転生して気がついたら断罪中でした ~おっぱいは正義~
おっぱいが大好きな王子様のはなし。
「レナーテ・フォン・ヴェルクハイム! 貴様の罪状は、既に明らかである!」
声が、天井まで届いた。
いいぞ。今の、よかった。
三ヶ月かけたんだ、この日のために。証言を集めて、証拠を揃えて、台詞は鏡の前で三十七回練習した。三十八回目で兄上に見られた。あれは死ぬかと思った。なんとかごまかしたけど。
隣では男爵令嬢リリィが俺の袖を掴んで小鳥みたいに震えてるし、壁際には衛兵がずらっと並んでるし、貴族連中はざわついてるし、シャンデリアはまぶしいし。
完璧だ。
完璧な断罪の舞台じゃないか。
正面に立ってるのが、公爵令嬢レナーテ・フォン・ヴェルクハイム。
俺の婚約者。銀の髪に、凍った湖みたいな青い目。
婚約者に衆人環視で罪を並べられてるってのに、表情ひとつ動かさない。逃げない。俯かない。
……くそ。
こんなときでも綺麗なんだよな、この人は。
七年見てるのに、いまだに正面から向き合うと息が詰まる。今日で終わらせるつもりで来たのに、まだ見ていたいと思ってる自分がいる。
そして。
……胸が、でかい。本当にでかい。巨乳。
いや待て。
待て待て待て、今そこじゃないだろ俺。
国家の正義を執行してる最中だぞ。王太子だぞ。
袖には守るべき令嬢がぶら下がってるんだぞ。四百人が見てるんだぞ。
だが視線が動かない。
ドレスの、その、構造上の限界に挑戦してるあたりから離れてくれない。
彼女が一歩踏み出すたび、ほんの少し遅れて、ぷるるん、と。
ぷるるん。
――ドッ、と。
頭の奥で、何かが弾けた。
________________________________________
視界が白く飛ぶ。
そして、流れ込んできた。
きれいに片づいたワンルーム。ベッドにはクッションが並んでて、テーブルには誰かにもらった花。
そしてスマホの画面に並んだ、何人ぶんもの男の名前。
『優里ちゃん、今日空いてる?』 『優里、この前言ってたやつ買っといたよ』 『ゆうりちゃん、電話していい? 声聞きたい』
――あ。
私だ。
篠原優里、二十四歳。
身長百五十二センチ。体重四十一キロ。上目遣いの最適角度、十五度。語尾を〇・三秒だけ伸ばすと、大抵の男は落ちる。「えー、そうなんだぁ」で八割片付く。残り二割は、袖を掴んで黙る。
そして貧乳。
Aカップ。盛って、A。
ブラの内側にはいつも二枚重ねのパッド。
あれは装備品だった。防具じゃない。武器だ。
それでもモテた。モテにモテた。
ただし体だけは誰にも許さなかった。そこだけは絶対に渡さなかった。おかげでみんな必死になった。届かないものが一番高く売れるんだよ。
付き合ってたわけじゃない。誰とも。
ただ、いい感じにやり取りしてる男が常にそれなりにいただけ。ごはん行って、荷物持ってもらって、たまに何か買ってもらって、「今度ね」って言い続けるだけの関係。
そんな私にも、本命ができた。
出会った瞬間わかった。この人だ、と思った。
あの人もそう言ってた。同じことを、真剣な顔で言ってた。
言葉は嘘つけても、目は無理でしょ。そう思ってた。
本当に好きで好きでしょうがないって目で言うんだもん。信じるじゃん、そんなの。
男にも女にもモテる人だった。並んで歩くと、みんな振り返る。
本気で愛したのはお前だけだって言ってた。
今までのは全部違ったって。お前が初めてなんだって。
だから男友達は全部切った。既読つけずに終わらせた。
残ったのは家族と、大好きな巨乳の親友と、彼氏だけ。
玲奈、今どうしてるかな。
高校からの腐れ縁で、私が唯一なんの計算もしないで喋れる相手だった。
巨乳で、美人で、大好きだった。
……ってか、どんだけ胸好きなんだよ私。
Fカップ。しかも本人はそれをまったく武器にしない。
もったいないって百回言った。百回とも笑われた。
最後に会ったのはいつだったっけ。
彼氏ができてから、なんとなく減った。減らしたのは私だ。
彼のマンションの合鍵ももらってた。歯ブラシも置いてた。あの人の好きなものばっかり作れるようになってた。
将来の話もしてた。子どもは二人がいいとか、その頃には郊外に住みたいねとか、そういう話。結婚って言葉は、あの人のほうから出した。
すっぴんも見せた。パッドも外した。
男の前では、絶対に外さなかったのに。
そしたら、そのままでかわいいよって言ってくれた。
深く恋に落ちた。
……と、思ってた。
その本命の、浮気相手に、刺された。
彼のマンションの階段の下で。「あんたのせいで、あの人がわたしのものにならない」って言われながら。
バチが当たったのかな。
男の心を散々もてあそんで、期待させるだけさせて、何も返さないで生きてきたから。
……いや、それにしたって刺すか?
いやおかしいでしょ。
浮気したのは彼氏で、私は本命で、あんたが後から来たんでしょ。なんで私が刺されるの。順番おかしくない?
最後に見たのは、生ぬるいアスファルトと、血だまりに映った街灯の光。
________________________________________
で。
今。
俺は。
「え……なんで俺、王子なの?」
声に出てた。
大広間が、しん、とした。
まずい。
いや落ち着け。落ち着け俺。
俺はユーリ・レーヴェンハルト。この国の第二王子。十九歳。
第二王子なのに王太子をやってるのは、兄上のせいだ。隣国の女王に惚れて、あっちの王配になるって言って、継承権をあっさり捨てた。恋で国を一個乗り換えた男だぞ。
……血筋か? これ血筋なのか?
剣術は近衛団長に十七連敗。歴史学は下から二番目。去年の建国祭で祝辞の原稿を落として二分間黙りこくった男。
……いや待て。悪いところばっかり数えるな。
顔はいい。かなりいい。夜会のたびに令嬢が壁際に列を作る。剣だって副団長には十戦十勝だ。近衛団長がおかしいだけであって、俺は強い。歴史学は下から二番目だが、下から二番目ってことは一人には勝ってる。
だいたい歴史学が壊滅的なだけで、総合成績はずっと二位だ。一位はいつもレナーテで、七年間ただの一度も勝てなかったけど、それでも万年二位だぞ。
そこそこやれてる男なんだよ、俺は。
その記憶もある。ちゃんとある。十九年ぶん、全部。
篠原優里の記憶もある。二十四年ぶん、全部。
両方ある。
両方あるって何なんだよ。
頭の中に二人分の人生が入ってて、しかも両方とも自分だって実感がある。
俺は今、断罪の途中で、二十四歳のあざとい女の記憶を全部思い出した十九歳の王子だ。
待って。情報量が多すぎる。
「殿下……?」
袖が引かれた。
リリィだ。
見下ろす。
栗色の柔らかい髪。潤んだ瞳。震える睫毛。
俺の袖をきゅっと掴む細い指。そして上目遣い。
角度、十五度。
「……あ」
「殿下? どうか……なさいましたか……?」
語尾、〇・三秒。
「……あー」
いや。
いやいやいや。
まじまじと見る。小さい。細い。守ってやりたくなる系。
声量は控えめ。触れるか触れないかの距離で、手じゃなくて袖を掴んでくる。
手だと重いからだ。袖なら「思わず」で通せるからだ。
知ってる。
そして。
平ら。
いや平らってのは失礼だな。
慎ましい。だがこの慎ましさには覚えがある。パッド二枚ぶんの覚えがある。
顔まで似てる。前世の私が金髪碧眼でガチャ引き直したらこうなるって顔だ。
二十四年つきあった顔だぞ。見間違えるわけがない。
……こいつ、俺だ。
いや俺じゃないけど、俺だ。
「……うわ」
「え?」
「いや。なんでも」
なんでもなくはない。
無理だわ。
生理的に無理って言葉、前世で軽率に使いすぎてたと思う。でも今わかった。本物はこういうときに来るんだ。鏡だ。しかも、自分がいちばん嫌いだった頃の自分を、他人の顔で、至近距離で見せられてる。
袖から、そっと指を外させた。
「殿下?」
「……少し、離れていろ」
顔を上げる。
正面。レナーテ。
まだそこに立ってる。背筋を伸ばして、顎を引いて。婚約者に公衆の面前で罪を並べ立てられて、一言の弁解もせず、まっすぐ俺を見てる。
その目を見て、思い出した。
十二歳の春。婚約の顔合わせ。庭園の東屋で、俺は必死に用意してきた話をした。剣術の話と、飼ってる犬の話と、なぜか歴史の年号の話をした。
彼女は最後まで黙って聞いて、それから「そうですか」と言った。
それだけ。
十三歳。十四歳。十五歳。何を言っても「そうですか」だった。俺が転んでも、熱を出しても、剣術大会で三回戦まで勝ち上がっても、「そうですか」。
一度も笑ってくれなかった。一度もこっちを見てくれなかった。
だから俺は。
だから俺は、袖を掴んでくれる子のところに行ったんだ。上目遣いで見上げてくれて、「殿下はすごいです」って言ってくれて、話を聞いて笑ってくれる、簡単なほうに。
……あー。
そうか。
好きだったんだ、俺。
ずっと好きで、ずっと見てもらえなくて、それが辛くて、逃げたんだ。
んで、逃げた先で拾ってきた証拠で、好きな人を断罪してる。
最悪じゃん。
前世の私を刺した女と、やってること同じじゃん。
……いや同じではないな。あっちは刺した。こっちは刺してない。
でも同じくらい最低だわ。自分が見てもらえないからって、好きな人の人生ぶっ壊しにきてんだから。
「……断罪は、中止する」
言った瞬間、大広間がざわついた。
いや。
いや違うな。
中止じゃない。
「――いや。訂正する」
俺は息を吸った。
「貴様の罪状を、改めよう」
大広間が静まる。
「レナーテ・フォン・ヴェルクハイム。貴様の罪は――窃盗だ」
「……窃盗?」
初めて、彼女の眉が動いた。
「わたくしが、何を盗んだと」
四百人が、俺の返事を待ってる。
そして俺の口が、勝手に開きかけてる。
言うな。
言うなよ俺。ここで言ったら戻れないぞ。三ヶ月かけた断罪が、家名が、王家の面目が、全部おしまいだぞ。
やめろ。喉が動いてる。
やめろって。
「俺の心だ」
えー。
言った。言っちゃった。え、まじで言っちゃったの? え、なに、今何言ったの俺?
はっず。
いや恥ずかしいで済むか。ルパンの最後のやつかよ。
あれな、盗んだ本人がいなくなったあとに、残された側がぽつりと言うから決まるんだよ。
しみじみするから決まるんだよ。
本人に向かって、面と向かって、四百人の前で言うもんじゃないんだよ。しかも十九のガキが。証拠書類抱えたまま。
「七年前から、ずっと。返せとは言わん。返されても困る」
やめろ。もうやめろ。誰か俺を止めてくれ。
「よって――責任を取って、俺と結婚しろ」
大広間が、どよめいた。
________________________________________
おい。
おいおいおいおい。
待て、今なんて言った。今の俺、なんて言った?
落ち着け俺。これは前世の記憶が戻ったせいじゃない。
嘘つけ!
「――念のため言っておくが」
言うな。
「これは純粋に、王太子としての判断である」
判断? 何が判断だ。判断してたらこうなってないだろうが。
「よって断罪は継続する。貴様は罪人だ。罪人は罰を受けねばならん。罰は――俺との結婚だ」
なんでそうなるんだよ。
いや自分で言ったんだけど。自分で言っといてなんだけど。理屈が一周回って自分の首絞めにきてるんだけど。どこで間違えた? 最初から?
そこで、横から声がした。
「殿下、いけません!」
リリィだ。忘れてた。ずっとそばにいたのに忘れてた。
見下ろすと、涙が一粒、ちょうどいい速度で頬を伝っていくところだった。
……ちょうどいい速度で?
いや待て。今、俺、何を採点した?
「その方は、わたくしを階段から突き落とした方ですのよ……?」
うわ出た。
語尾の震え、〇・三秒。視線は俺の胸元、そこから十五度上げて、下から。袖じゃなくて今度は襟を掴んできた。距離を詰めるときの上位版だ。
知ってる。
全部知ってる。
だって俺が使ってた。
可愛いよ。可愛いんだよ実際。
この角度、この速度、この指の位置、はい、大正解。
俺が二十四年かけて積み上げた技術だぞ。効かないわけがない。
現に効いてる。今も効いてる。心臓のあたりが「守ってやらねば」って言ってる。
体が勝手に反応してる。
だから腹が立つんだよ!
自分の技で自分が落とされてどうすんだ。オレオレ詐欺の犯人が自分の電話で振り込むようなもんだろ。
「殿下……? どうか、なさいましたか……?」
上目遣い。角度、十五度。
一度伏せて、〇・八秒待って、また上げる。
その〇・八秒だよ。
そこなんだよ。
そこ、本当は〇・六なんだよ。〇・八は待ちすぎ。〇・八だと「作ってる」が透ける。
俺は最後の三年で〇・六に詰めた。〇・六が黄金比なんだよ!
いや何を採点してるんだ俺は。
なんで断罪の途中で後輩の指導みたいなことになってるんだ。
だがな。
だがな、リリィ。
いちばんダメなのはそこじゃない。
いちばんダメなのは――
盛ってないだろお前。
見ればわかる。俺には見ればわかる。詰めてない。パッドが、入ってない。
なんでだよ。
なんで入れないんだよ。せっかくそこまで完璧に作り込んで、なんで一番でかい伸びしろを放置してんだよ。
二枚だぞ。二枚重ねるだけで世界が変わるんだぞ。俺はそれで何人落としたと思ってんだ。
いやそんなことしてたから罰が当たって、最後は刺されて死んだんだけども。
「……あの、殿下?」
「……お前」
「はい」
「なぜ、詰めていない」
「え」
リリィの目から、涙が引っ込んだ。
引っ込むんだ。
え、これ引っ込むんだ。新技術じゃん。俺のときはこんなのなかったぞ。見習いたい。
……いや、じゃなくて。
「……は? 何を、ですか」
素が出た。今、完全に素が出た。
やめろ。今の顔をやるな。可愛くない。可愛くないぞ今の顔は。二十四年やってきた俺が言うんだから間違いない。
と思ったら。
戻った。
一瞬で戻った。
睫毛が伏せられて、肩が縮んで、瞳がまた潤んで、声の高さが半音上がる。所要時間、およそ一秒。
……うまい。
いやうまいよ。悔しいけどうまい。俺、それ三秒かかってたわ。
「……よくわかりませんけれど、殿下……? わたくし、何か……」
「いや」
待て。
待て待て待て俺。
今の、言っちゃダメなやつだろ。
十九歳の王子が、公衆の面前で、男爵令嬢に向かって「なぜ詰めていない」。
字面で見ろ。終わってる。何をどう説明しても終わってる。
父上に報告されたら廃嫡どころじゃ済まない。
いや、廃嫡はないかもしれない。ないかもしれないが、母上に伝わったら一生口をきいてもらえないかもしれない。
あの人も、いろいろ慎ましい人だから。
「……いや、なんでもない」
「え、でも今」
「なんでもない」
「詰めるって、何を」
「なんでもないと言っている」
「殿下、お顔が」
「なんでもない!」
大広間に響き渡った。
四百人の前で、王太子が「なんでもない!」と絶叫した。
なんでもなくないだろ。
「殿下……」
またあの声だ。半音上げてきた。
「わたくし、何かご不快なことを……?」
不快じゃない。技術的な話をしただけだ。
いや技術的な話ってなんだよ。何の技術だよ。
「していない」
「でも、殿下は今、わたくしのことを」
「していない」
「わたくしのどこかが、足りていないと」
足りてない。足りてないよ。二枚ぶん足りてない。
「していないと言っている」
「……ですが」
そこで、ほんの一瞬。
リリィの目が、すっと平たくなった。
出た。素だ。〇・二秒。周りは誰も気づいてない。俺だけが気づいてる。あれは「こいつ、思ってたのと違うな」って計算し直す顔だ。俺も何度もやった。だいたい相手のスマホを見たあとにやってた。
戻った。また戻った。今度は〇・五秒。
早くなってるんだよ。焦ると早くなるんだよ。それ雑になってる証拠だからな。
「わたくし、殿下のお役に立ちたくて……」
やめろ。その台詞は在庫が切れたときに出すやつだ。それ言い出したら手札ないの、俺が一番知ってるんだよ。
「リリィ」
「はい」
「もういい。少し黙っていろ」
「そんな……!」
「頼むから黙っててくれ」
素で言った。素で頼んだ。王太子が男爵令嬢に懇願した。
そのときだった。
「殿下」
背筋が凍った。
その声のことを、俺は七年間知っている。何を言われても「そうですか」しか返してこなかった、あの、平らな声だ。
レナーテが、扇で胸元を隠したまま、こちらを見ていた。
「先ほど、なんとおっしゃいましたの」
「……何の話だ」
「詰める、と」
聞いてた。
聞いてたわこの人。あれ、リリィにしか聞こえてない声量だったぞ。宰相も気づいてないぞ。なんで聞こえてんの。
すごくない?
いや、すごいんだよこの人。昔から。十四歳で三ヶ国語やって、社交界の名前と家紋を全部覚えてて、去年の穀物法の会議じゃ大臣三人まとめて論破してたからな。俺はその場にいたけど何の話かわからなかった。
優秀なんだよ。おっぱいがでかいだけじゃないんだよ。
優秀で、しかもでかい。
でかくて、ぷるぷるで、しかも三ヶ国語。
そういうところが好きなんだよ。
三ヶ国語がおまけみたいになってるな今。
いや逆だろ。逆。三ヶ国語が主で、そっちがおまけだろ。
……いま順番おかしくなかった?
「気のせいだ」
「気のせいではございませんわ。はっきりと」
「幻聴だ。緊張していると人はよく聞こえすぎることがある」
「では、その幻聴の内容を、もう一度おっしゃってくださいます?」
無理だ。
無理無理無理。この人、逃がす気がない。
……いや待て。
待てよ。
「詰める」だぞ。「詰める」って、別に胸だけの言葉じゃないだろ。
将棋も詰める。話も詰める。日程も詰める。距離も詰める。
いける。
いけるぞこれ。
「……詰めが甘い、と言ったのだ」
「詰め」
そう。名詞の「詰め」だ。動詞じゃない。ましてや胸の話でもない。
詰将棋の詰めであり、仕事の詰めであり、断罪の詰めだ。何も後ろ暗いところはない。
「そうだ。詰めだ。断罪のだ」
咳払いをして、姿勢を正す。王太子の顔を作る。
「考えてもみろ。俺は三ヶ月かけて証拠を集めた。だが今、その証拠を一つ一つ検討し直したところ、どうも詰めが甘い。詰め切れていない。詰めが、詰まっていない」
言葉数が多い。
嘘つくやつは言葉数が多い。前世の俺がそうだった。
今世の俺もそうだった。
「だから中止したのだ。断罪をな。詰めが甘い状態で人を裁くのは、王族として恥ずべきことだ」
「まあ」
レナーテが、扇の陰でわずかに首を傾げた。
「では、リリィ様に『なぜ詰めていない』とお尋ねになったのは」
「……それは」
「リリィ様が、詰めていない、と」
「……そうだ。彼女の証言もな。詰めが、甘い」
隣でリリィが「え?」と言った。
黙ってろ。今お前は詰めが甘いことになってる。それで丸く収まるんだから黙っててくれ。
「そうですの」
来た。「そうですか」の親戚だ。七年聞き続けた音だ。
助かった――
「ですが殿下。先ほどは『二枚』とおっしゃっていましたわね」
え、えー、言ってない。
言ってないよ? 言ってないよな、え、口に出してた?
心の中では言った。心の中では確実に言った。二枚重ねると世界が変わるって言った。
でも口には出してない。出してないはずだ。
「……二枚とは」
「証拠の書類が二枚足りない、という意味では?」
助け舟だった。
助け舟なのか?
この人、今、俺を助けたのか? それとも遊んでるのか?
扇の上から覗く青い目は、いつもの平らな目だった。何を考えてるのかまったく読めない。七年読めなかったものが、今日読めるわけがない。
「……そうだ。二枚だ」
「では、その二枚が揃えば、断罪は再開されますの?」
「されん」
即答した。
「なぜ」
「揃わんからだ」
「なぜ」
「揃えたくないからだ」
言い切った。
言い切ってから、しまったと思った。
今のは、完全に「最初から罪なんかなかった」って認めたのと同じだ。三ヶ月かけた断罪を、王太子が自分の口で、四百人の前で、根こそぎ否定した。
宰相が何か言おうとして、やめた。
「殿下」
「なんだ」
「わたくし、少し混乱しておりますの」
嘘つけ。
この人が混乱してるところ、七年で一度も見たことない。俺が階段から落ちたときも「大丈夫ですか」の前に「医者を」って言った人だぞ。
「先ほどから、話がずいぶん飛びますわ。窃盗、結婚、詰め、二枚」
並べるな。
並べられると、俺が完全におかしい人みたいじゃないか。
いやおかしいんだけども。
「順を追って伺ってもよろしくて?」
「……よい」
言うしかなかった。
「まず。殿下は、わたくしが何かを盗んだと」
「言った」
「何を」
来た。
さっき一回言った。一回言ったんだから二回目は楽なはずだろ。楽なはずなんだよ。
なんで喉が渇いてるんだ。
「……心だ」
「もう一度」
「聞こえてただろ!」
「聞こえませんでしたわ」
聞こえてる。この人、リリィにしか届いてない声量の「詰める」を拾った人だぞ。目の前で聞こえないわけがあるか。
わかっててやってる。
わかっててやってるなこの人。
……そういうところなんだよな。
もうやめて。許して。俺のHPとっくにゼロだから。
「窃盗」で半分削られて、「詰める」で削り切られてるから。今もう死体を殴ってるだけだからそれ。
なんかもう、やけくそになってきた。
「俺の心を盗んだと言った。七年前からだ。文句あるか」
視界の端で、近衛団長が信じられないという顔をしてこっちを見てる。
見るな。
そんな顔で見るな。あんたに十七連敗してる男の話だぞ。今さら幻滅する要素なんか残ってないだろ。
「ございませんわ」
「ないのかよ」
「ええ」
扇が下がった。
……ん?
いや今の。今の見えた。口の端、絶対上がってたぞ。
見間違いか? 見間違いであってくれ。あれ本物だったら俺、今日ここで死ぬぞ。
「殿下」
「なんだ」
「わたくし、七年前から、ずっと待っておりましたのよ」
は?
「……何を」
「殿下が、わたくしの目を見て、何かおっしゃるのを」
大広間が静まっていくのがわかった。
「わたくし、殿下がお話しになるたび、何とお返ししてよいかわからず。気の利いたことなど、何ひとつ申し上げられませんでしたわ」
え、まって。
待て待て待て。
「だから『そうですか』か」
「……ええ」
嘘だろ。
嘘だろおい。
七年だぞ。七年間「そうですか」で殺され続けたんだぞ俺は。あれ全部、照れてただけってことか?
え、まって、そんなことある?
あるんだよ、そういうことが。
あるんだよ実際に。俺が知ってる。前世の俺が、まさにそれだったからな。どうでもいい男には完璧に喋れるのに、本命の前だけ全部飛ぶんだよ。技術も、間の取り方も、何もかも。
そんで、言えないぶんを全部行動で埋めようとするんだよ。ごはん作ったり、合鍵もらって喜んだり。言葉のかわりに、そういうので。
……もしかして、あれもそうだったのかな。
行動だけじゃ足りなかったのかな。だからあの人浮気したのかな…
あー。
あーーー。
「……七年、無駄にしたな」
「ええ」
パチン、と扇が閉じた。
出た。おっぱいだ。すごいおおきい。ぷるぷる。すき。
見るなよ。見るな。見るなって俺。今のは絶対に見ちゃいけないやつだろ。七年の集大成が全部パーになるやつだろ。
見た。
〇・一秒で見た。前世で鍛えた反応速度が、こんなところで火を噴いた。
嘘つきました。ごめんなさい。凝視しました。がっつり。
「殿下」
「見てない」
「何をですの?」
しまった。
墓穴だ。掘った。自分で掘って自分で入った。
誰も何も言ってないのに「見てない」って言うやつ、それもう見たって言ってるのと同じだからな。前世じゃそれ、追い詰める側だったんだよ俺。「見てないって何が?」って。得意技だったんだよ。
姿勢を正す。
背筋を伸ばし、顎を引き、この国の王太子として、四百人の前で、はっきりと言った。
「レナーテ・フォン・ヴェルクハイム」
「はい」
「七年、待たせた。すまなかった」
「……殿下」
「償わせてくれ」
一歩、踏み出す。
いや待て。
待て待て待て、足が勝手に出てる。
なんで出てんの。俺、出せって言ってないんだけど。誰が出した。俺か。俺だな。
「あの、殿下?」
止まれ。
止まれって。おい足。おいこら。
止まらん!
真剣な顔のまま、彼女の前まで歩いていって、両肩に手を置いて――
おっぱいに顔を、埋めた。
「殿下!?」
おいおいおいおいおい。
嘘だろ。嘘だろ嘘だろ。何やってんの俺。何やってんのこれ。四百人いるんだぞ。四百人の前だぞ。父上の使者いるんだぞ。広間の端のほうから、悲鳴みたいな声が聞こえた。
「殿下!?」
近衛団長だ。
あんたが叫ぶな。あんたが叫ぶと本気でまずいやつに聞こえるだろ。
いや、まずいわ。
「あの、殿下……なにを……」
「償っている」
言うな!
言うんじゃない! 何を堂々と!
「何をですの!?」
「わからん」
わからん!
ほんとにわからん! 自分でやっといてわからん!
あ。
……いや、ちょっと待って。
待って待って。
なにこれ。
なにこれ?
ちょっと待ってこれ、待って、なに、え、こんな?
あー。
やわら。
やわらか……あー。
もうダメだ。なんも考えられん。
なんも。
うそでしょ。二十四年こっち側だったのに知らなかった。知らされてなかった。誰も教えてくれなかったんだけど。世の中の男が全員バカになるやつ、これ?
これバカになるわ。
なってる。今なってる。自覚ある。自覚あるのにやめられない。
最高。
いや最高って言うな。心の中でも言うな。
やめろ俺。やめろ。せめて顔だけ上げろ。上げろって。
上がらん!
「で、殿下、みなさまが」
「見せてやればいい」
だから言うな!
「よくありませんわ!」
肩を押された。びくともしない。いや俺が離れてないだけ。
離れろ俺。離れろって。
「殿下、離れて」
「――結婚してくれ」
やわらか。
「え」
やわらかいな。
「殿下?」
なにこれ。ずっとこれなの。一生これなの。
「……返事は」
やばい。何も入ってこない。頭の中が全部これで埋まってる。国が滅んでも気づかんぞ俺。
「よろこんで」
大広間が、この日二度目にひっくり返った。
拍手が起きてる。
なんで拍手なんだよ。今の見てたか? お前ら今の見てたか? 王太子が公爵令嬢の胸に顔を埋めて婚約破棄を撤回したんだぞ。拍手する場面か? 通報する場面だろ。
どこかでリリィが「はぁ!?」と言った。
そうだよな。お前が正しいわ。今日いちばんまともな反応だわ。
近衛団長はまだ何か叫んでる。
もういいって。落ち着けって。あんたが一番動揺してどうすんだ。
まあいい。
全部あとで考える。断罪の後始末も、父上への説明も、全部あとだ。
いや、まてまて。考えろって。考えたほうがいいって。三ヶ月かけた断罪を三十分足らずで自壊させた男だぞ。過去に例がないだろ。歴史学が下から二番目の俺が言うんだから間違いない。
はぁ、やわらか……知らん。
今はもう、これでいい。
わかったことがひとつだけある。
前世で二十四年、パッド二枚を詰めて生きた。何人もの男を転がして、本命に裏切られて、階段の下で刺されて死んだ。あの人生に意味なんかなかったと思ってた。
思ってたんだよ、ずっと。
でも、そのおかげで俺は今日、目が覚めた。
胸を見て、目が覚めた。
いや我ながらひどい覚醒理由だな。
墓に彫れないだろこれ。「胸を見て目覚めた男、ここに眠る」。孫に見せられないだろ。
だから、はっきり言っておく。
おっぱいは、正義だ。
シリーズ化する、、、かも?




