに伝えなきゃと思う。
「違うんです。」
二人の視線がイタい。
「羨ましかったり、でも疎ましかったり、よくわからなくなったんです。」
でも、うまく伝えられない。
「わたし、初めてなんです。
友達も両親もいないので。やさしくされるのも、あんなふうにからかわれるのも、楽しく笑うのも。
二人を見てたら、今までのわたしがホントいやになったんです。」
黙って聞いてくれている。
嫌われてもいいか。
そんな気がした。
違うな。
なんでだろう。
嫌われない気がした。
「わたしは母の顔を知りません。いなくなったのか、死んだのかすら知りません。
父はわたしを…」
「虐待してた。」
言葉に詰まるわたしの独白をシータさんが補完してくれた。
ヘスさんが咎める雰囲気だったので、それを制したく言葉をつなげた。
「シータさんの言うとおりです。たぶん、虐待になるんだと思います。
わたしはこんな性格だから、友達もいませんでした。
苛められないようにうまく距離をとりながらイイコを振舞うのがやっとです。」
コナ先輩だったら、そんなことはないって声高に否定するところだ。
それに救われたときもあった。
でも、向き合ってこなかったんだ。
そのことにいまさら気づいてしまった。
「本心をさらけ出す場所がホントは欲しかったんです。
コナ先輩に守られて、卒業したあとは後輩のペシタが守ってくれています。
対等の立場で言い合えるヒトがいる二人が羨ましくて。
そんなジブンの卑屈さをえぐりだした二人が、憎らしくなったんです。」
言ってしまった。
シータさんとようやく仲良くなれたのに。初めて憧れの男性を見つけたのに。
またすべてが終わった。
でも、後悔してない。
「ごめんなさい。」
頭を下げて、ゆっくり上げた。
たった一つだけオトナな二人がわたしをじっと見つめていた。
わたしは気おされるようにまたうつむきかけた。
「ミルクティ、冷めちゃったね。
新しいの入れてくるわ。」
シータさんが自分とわたしのカップを持って立ち上がる。
「え? 僕のは?」
「紅茶は見つけたけど、ヘス飲まないじゃん。コーヒーまでは探してませんので。
自分で探しなよ。」
溜息。苦笑。
「シータ、話変わるけど雪上のヒト型、ムネ小さい。」
ヘスさんをシータさんが容赦なくけっとばした。
わたし遠慮なく笑った。
つくづく羨ましくなる。
二人はわたしに気を使って遠巻きにするでもなく、自然に振舞ってくれた。
それは、わたしの弱さを受け入れてくれたと信じていいのだと思う。
やっぱりオトナだ。わたしの先輩なんだ。
「ヘス…先輩の分はわたし入れます。」
先に台所に行ったシータ先輩を追っかけた。
よろしく、彼は短く言った。その優しい口調に、また涙がにじんだ。
「あれ? ヘスは?」
紅茶を入れながら尋ねてきた。
「たぶん、外でタバコ吸ってます。」
「そっか。っていうか、神殿敷地内禁煙ですって言ったら?」
わたしはフルフルと首を横に振った。
「確かにタバコの匂い、嫌いなんですけど、ヘス先輩だけ特別許可します。
お世話になりましたし。」
「あっそ…」
聞こえてないつもりだろうか。
そのあとに「あいつモテるな」と言ったのを、わたしは聞き逃さなかった。
だからといって、反論する気はなかった。この感情が憧れなのか、それ以外なのかよくわからなかったし。
「シータ先輩…」
「なに?」
「ありがとうございます。」
何が?
と首をかしげた。
つくづく自然だ。ウソつくのも。
「それと、シータ先輩の話、もう一回聞かせてもらっていいですか?
先輩の過去話、全部ウソだと思って聞いてたんでマトモに覚えてないんです。」
「あら。正直者ね。」
あなたのせいです。
とは言えなかったので、曖昧に笑って返した。
「いいわよ。なんなら、ヘスの過去も暴露してあげるわ。」
「バカか、お前は。」
ヘス先輩も帰ってきた。
「あ、ついでに雪も除けといたから。」
「え? あ、そんな…」
「だいじょうぶ。雪の精霊さんにお願いして、勝手に一箇所に集まってもらっただけ。
今頃おっきなかまくらにでもなってるころじゃないかな。」
精霊界魔法使えるんだ。神界魔法と併用ってできるんだっけか。
驚いてそんな感じの質問をしたら、あっさり否定された。
仲のいい雪精霊がいるから、とのこと。
世界は広い。というより、わたしの常識が狭い。
「だったらはじめっからそうしろよぉ。
そしたら、私がハジかく必要なかったじゃないの。」
「シータは少しハジかいて、場の空気を読む練習しなさい。」
やっぱりヘス先輩が叩かれてる。
それから、わたしたちはシータ先輩の持ってきたケーキを食べながら、とりとめなくおしゃべりを続けた。
主に音楽関係の話になってしまったから、ヘス先輩は食に走っていた。
イチゴのショートケーキをほおばるヘス先輩がかわいいななんて失礼なことを思った。
「思いだしたくなかったら答えなくてもいいんだけど…」
日も落ちて二人が帰る。とたん淋しくなったけどしょうがない。
見送る門の前で、シータ先輩が躊躇いがちにわたしに尋ねてきた。
「父親のことって覚えてる?」
わたしは意図が掴めず、すぐには答えられない。
でも、小さく肯いた。
「父親のこと、どう思ってた?」
「どう…嫌いでした。」
「そっか。」
そこで会話が終わる。
東に向かう道。街の光が煌々と照る道に、二人の影が伸びる。
二人は何度もふりかえった。
わたしはだいじょうぶだよ、と伝えたくて、その度に大きく手を振った。
「行っちゃった…」
先輩たちはわたしのことを知っているのかな。
父親の命日まであと数日だ。
また、悪夢にうなされ、泣く毎日が続くのだろうか。
一周忌なんてするつもりはない。わたしひとりで暗闇に怯える…
パン。両ほおを勢いよく両手で挟んだ。寒いから想像以上に痛かった。
ひとりぼっちになると、やっぱりわたしは弱いままだな。
また、涙が出そうになった。ちらちらと雪が舞っていた。
早く桜にならないかな。
そうすれば、わたしはあのヒトたちと一緒のトコにいられる。
「いや、頼っちゃダメだ。
あのヒトたちの隣に自信持って立てるジブンにならなきゃ、これまでのジブンと同じだ。」
握りこぶしを突き上げて空を仰ぐわたし。
今は強いフリでも、いつかホントにしてやる。
「なにやってんの? ルビ先輩。」
見られた。恥ずかしさに身をちぢこませた。
「涙目で雪にパンチ。
ルビ先輩はコドモですか。」
「なんでペシタがいるのよ。」
「下校途中。
それよりさっきヘス先輩とシータ先輩を見かけましたよ。
声かけようと思ったら、角曲がっちゃったからお話できなかったんですけどね。」
悔しげに彼女は指を鳴らした。
「さっきまでウチにいたから、その帰り。
でも、まっすぐ家に帰らないんだ。」
ここから街までは一直線だ。
南側は壁沿いだから、北にいったということになる。北は山ん中に入っていく道だけど、こんな夜にどこ行くんだろう。
「えー! 先輩たち、ルビ先輩のトコにいたんですか!
なんでですか!
っていうか、なんであたしを呼んでくれないんですか!」
横で喚いているペシタをシカトして、わたしは夜闇に包まれた雪山を見つめた。
小さく桜色と濃茶色が揺れたような気がした。
早く春よこい。
桜が咲き乱れるキャンパスで、わたしはあのヒトたちの隣に早く立ちたい。




