第6話 推しと一緒に、裏切り者を嵌めることになりました
牢を出た私の前を、セイル様が迷いのない足取りで進んでいく。
背後でガシャンと閉まった鉄格子の音は、私にとっては自由の鐘というより、推しの「公式協力者」に就任した祝砲のように聞こえた。
セイル様は歩みを止めず、流れるような動作で指先を空中に滑らせる。
すると、虚空に青白い火花が散り、先ほど彼が「解析」したカシムの懐の手紙が、半透明のホログラムとなって浮かび上がった。
(うわ……! 歩きながら無詠唱で遠隔ホログラム投影!? 作画コスト度外視の神演出すぎる。指先の動き、100回はリピート再生したい。……あ、見惚れてる場合じゃないわ、仕事しなきゃ)
「……修正の内容を言え。この術式はカシムの懐にある実物と同期している。ここで書き換えた内容は、術式の安定と共に実物へと定着する」
セイル様の声はどこまでも冷たい。けれど、その瞳はカシムが裏切ったという事実から逃げるのをやめ、最速で最適解を導き出そうとする「天才のそれ」に戻っていた。
「ありがとうございます。……では、遠慮なく」
私は浮かび上がった光の文字を指差しながら、事務職としての「エグい提案」を淡々と切り出した。
「まず、この契約書。たぶんカシムさん自身は自分が提出する側だと思い込んでますよね」
「ああ。奴は最後まで、自分が盤上の駒ではなく、駒を動かす側だと思っている」
「なら、その思い込みを利用します」
私は光る文字列の中から、署名欄と承認欄に当たる部分を探した。
細かい術式は読めなくても、契約書の構造は分かる。
誰が申請し、誰が承認し、どの条件で効力が発生するか。書類仕事なんて、結局そこだ。
「カシムさんが提出した瞬間、セイル様の身柄引き渡しじゃなくて、提出者本人の不正申告および虚偽陳述の自白として発動するよう、主語をずらす」
セイル様の指先が止まる。
「……主語を、ずらす?」
「はい。しかも、ぱっと見ただけじゃ絶対気づかないぐらい小さく。相手が勝利を確信して、勢いよく提出した時にだけ首が締まるようにします」
「性格が悪いな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
私は真顔で続けた。
「あと条件文です。“対象を聖教会へ送致する”って書いてあるなら、その“対象”を術者ではなく“本契約の不正作成者”へ接続する。さらに“送致と同時に証憑が公開される”ようにすれば、向こうで言い逃れもできない」
セイル様の目が、すっと細くなる。
面白がっている時の顔だ。
「……なるほど。契約の効力そのものは残し、向き先だけを変えるのか」
「そうです。書類って、全部消すと逆にバレるんですよ。だから“ちゃんと動くけど、望んだ形では動かない”のが一番怖い」
「お前、本当にどんな職場にいたんだ」
「聞かない方が夢があります」
私は肩をすくめてみせたあと、さらに一歩踏み込んだ。
「それと、提出者の認証を強化してください」
「強化?」
「ええ。カシムさん、自分で契約書を掲げて勝利宣言するタイプでしょう?」
「するな」
「でしょうね。なので、“本人の魔力で強く活性化した瞬間に術式が確定する”ようにする。自分で自分の首を絞めてもらいます」
一拍。
それから、セイル様の口元がふっと持ち上がった。
「……面白い」
その笑みは、冷酷でも自嘲でもなかった。
純粋に、よくできた悪巧みを見た時の顔だった。
「お前、本当に性格が悪いな。……だが、そのロジックは完璧だ。奴が自分の勝利を確信すればするほど、この“修正”は深く刺さる」
「ありがとうございます。今のはかなり高評価として受け取ります」
「褒めている。残念ながらな」
言いながら、セイル様は指先を滑らせた。
光の文字が組み替わる。
主語が入れ替わり、条件節が裏返り、認証の向きがねじれる。
私には全部は読めない。
でも、書き換えられていく“流れ”だけで分かった。
今ここで、一人の天才が、たった今裏切りを知った相手に向けて、完璧な罠を編み直している。
「……あともう一つ」
私が言うと、セイル様がちらりと視線を寄越した。
「なんだ」
「提出のあと、すぐ発動はさせない方がいいです」
「理由は?」
「一拍置いた方が、気持ちいいからです」
「……最低だな」
「でも、そうでしょう? 一度勝ったと思わせてから落とした方が効く。しかもカシムさん、絶対いっぱい喋るタイプです。自白、勝手に盛ってくれますよ」
セイル様が、ほんの少しだけ目を見開いたあと、低く笑った。
「……確かに、奴は喋る」
「でしょう?」
「長年溜め込んだ劣等感と自己陶酔を、一気に吐き出すはずだ」
「じゃあ決まりですね。光った瞬間に即送るんじゃなくて、“勝利宣言が終わるまで拘束は開始しない”くらいの余裕を持たせてください」
「趣味が悪い」
「ありがとうございます」
「二度目だぞ」
そんなふうにやり取りしていた時だった。
ふと、セイル様の指先が止まった。
空中に伸ばした手が、そのままわずかに揺れる。
「……セイル様?」
「問題ない」
即答だった。
でも、今の一瞬、確かにおかしかった。
顔色はもともと悪い。
けれど今は、その白さが少しだけ青く見える。
視線の先を追うと、部屋の奥――あの銀の棺が、静かにそこにあった。
セイル様のまなざしが、ほんの一瞬だけ、そこへ引かれる。
「……」
言葉にしないまま、彼は再び術式へ視線を戻した。
でも、私は分かった。
この人は今、カシムを嵌めることと同時に、棺の中の人を取り戻すことしか考えていない。
それ以外の全部を切り捨てて、やっと立っている。
「完了だ」
最後の一画を書き換え終えたセイル様が、ゆっくりと手を下ろす。
光の文字列が、静かに収束していく。
「……だが、これを発動させるには奴を完全に油断させる必要があるな」
「ええ。そのために、セイル様には全力で“罠に嵌まったフリ”をしてもらいます」
「悲劇の主人公を演じろ、と」
「はい」
私はにやりと笑った。
「世界で一番美しい絶望顔、期待してます」
セイル様は、心底どうでもよさそうな顔をしながら、ほんの少しだけ口角を上げた。
「……注文が多いな」
けれど、その直後だった。
術式を消した指先が、空中でわずかに彷徨った。
「……演じるまでもないことかもな」
「え……?」
不意に、セイル様が足を止めた。
振り返った彼の瞳には、先ほどまでの冷徹な光ではなく、夜の底のような深い寂寥が溜まっていた。
「私の世界には、もう奴と……リリアナしかいなかった。その半分が、ただの砂の城だったと突きつけられた。……それを認めるのは、魔式の解を間違えるより、よほど堪える」
(……!! なにその、消えてしまいそうな儚い表情……!!)
(尊い……じゃなくて、切ない! 切なすぎて私の情緒がログアウトしそう! 推しの孤独を一人で背負わせるなんて、そんなの原作のバッドエンドと変わらないじゃない!)
いつもの「限界オタク」な私が、一瞬だけ消えた。
私は無意識に一歩踏み出し、彼の手のひらに、自分の手を重ねた。
驚いたように見開かれた銀色の瞳に、私は努めて明るく、けれど確かな熱を込めて告げる。
「……半分残ってるなら、十分です。あとの半分は、私が埋めます。事務職の処理能力、なめないでくださいね」
「……お前が?」
「はい。カシムがいなくなった後の空白くらい、私がいくらでも『修正』して差し上げます。だから、独りで絶望したフリなんてさせません。……私が、ずっと見てますから」
セイル様は、毒気を抜かれたように私を凝視した。
やがて、重ねた手から伝わる体温に気づいたのか、彼は気まずそうに視線を逸らす。
「……やはり、理解不能な変数だ」
そう呟いた彼の耳の先が、ほんの少しだけ赤くなっている。
彼の中で、私の存在が「ただの異物」から、「自分の世界に踏み込んできた何か」に書き換わった音がした。
(……よっしゃああ!! 心のデバッグ完了!! 照れてるセイル様、控えめに言って国宝!! 録画機能が脳内にないのが悔やまれる!!)
「行きましょう、セイル様。……あ、手、繋いだまま行きます?」
「……ふざけるな。先に行くぞ」
セイル様はぶっきらぼうに手を振り払って歩き出した。
けれど、その背中はさっきよりも少しだけ、頑なさが取れて見えた。




