第8⃣畳
K
会社のフロアの昨日と何一つ変わっていないはずだった。
同じ照明
同じ床の色
それなのに入った瞬間に分かった。
何かが欠けていると
理由は説明できない。
ただ、視界のどこかが落ち着かない。
自分の席に向かう途中、物凄い違和感に襲われた。
そこには「通路」しかなかった。
「......?」
誰かが横を通り過ぎる。
そのまま何事もなく、進んでいく。
心臓が一拍遅れて鳴った。
「なぁ」
近くにいた同僚に声をかける。
声はとても落ち着いていた。
「ここって前から通路だった?」
同僚は不思議そうに首を傾げた。
「?そうだけど」
即答だった。
「元々通路でしたよね?」
「ええ。何言ってるんですか」
笑いながら去っていく。
冗談扱い
違和感すら共有されない
パソコンを立ち上げる。
社内名簿をみて、一人足りないと思った。
その瞬間、頭に昨日の出来事がフラッシュバックした。
思い出した
僕は急いでチャットログやメール、プロジェクト管理表をチェックした。
「......」
画面に映る自分の顔が歪んで見えた。
助けたつもりだ
消される前に手を伸ばしただけだ
それなのに
【未発生】
あの言葉が頭の奥で反響する。
消したんじゃない
救ったんじゃない
最初から存在しなかったことにした
昼休み
誰もいない非常階段で壁にもたれる。
胃が重い
吐き気はなくただ空洞みたいだ。
もし
もし昨日僕が書き換えなければ。
あいつは消されていた。
だが
「いた」という痕跡は残ったのかもしれない。
今は違う
誰の記憶にも残らない。
世界そのものがなかったことにした。
それをやったのは僕だ。
帰宅
靴を脱いだ瞬間、足の裏の感覚が遅れてきた。
電気をつける前に声がした。
「......やったな」
バスターだった。
畳の上に座って居る。
「会社どうだった?」
「......普通だったよ」
嘘じゃない
あまりにも普通すぎた
バスターは目を細めた。
犬なのにその表情は人間よりずっと重い。
「君は一線を超えた」
「......」
「修正対象ではない。隔離対象でもない」
畳の一本がきしっと鳴る。
「恒一」
名前を呼ばれただけで背筋が冷えた。
「君は今危険物だ」
言い返せなかった
反論も正当化もできない
すでに結果は出ている
「でも」
かすれた声で言う。
「放っておくより、よかったはずだ。」
バスターが続ける。
「時間が減っている」
「もうはっきり分かる」
僕は畳を見た。
四畳半の部屋。
今日は畳の目が数本、逆に向いていた。




