第₆畳
BOOK
バスターは畳を見て、短く言った。
「しゃがめ」
その声が聞こえたことに、もう驚かなくなっている自分が怖い。
僕は言われた通り、膝を折った。視線が低くなる。
「そのまま、前に進め」
「……壁に向かって?」
「そうだ。考えるな」
理解できない。
だが、ここまで来て疑っても仕方がない。
一歩踏み出した。
額がぶつかると思った
その瞬間。
壁はなかった。
抜けた。
落下の感覚も、衝撃もない。
ただ空気だけが切り替わった。
気づけば、僕は立っていた。
格闘ゲームのトレーニングルームみたいな空間。
白一色の壁。光源は見当たらないのに、均一に明るい。
音がない。いや、音が一定すぎる。
空間そのものが、低く唸っているようだった。
「ここが……?」
「編集前層だ」
バスターが隣にいた。
いつの間に移動したのか、わからない。
「簡単に言うと、デバックルームだ。ここは"触れる"場所だ」
「前に行った場所は、"見るだけ"だったろ」
床の中央に、一冊の本が浮かんでいた。
引き寄せられるように手を伸ばし、ページをめくる。
そこには文字
いや、記号が並んでいる。
夢で見た。
読めなかった、あの文字。
なのに。
「……読める」
声が漏れた。
理解しようとしたわけじゃない。
意味が、直接頭に流れ込んでくる。
これは――記録。
同じ状態になった存在の断片。
違和感から始まり、観測され、修正され
途中で、すべて途切れている。
「過去にも……いたんだな」
「いた」
バスターは短く答えた。
「だが、残らなかった」
ページをめくるたび、内容が薄くなっていく。
文字が欠け、行が消え、やがて空白になる。
そして、一番奥。
何も書かれていないページ。
正確には――ゆっくりと、文字が浮かび始めていた。
【進行中】
寒気が背中を走る。
「これ……俺か」
「そうだ」
即答だった。
「じゃあ、この記録は……」
「保存されない」
胸が詰まる。
「意味ないじゃないか」
「ある」
バスターは、わずかに間を置いた。
「"次"が、見る」
言葉の意味を考える前に、空間が歪んだ。
白い壁の端で、ノイズが走る。
「長居できない」
バスターが言う。
「君は"言語"を覚える」
「書き換えるために必要だ」
「覚えられなかったら?」
一拍。
「その時は――」
言葉は続かなかった。
でも、わかる。
消える。
僕はもう一度、本を見た。
やっぱり、どこかで見たことがある。
空白だったページに、さらに文字が追加される。
【残り時間:未定】
未定。
それが、いちばん怖かった。
「……帰ろう」
僕は言った。
「まだだ」
バスターは、小さく尻尾を振った。
「やることがある」
理由はわからない。
でも、逃げられないことだけはわかった。
僕は、本を抱え直した。
この場所で、
言葉を覚えなければならない。
消えないために。




