序章
騒ぎは酒舗で起こった。野次馬は皆手に槍や棍棒、中には火縄銃などを携えている連中も見られる。別に
この城市が、格別血の気の多い野次馬ばかりという訳ではない。帝国は二十年前のミロク教徒の内乱この方、千々に乱れ、治安が悪化した地方では野盗の群れが跋扈して、都市一つ乗っ取ることも珍しくない。
まして新規開港の多いロワール州このあたりでは、傭兵崩れのごろつきが暴れまわることが多かった。
やがて中で起きたのは、ただのいざかいであると知る。しかし、見物たちは、中の勝手が、ただの酔っ払いの喧嘩ではないことに気づいた。
「誰に口を聞いてる、お嬢ちゃん?」
一目で兵隊崩れか追いはぎの類と分かるゴロツキどもが、十数名、少女を取り巻いていた。どうやら少女は男どもに食って掛かっている、
「いい、酔っ払い、よく聞きなさい」
といっても、女兵士や侠女といった類の女性ではない。年のころは十五、六、長い黒髪に赤いリボン、けばけばしいレースとフリルの服装に身を包み、外見からは少女趣味の媒酌婦としか思えない。
「あんたたちが、私の服を汚したの」
少女は緋色の燃えるような瞳で、男を睨む、が、そのロリータな身なりと可憐すぎる容貌があいまって、ゴロツキ連中にも冗談にしか見えない。跳ね返り娘が、見境なしにトラの尾を踏んでいると誰もが思った。
「さっさと謝罪して、この酒舗から出て行きなさい」
一瞬あと、爆笑が響く。体格のよいゴロツキ連中はみな弾けたように笑い転げた。
「えへへへ、怖いな~お嬢ちゃん、ついでに、俺にお酌してくれよ」
「てめえこの店の売女か?ちょっくら付き合え」
男が手を伸ばして、少女はそれでも冷静だった。かるく身構え、そのとき。甲高い声が響いた。
「あいや待て!」
男どもが動きを止める。野次馬の中から一人の若者が飛び出した。
「婦女子一人に大の男がよってたかって卑怯だ。拙者、捨てておけん」
今度は何だ、とばかり周りの一同見つめる。男の話す正則語には妙な訛りがあり、腰に異国風の刀を差している。
「なんだてめえ?」
「拙者は外つ国の武士。この少女に代わってお前たちの相手をする」
男どもも、外国の傭兵かと身構える。じりじり対峙するが。
「け、酒がまずくなった。行こうぜ」
と、やけにあっさり店を出て行った。出て行き頭、リーダー格らしきがじろりと若者を睨んだ。
「娘さん、もう大丈夫だぞ」
若者は、少女の顔を覗き込む。お礼の言葉を期待していたのだ。
「バカね、邪魔しやがって」
少女は若者を睨みつけた。
「へ?」
「へじゃない、あの連中にケジメつけるの、逃した」
「なんでついて来るの?」
少女が酒舗を後にすると、彼はすぐ跡を追っていた。
「君は危なっかしくていかん」
彼は頭をかきかき、
「どうも世間を知らないお嬢さんのようだ。しばらく拙者がついていこう」
「うざったい」
「ははは」と、笑った。
「照れるではない。拙者これでも三十路まえ、子供には興味ない。拙者はアクランド、はるか海の向こうイースタン国から来た傭兵だ。名前はアクランド。君、名前は?」
少女はため息をついていたが、
「アリエル」
短く答えた。
「そうかアリエル、気の強い女子なのはいいが、もうあんな無茶するといかんぞ」
そういいつつまわりの煤けた歓楽街を眺め、
「しかしこの国はどうしてこんなに物騒なんだ?」
「そーいやあんた、外国から来たといったわね?」
「うむ、祖国にいる間、唐人町で言葉をどうにか覚えたが、ここらの事情は分からない」
「去年、オピウム戦争があったのは知っているわね?」
「外洋人が麻薬を売りつけたゆえの戦だな」
「そう、それ以来こんな調子」
アリエルがいうには、外洋人との戦役に参加した各地の民兵が、失業と同時に盗賊の類となってこの沿海地方を荒らしまわっているという。
「それでは大変だろう。拙者が守ってやる」
アリエルは露骨に顔をしかめた。
「結構よ、どうせしょーもない下心からなんでしょ?」
「で、お前、親父おふくろはどこにいる?」
アクランドはまったく聞いていない。
「あのねえ、私は……」
「よう色男、探したぜ」
声は、街角を差し掛かったあたりにかかった。
「お前たち……!」
先ほどのゴロツキ連中だった。皆手には火縄銃をさげている。
「さっきは舐めたまねしてくれたな。ちょっくらこれ取って来るのに手間取って、逃がすところだったぜ。てめえは嬲り殺して、餓鬼のほう犯しまくってやらあ」
アクランドの顔色が青くなる。ゴロツキの人数は二十名近い、その上、飛び道具、勝目はないと悟ったのだ。
「おい、アリエル。下がっていろ」
「どうするの?」
「拙者が捨石になってこいつらを切り伏せる。お前はその隙に逃げるのだ」
アリエルは驚きに勝気な目をしばたかせた。
「どうして、そこまでする?私はさっきあったばかりの見ず知らずの小娘でしょう」
「そうだ違いない。が、か弱い女子を見捨てて逃げては、武士の心意気が立たぬ、ここで死ぬのが拙者の定めらしい」
「……あんた、本当バカね」
アリエルはふっと笑って、そして進み出た。アクランドは自分の手の違和感に見やる。そして驚いた。いつの間にか刀はアリエルの手にあったのだ。
「いつの間に?こ、こらそれは玩具じゃない!危ないからよせ」
「なんだ~お嬢ちゃんが決闘の相手してくれるのか~?」
男どもはまた大笑いする。しかし、その場の誰も、四十斤あるイースタン刀を少女が軽々と持っている事実が意味することに気づかない。不用意に近づいた瞬間、赤い煙幕が開き、みな立ち尽くした。男一人の首は地面を舐めていた。
「なっ!」
男どもはようやく慌てる。少女は軽々と刀を振って、一人の首を刎ねたのだ。一斉に銃口をアリエルに擬す。
「こ、この野郎、妙な術を使うぞ!」
男どもが二列横隊を組んだ。
「死ね!」
銃声が響いた。
男たちが少女の死を予見した瞬間、血しぶきが起こる。少女がさきほどまでいた空間には誰もいなかった。アリエルは銃弾を「避けて」いた。また男が数人死体となって転がる。
「ば、バカな……!」
見る間にゴロツキが、くしの歯が欠けるように倒れていく。
「ひ、ひええ!なんだこいつ、つええぞ!」
「ぎゃあああああああああ、動きがはええええええっ!」
「この化け物め、殺った!」
瞬間、仲間の死体に隠れて、リーダ格が銃を放った。火縄銃は装弾まで時間がかかる。一人撃たずに措いていたのだ。
キン
乾いた音がした。
アクランドもゴロツキも目を見張っていた。地面を転がっていたのは、両断された銃弾だった。
「さ、皆殺し、つづけよ」
アリエルは血しぶきをあげてうっとりと歌い上げた。
「旦那、これはあんたがやったのか。すげえな!」
惨殺死体が転がる中、すぐに港の苦力たちが寄ってきた。アクランドは刀をさげて呆然としている。アリエルはその隣で、汚そうに手についた血を拭っていた。
「そ、この人イースタンの傭兵さんなの」
苦力たちは感心していたが、ふいに一人が漏らした。
「でも、やばいぜ。こいつら」
「ただのチンピラでしょ?」
「そうだが、そうでない。こいつら、ロワール巡撫のオーギュスタン様に雇われていたんだ、つまり大官さまの私兵だ」
「そう。だから銃なんかもってたのね。で、だからなに?」
「だ、だからって、あんたたち賞金首になるぜ?」
「なら、その巡撫をぶっ殺せばいいだけよ」
アリエルは真っ赤な瞳をうるうると潤ませた。
「君はいったい何者なのだ?」
城市の門を抜けて、二人はとりあえず近郊の宿場まで逃げることにしていた。途上、アクランドが問いただす。
「誰が、ただの私がか弱い女の子だといったの?」
アリエルはフリルのスカート楽しそうにつまんで、
「私、ガロンヌの実家から傭兵にでもなるつもりで出てきたの。侠女よ」
「それは分かった。だが、どうやった?あの時、明らかに君は。弾丸を目で『見て』いた」
「私、ちょっと目はいいほうなの」
「そういう問題ではないだろ!」
アリエルはため息一つ、
「細かいことに煩い男ね。賞金首さん」
それでアクランドも思い出した。自分はアリエルの代わりに、巡撫の手下を殺した賞金首となったのだった。
百五十年前、北方の征服者によって立てられた他民族国家、帝国はつい二十年前まで繁栄の絶頂にあった。
だが、ジョージ五世帝の末年を境に、衰運も見え隠れする。宗教結社ミロク教徒が各地で反乱を起こし、戦火は帝国本土の半分に及んだ。正規軍は腐敗して使い物にならず、多数の民兵団が動員され、反乱鎮圧後はこれらが武装解除を拒否して新たな反乱集団となった。
これにより帝国の権威は大幅に下落した。追い討ちをかけるように、外洋人によるオピウム戦争が起こり、優れた銃砲と機械産業を持つ外国の前に、帝国は完敗し、ますます斜陽の態をあらわにする。
この国難を救おうにも、地方官はみな腐敗し、先ほどのようなゴロツキが跋扈するありさまだった。
「まあとにかく無茶はするな」
「分かった、しないよ、さっきのもかなり時間を使ったし……」
アリエルは意外なくらいあっさりうなずいた、「ところで」と切り出す。
「あなた、外洋人が強いのはなぜか知っている?」
「それは、妙な術を使うからだ。それに気水船や刻旋銃を持っている」
「それをできるのは、連中に機械産業というのがあるから。巡撫オーギュスタンは帝国の機械産業に重税をかけているそうよ」
アリエルは瞳を燃えさせ、
「だから、オーギュスタンを殺すなら、商売人に喜ばれそうね。いくらもらえるかな」