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第1話 最推しが死ぬなんて解釈違いです!

「……結局、俺は。誰も、救えなかったな」


 男の掠れた独白は、激しい雨音にかき消された。

 黒い処刑台の上。重い鎖に繋がれた最凶のネクロマンサー、セイル・ノヴァリスは、泥を舐めるように跪かされている。


 かつて「天才」と謳われたその瞳は、今は光を失い、深い虚無を湛えていた。

 周囲を埋め尽くす民衆からは、容赦のない怒号が浴びせられる。


「人殺しの魔王を殺せ!」

「死者を弄ぶ呪われた男に天罰を!」


 セイルは反論することもなく、ただ嘲笑うようにわずかに唇を歪めた。

 死を目前にしてもなお、その横顔は残酷なほどに美しい。

 処刑人の大剣が、鈍い銀光を放ちながら振り下ろされる。


 その冷たい刃が彼の首筋に触れようとした、その瞬間――。


***


「ぎぃやあああああああああああああ!!!」


 断末魔のような叫びが、深夜の私のマンションに響き渡った。

 スマホの画面内では、最推しのセイルが、あまりにも無慈悲に、あまりにも救いのないバッドエンドを迎えている。


「嘘でしょ……不人気キャラだからって、こんな雑な殺され方ある!? 公式、正気!? 慈悲はないの!?」


 私、藤代遥はスマホを握りしめ、ベッドの上で悶絶した。

 部屋を見渡せば、公式のやる気のなさが透けて見える「受注生産限定(※ただし注文数が少なすぎて発売延期の危機だった)」アクリルスタンドや、自作の概念グッズが祭壇のように奉られている。


「この人は悪くないのに! ただ、愛する人を蘇らせたいっていう純愛のせいで『狂人』扱いされて……っ! 掲示板で『セイルとかいうキモい敵キャラ早く死ね』とか書いてた奴ら、全員地獄におちろおおおおおおおおおお!!」


「……っ、ふ、うう……っ!」


 喉の奥が痙攣し、上手く呼吸が吸い込めない。

 視界が涙で歪み、スマホを持つ指先はガタガタと細かく震え、液晶に落ちた大粒の涙が「祝杯」のツイートを皮肉にも滲ませていく。


「幸せになってほしかった……。誰に、理解されなくても……私だけは、アンタの味方だったのに……っ」


 嗚咽がせき止められず、胃のあたりをかきむしるような鈍い痛みが走る。

 心臓が不規則に跳ね、冷や汗が背中を伝う。

 脳が「推しの不在」という致命的な欠落を拒絶して、身体全体がパニックを起こしていた。


「ああ、もう無理……明日、会社休む……。無理。セイル様がいない世界で、何事もなかったかのように労働なんて……そんなの、正気の沙汰じゃない……っ」


 シーツを握りしめ、私は子供のように声を上げて泣きじゃくった。

 枕がぐっしょりと重くなるほどの涙。


 それは単なるキャラへの同情ではない。


 彼が最期に漏らした「誰も救えなかった」という絶望が、私自身の奥底にある「救えなかった記憶」と、共鳴してしまったからだった。


 泣きすぎて腫れた目で、ふと棚の隅にある古びた写真立てに視線をやる。

 そこには一人の男性と笑う、少し若い頃の私の姿があった。指輪が、部屋の電灯を反射して寂しく光る。


「……私だったら、絶対助けるのに。アンタの狂気も、絶望も、全部肯定してあげるのに……!」


 スマホを握りしめる手に力がこもる。


「幸せにしてあげたかった……」


 ――その心からの叫びに呼応するように、突然、スマホの画面から溢れ出した眩い光が、私の部屋中を白く塗りつぶした。


***


 ……冷たい。


 頬に触れる、冷たく湿った石の感触。

 重い空気が、肺に刺さる。


「……え、ここ、どこ……?」


 ゆっくりと目を開けた私の視界に入ってきたのは、無数の棺と、不気味に明滅する魔法陣だった。鼻をつく古びた魔術書と、埃の匂い。


「……夢? 私、寝落ちしてスマホの液晶の中に入っちゃった?」


 混乱する私だったが、ふと魔法陣の脇に置かれた一通の手紙が目に留まった。

 そこには、見覚えのある紋章とともに、神官らしく端正だが、どこか冷たすぎる筆致で日付が記されている。まだインクが乾いていない。


『聖教暦402年、10月14日――カシム・ランバート』


 その日付を見た瞬間、事務職として培った私の脳内データベースが、恐ろしい速度で検索結果を弾き出した。


(嘘……聖教暦402年10月14日!? これ、原作第41話の冒頭、カシムが塔を訪ねてくる『運命の裏切り』当日じゃない!!)


 そう、私は知っている。

 この日、カシムが「相談がある」とセイル様を訪ねてきて、そこから処刑へのカウントダウンが始まることを。

 混乱する私の耳に、静かな、けれど心臓を鷲掴みにするような低い声が届いた。


「……誰だ」


 弾かれたように振り返ると、そこには、


 ――本物の、セイル・ノヴァリスが立っていた。


 黒い魔導衣。冷徹なまでに美しい貌。

 画面越しに何万回も見た、あの「最推し」が、私を殺さんばかりの鋭い視線で見下ろしている。


「侵入者か。……なら、殺す」


 セイルの手から、どす黒い魔力が揺らめき立つ。

 その凄まじい威圧感に、私は悲鳴を上げることすら忘れていた。


(う、うそ……本物? 本物のセイル様!?)

(ここは……セイル様の塔なんだ――!!)


 命の危機。絶体絶命の状況。

 だが、私の脳内を占めた最初の感想は、あまりにも「オタク」なものだった。


(……顔が、いい。良すぎて死ぬ……っ!! 待って、今日の髪のハネ具合、公式イラストより500倍解釈一致なんですけど!? ありがとうございます!!)


 セイルが冷酷に指先を向けると、どす黒い魔力の鎖が私の体を締め上げた。

 実物の殺気は、心臓が跳ね上がるほど恐ろしい。けれど、目の前のセイルは、私が何度も読み返した「誰にも心を開かない孤独な魔王」そのものだった。


「うぎゃあああああああああああああ!! 顔面が、顔面が神すぎて無理いいいいいい!!」


 思わず、口から本音が漏れていた。


「…………」


 セイルは、虫ケラを見るような冷ややかな視線で私を射抜いた。

 命乞いでも罵倒でもなく、ただ自分の顔を見て絶叫する不審な女。彼はわずかに顎を引き、死を宣告するように告げた。


「……それが貴様の遺言か」


「はえっ!? い、いえ違います! 今のはただの魂の叫びで……! ああっ、でも今の『ゴミを見るような冷たい目』……! 第18話で敵に向けたあの視線を生で見られたなら、もう死んでもいい……嘘です、推しが生きている世界で私も生きたいです!!」


「……理解不能だ。殺す価値もない」


 セイルは吐き捨てるように言うと、背後の暗がりに向かって短く指を鳴らした。


「……地下へ放り込んでおけ」


 その言葉に応じるように、ガシャリ、と嫌な金属音が響く。

 闇の中から現れたのは、錆びついた甲冑を纏った骸骨の兵士スケルトンだった。肉のない眼窩に青白い魔力の火を灯したそれは、生きた人間には不可能な無機質な動きで私の腕を掴む。


「ひっ……!」


(うわ、すごい……本物のアンデッド。骨の感触がもろに硬い。これもセイル様が魔力で動かしてるんだよね……? 孤独な塔の、たった一人の軍隊。解釈通りすぎて辛い……!)


 私はスケルトンに引きずられるようにして、魔法陣の部屋を後にする。

 振り返ると、セイルはもう私に興味を失ったかのように、再び棺の中の「何か」を見つめていた。その背中があまりに寂しくて、心臓の奥がキュッと痛む。


 ガシャガシャと骨の鳴る音だけが、冷たい石造りの廊下に響き渡る。

 連れて行かれた先は、光の届かない地下深く。鉄格子が重い音を立てて閉まり、私は一人、湿った冷たい牢の中に残された。石造りの壁は凍えるように冷たく、小さな天窓から差し込む月光だけが頼りだ。


「……あいたたた。推しに会えたと思ったら、即、投獄かぁ」


 泥のついた服を払い、私は自嘲気味に笑う。

 普通の女性なら絶望する場面。だが、一人きりになった途端、私の瞳から「オタクの熱狂」がふっと消えた。


 しんと静まり返った地下牢。

 聞こえるのは、自分の呼吸音と、遠くで響く水滴の音だけ。


「……静かだな」


 その静寂が、不意に私の「傷」を抉る。

 それは、深夜の病室の静寂と同じだった。

 機械の規則的な音だけが響く中で、愛する人の呼吸が少しずつ浅くなっていくのを、ただ黙って見守るしかなかったあの夜。


「私……また、独りになっちゃった」


 膝を抱え、私はそっと自分の左手の薬指をなぞった。

 そこにはもう、指輪はない。

 けれど、指にはまだその重みが、そして心には「救えなかった」という焼けるような後悔が、消えずに残っている。


 セイルも今、独りで戦っている。

 死者を蘇生するという、世界中から後ろ指を指される禁忌を抱えて。

 誰からも「気味が悪い」「狂人」と罵られ、数日後には独りで処刑される運命。


(似てるんだよ、セイル様。……アンタと私)


「幸せにしてあげたかった」という言葉は、キャラへの応援であると同時に、亡き夫へ届かなかった、私の心からの叫びだった。


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