第2話 残酷になりきれないあなたを、推さずにはおれない
「私が救う」――そう啖呵を切ったはずなのに、現実は冷たい地下牢と、湿った沈黙だけだった。
膝を抱えたまま、どれくらいそうしていたのか分からない。
地下牢は静かだった。
静かすぎて、自分の呼吸の荒さばかりが耳につく。
とくん、とくん、と不規則に鳴る鼓動が、冷たい石壁に跳ね返ってくるみたいだった。
泣き止もうとしても、喉の奥が何度もひきつる。
鼻の奥はつんと痛くて、目の縁も熱い。
こんなふうに声を殺して泣く癖がついたのは、たぶん、あの病室の夜からだ。
「……最悪」
掠れた声で呟いて、私は膝に額を押しつけた。
推しに会えた。
本物の推しに。
それだけなら、本来は人生最大の神イベントのはずなのに、現実には首を絞められて投獄である。
落差がひどい。情緒が労災だ。
と、その時。
がしゃ、がしゃり――と、遠くの廊下から骨の擦れるような音が近づいてきた。
「……え」
反射的に顔を上げる。
さっき私をここまで引きずってきた、あのスケルトン兵だった。
青白い灯を眼窩に宿したまま、相変わらず感情のない動きで鉄格子の前までやってくる。
「な、なに? 今度こそ処分ですか? いやでもせめて心の準備というものが――」
私が半歩後ずさると、スケルトンはかち、と首を傾げた。
そして次の瞬間、無造作な動きで格子の隙間から何かを差し入れてきた。
「……え?」
床に落ちたのは、畳まれた毛布だった。
続いて、水差し。
さらに、固そうな黒パンが二つ、布に包まれて投げ込まれる。
私は瞬きを繰り返した。
「……支給物資?」
スケルトンは答えない。
答えないまま、最後に小さなランタンまで置いていった。
淡い魔石灯が、じめじめした牢の床をぼんやり照らす。
「え、ちょっと待って。待遇が思ったより人道的」
恐る恐る毛布を拾う。
古びてはいるけれど、意外と清潔だった。
少なくとも、何年も放置された牢の備品をそのまま持ってきた感じではない。ちゃんと乾いているし、変な臭いもしない。
私は水差しの蓋を開けてみた。
中の水も、ぬるすぎず冷たすぎず、飲める温度だ。
「……え。こわ」
思わず本音が漏れた。
凍え死ぬにはちょうどいい場所だ。
水も食事も与えなければ、私は勝手に弱る。
わざわざ首を絞めて手を汚さなくても、放っておけば済む話なのに。
なのに、毛布と水と明かりが来た。
「……殺す価値もない、のわりに」
ぽつりと呟く。
「凍死はさせないんだ」
スケルトンは、もう用が済んだとばかりに踵を返していた。
私は慌てて格子のそばへ寄る。
「ちょ、ちょっと待って! これ、誰の指示!?」
がしゃ、がしゃ、と骨が鳴る。
返事はない。
「……いや、まあ、あなたが気を利かせるタイプじゃないのは見れば分かるけど!」
それでもスケルトンは立ち止まらず、暗い廊下の奥へ消えていった。
残されたのは、頼りない灯りと、毛布と、水と、固いパンだけ。
私はしばらくその場にしゃがみ込んだまま、それらを見つめていた。
「……セイル様?」
口に出した途端、胸の奥がじんわり熱くなる。
そんなはずない、と思う。
だってあの人は、ついさっき私をゴミみたいな目で見て、殺すと言って、地下へ放り込めと命じたばかりなのだ。
でも。
ほんとうに、ほんとうに私の生死なんてどうでもいいなら、こんな中途半端な手当てはしない。
無関心なら、もっと徹底的に無関心でいられる。
毛布をぎゅっと抱きしめる。
少しだけ残っていた体温が、じわりと掌に移った。
「……そういうとこなんだよ」
喉の奥がまた痛くなった。
乱暴で。
冷たくて。
人を寄せつけなくて。
でも、本当に残酷な人にはなりきれない。
だからこの人は、あんな地獄みたいな最期を迎えちゃ駄目なんだ。
私は毛布にくるまり、壁に背を預けた。
ランタンの小さな光が揺れる。
黒パンをひとかけ口に入れると、信じられないくらい硬かったけれど、それでも少しだけ現実に戻ってこられた気がした。
「……見てなさいよ、セイル様」
誰もいない地下牢で、小さく呟く。
「こんなの、借りにしときますからね」
助けてもらった、なんて思わない。
まだ全然、そんな関係じゃない。
私はただの侵入者で、向こうにとっては意味不明な狂女で、今はまだ一方的に推してるだけの厄介オタクだ。
それでも。
こんなふうに、完全に切り捨てきれない人なら。
きっとまだ、間に合う。
私は毛布の中で拳を握りしめた。
冷たい地下牢の空気の中で、それだけが小さな熱を持っていた。
***
翌朝。
地下牢の鉄格子が、不快な音を立てて開いた。
現れたのは、一晩経ってなお美しく、そしてひどく疲弊した様子のセイル様だった。
(うっ……わ。一晩中研究してたの? 乱れた長い黒髪、目の下の薄い隈、そして生気を失った白い肌……! 圧倒的、不摂生。なのにどうしてこんなに美しいの!?)
(……痛々しい。見てるだけで胸が締め付けられるのに、どうしようもなく愛おしい。そんな顔で、たった一人で、絶望と戦ってたんだね……)
私は、そのボロボロな姿ごと抱きしめて守ってあげたいという、猛烈な衝動に駆られていた。
「……まだ生きていたか、狂女。なぜ私のことを知っている。何が目的だ」
低い声が、冷たい石壁に反響する。私はゆっくりと立ち上がり、鉄格子の向こうに立つ彼を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「単刀直入に言います。セイル様、このままではあなた、死にます。……私、あなたを助けたいんです」
「……何?」
セイル様の瞳に、困惑と侮蔑が混ざり合う。
「ふん、命乞いのための出鱈目か。それともどこかの組織の刺客か」
「違います! あなた、今から東の研究室に呼ばれるはずです。カシム様に『急ぎの報告がある』って。でも、絶対に行かないでください。そこには聖教会の追跡魔術が仕込まれています。行けば最後、聖教会に転送されて、一週間後に処刑されます」
「……カシムの名を、どこで」
セイル様の空気が変わった。
その時、背後の暗闇から優しくも薄ら寒い声が響いた。
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