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【02】真夜中・コンビニ

 玄関で物音がするので見に行ったら、泉があがりかまちのところで靴を履いていた。

「どこ行くの?」

 居間から顔だけ出して訊ねると、

「コンビニ」

 と短く答えが返ってくる。

「待って、あたしも行く」

 言い置くと、也美は慌てて居間を出て、階段を駆け上がり自分の部屋に向かった。壁に掛かったコートを手に取り、やっぱり慌てて玄関を目指す。

 玄関のドアは閉まっていて、誰の姿もなかった。

 也美はコートを着込み、靴に足を入れて爪先をとんとんと地面で叩きながら、家を出た。

 住宅街の真ん中にある家を出ると、左右に広くも細くもない路地が続いている。右側の方に、外灯と月明かりに照らされた細い影が見えた。也美はそれを追いかけ、隣に並ぶ。

「待っててねって、言ったのに」

 言った也美の言葉は無視された。

「何買いに行くの?」

「消しゴム」

 今度は答えてくれた。泉に、也美は「ああ」と頷いた。

 泉はいつも、消しゴムを最後まで使わない。四隅がすべて丸くなって、擦る時紙ケースに当たるのが嫌みたいで、そうなるとまた新しい消しゴムを買いに行く。ケースを切るのも嫌だと言っていた。みすぼらしく見えて、気に入らないらしい。

 じゃあ、いっそケースのところも消しゴムだといいのにね、とすごく考えてから也美が言った時、泉は少し考えた後、とても厳かで重々しい口調と顔で、「おまえはすごく馬鹿だ」と言った。「それじゃケースの意味がない」と言われてから、也美はああそうか、と気づいた。

 大して使っていないのに捨てるのは勿体ないから、也美の消しゴムはいつも泉のお下がりだった。

「また、MONOライト?」

「そう」

「いつもそれだね」

「一番よく消えるから」

 ゆっくり歩く泉の隣で、也美もゆっくり歩く。月は中途半端な三日月型で、暗い雲に中心を消されていた。

 もう日付が変わるくらいの真夜中だ。明日も学校。ふたりが通う高校は歩いてすぐの場所にあったから、始まるぎりぎりまで寝ていても大丈夫。

 家から数分のコンビニに辿り着くと、泉はさっさと文房具の並ぶ棚に向かった。也美はちょっとだけ甘い物の並ぶ棚を眺めてから、雑誌コーナーに向かって、いくつかの本をぱらぱらとめくる。あまり興味の持てそうな雑誌はなかった。すぐに飲み物の棚に移る。

「水、もうない」

 いつの間にか、隣に泉が来ていた。左手に消しゴムをひとつ持っている。

 也美はガラス戸を開けて、中から泉の好きなミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。泉はこれしか飲まない。

 それぞれ消しゴムと、ミネラルウォーターをレジに運んで会計をすませた。

「テープでよろしいですか?」

 店員に訊ねられ、泉はきっぱりと、

「嫌です」

 と答えていた。

「ごめんなさい、袋、下さい」

 隣で也美が店員に告げた。泉の言葉に一瞬ムッとしかけた若い男の店員は、申し訳なさそうに頼む也身を見ると、すぐに笑顔になって、小さなビニール袋に消しゴムを入れてくれた。

 店を出ると、冷たい夜風がふたりの体を包んだ。泉はTシャツにジャケットを着込んだだけの薄着で、也美は風上の方に立つと、風から泉を庇うように歩き出す。

 一・五リットルのペットボトルは少し重たかった。でも、ピアノを弾く大事な指を使わせる気なんてちっとも起きずに、也美はがんばってビニール袋を握る。

「コンビニだと、お水、高いね」

 来た時と同じように、ゆっくりと並んで歩きながら、也美は口を開く。

「スーパーでまとめ買いすると、安いんだよ。重いから持てないけど」

「まとめ買いなんて、無駄」

 寒いのか、ジャケットのポケットに両手を入れて、泉が答える。

「場所が塞がるし。必要になったら買えばいい、店なんて、すぐ近くにあるんだから」

 泉はシンプルなものと、シンプルなことが好きだ。部屋が散らかっているのは我慢できないし、余計なものが置かれているのも我慢できない。

 邪魔なものを捨てるのはすっきりする、と言う。油断していると、あとで切り抜いて取っておこうと思った記事のある也美の雑誌まで、ごみ箱に入れられてしまう。

 消しゴムをひとつしか買わないのも、同じことだ。

「必要なものはちょっとだけでいいんだ。本当に必要なものなんて、そうたくさんはないんだから」

 話す泉の声を、とてもいい気分で也美は聞いた。泉の声は冷たくて、ちょっと甘くて、聞いていると心地よい。

「じゃあね、じゃあ」

 ふと思いついて、也美は隣を歩く弟を見上げた。

「たとえば、どうしても無人島に行かなくちゃいけなくなった時、ひとつしか選べないとしたら、泉が絶対に持っていく必要なものは何?」

 泉はしばらく黙って、それから、

「本」

 と答えた。

「ピアノじゃないの?」

 ピアノほど泉の愛しているものはない。意外な答えに也美が首を傾げると、泉がまじめな顔で頷いた。

「ピアノは重いだろう。自分で『持っていく』のは非現実的だ」

 でも、無人島に行かなくちゃいけないっていう質問自体が非現実的なんだから、答えだけ現実的に考えるのはちょっと変だな、と也美は思った。思ったけど口には出さなかった。

「也は?」

 泉にも問われて、うーん、と也美はちょっと月を仰ぐ。

「泉、かな」

「馬鹿」

 答えると、なぜか泉に怒られた。也美はちょっと不満だった。

「おまえに俺が運べるわけない。非力なくせに」

「だって、泉があたしを持っていってくれなかったら、自分で泉を運ぶしかないじゃない」

「おまえは、一緒に行くんだろ。持っていくのは、もの。そういう質問だろ」

「……」

 ぎゅっと、也美は泉の腕に抱きついた。

「何だよ」

 迷惑そうに言った泉の、でも顔は笑っている。

「じゃあ、ふたりで泉のピアノを運ぼうよ」

「ムーリ」

 相変わらず両手をポケットに突っ込んだまま、泉はにべもなく答えた。

「今日、泉の部屋で寝てもいい?」

 家の灯りが、もう間近に見えている。

「寝れば」

「明日学校に行く時、起こしてね」

「わかった。ちゃんとベッドから突き落とす」

「優しく起こしてね」

「無理」

 泉が辿り着いた家の門扉に手を掛けた時、也美はそっとその腕から、絡めていた自分の腕を離した。

「で――」

 玄関のドアを開けながら、泉が也美を振り返る。

「也は、何持っていくの」

 一瞬、何の話かを見失ってから、也美はすぐに無人島の続きだと思い至った。

「わからない。何もなくて大丈夫かも」

「何だ。つまんない奴」

 本当につまらなさそうに言って、泉はさっさと玄関で靴を脱ぎ、自分の部屋に戻ってしまった。

(だって、泉がいるから)

 何となく言葉にできず、階段を登っていく泉の後ろ姿をその場で眺めながら、也美はただ思った。

 一緒に行くのなら、必要なものなんて他にない。

(他にいるものなんて、ないから)

 泉の部屋のドアが閉まる音を聞いてから、也美は居間に入ると、冷蔵庫にミネラルウオーターをしまい、泉の後を追ってその部屋に向かった。

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