第5話 推しが牢を開けたので、裏切り者を潰します
ガシャン、と重い足音が地下牢の静寂を切り裂いて響く。
鉄格子の向こうから現れたのは、暗闇すら味方につけるような圧倒的な美貌——私の推し、セイル様だ。
だけど、その銀色の瞳は、さっきよりもずっと鋭く、冷たく凍りついている。
その様子を見て、私は予感した。
(なんかわからないけど、信じてくれたっぽい!)
でも、ここで「やっぱりそうだったでしょう?」なんて言ったら、ただの不審者。私は壁に寄りかかったまま、あえてとぼけた顔で口角を上げた。
「おかえりなさい、セイル様。……思ったより早かったですね。忘れ物でもしました?」
自分でも驚くほど落ち着いた声が出た。
でも、実際は心臓がバックバクで、バックドロップ食らった後のような衝撃が全身を走っている。
(キ、キ、キ、キターーーー!! セイル様、リターンズ!! 見てこの顔、親友の裏切りを知って絶望に沈むSSR級の暗い瞳! 陰影の入り方が神がかってる。一生拝めるわこれ。……あ、ダメだ、推しを救うのが先決だった!)
「……お前に、聞きたいことがある」
鉄格子の隙間から、セイル様の冷徹な瞳が私を射抜く。
ミキミキ、と鉄格子を掴む手が音を立てている。指先まで白くなるほど力がこもっていて、その焦燥が伝わってくるようだ。
「……なぜだ。なぜ、あの中身を知っていた。……予知能力か? それとも、お前も奴の仲間か?」
「……何のことでしょうか? 中身、というのは、あのかさばる封筒のことですか? 何か書いてありました?」
私は小首を傾げてみせた。
セイル様の呼吸が、わずかに止まる。
「……少し拝借して解析した。カシムの懐にあったあの手紙は、白紙などではなかった。そこには今日の日付と、……聖教会の紋章、そして私を売り渡すという誓約が刻まれていた。お前はそれを、一度も触れずに言い当てた」
(……!! やった、やっぱりスったんだ! あの状況でカシムに気づかれずに抜き取って、しかも秒で解析して戻すとか……。さすが推し、手癖が悪い!! 天才ゆえの犯罪的テクニック! そこも好き、抱いて!! ……いや嘘、抱くのは婚約者様だけでいい! 私はそれを天井の隅から見守るシミになりたい!)
心の中でペンライトを振り回したい衝動を必死に抑え、私は鉄格子を掴むセイル様の手に、自分の手を重ねた。
冷たい。
指先が震えているのがわかる。
「……信じられないかもしれませんけど。私、あなたの未来を知っている別世界から来たんです」
セイル様の瞳が、大きく見開かれた。
「別世界……? 異界召喚の類か? だが、魔力回路の形跡が……」
「そんな理屈はどうでもいいんです。大事なのは、このままだとセイル様が死ぬってこと。そして、私がそれを『絶対に』阻止したいってことだけです」
セイル様は、信じられないものを見るような目で私を見返している。その瞳には、恐怖や怒りよりも、「なぜ、自分のためにそこまで」という深い困惑が浮かんでいた。
「……私を、助けたいだと? 没落し、聖教会を追われ、死者の蘇生という禁忌に手を染めた……この、何もない男をか?」
セイル様が自嘲気味に、低く笑う。
彼にとって、世界はもう「亡き婚約者」と「裏切った親友」だけで完結していたんだ。自分の命を救う価値なんて、彼自身の計算式には一ミリも残っていないみたいに。
(……ああ、もう! なにその「自分なんて」っていう捨て犬みたいな目! 尊すぎて逆に怒りが湧いてきた。全人類をひれ伏させるべき顔面と才能を持ってて、何を言ってるんですか!?)
「価値があるかないかなんて、自分が決めればいいんです! 少なくとも私にとっては、あなたは……あなたが生きている。それだけで、私の世界は救われているんです。だから死なせません、絶対に」
私の叫びに、セイル様は言葉を失ったように私を凝視した。
図星を突かれたというよりは、自分の計算式には絶対に現れない「異物」――自分を無条件で肯定する存在をぶつけられて、思考回路がショートしたような顔。
「……理解不能だ。お前には、私を助ける合理的なメリットなど何一つないはずだ」
そう言い捨てたセイル様の声は、さっきまでより少しだけ低く、かすかに震えているように聞こえた。響いてる。絶対、今の一言、彼の心の深いところに無視できない「エラー」として刻まれたはずだ。
(よっしゃ、推しの心に爪痕残した! 恋に落ちるまではまだ遠いだろうけど……いや、私との恋なんて解釈違いにも程がある! 私の希望は、あなたが生き延びて、いつかその手で婚約者様を蘇らせて、二人で幸せになることだけなんだから!)
セイル様はなおも不快そうに眉を寄せながら、腰に下げた地下牢の鍵を掴んだ。
「……お前が予知能力者だろうと狂人だろうと、構わない。私の魔術式に、お前という最大級の変数を組み込んでやろう。……どう修正するつもりだ」
ガチャリ、と重い音を立てて、地下牢の鍵が回った。
鉄の扉がゆっくりと開き、私と彼の間にあった物理的な境界が消える。
(開いた……! 推しの手による物理的な解錠! さあカシム、あなたの『誤植だらけの裏切り計画』、シュレッダーにかけてあげますからね! この音、ASMRで録音して永久保存したい……!)
けれど、一歩踏み出した先にあったのは、温かい抱擁でも甘い雰囲気でもない。
セイル様は冷徹な眼差しのまま、私を冷たく見下ろしている。そこにあるのは、協力者への信頼ではなく、毒を食らわば皿までという、危うい崖っぷちの共犯関係だ。
「さあ、言え。お前の言う『修正』とやらを」
(冷たっ!! 視線で殺される!! だがそれが良い!!)
「ええ、喜んで。……まずは、カシムさんの手元にあるあの『契約書』。あれを、ちょっとした『自白書』に書き換えちゃいましょうか」
私は寝間着の裾を軽く直し、暗い牢獄の中でにやりと笑った。
二人の間にあるのは、通い合う心などではない。あるのは、一人のオタクの執念と、一人の天才の生存本能だけ。
けれど、たしかに運命の歯車が、原作にはない音を立てて狂い始めた。




