別れ
きいちゃんと私たちの思い出がどんどん積み重なっていき、月日が経っていく。
気が付けば私は大学生になり、きいちゃんも猫としてはお年寄りの年齢になっていた。
もう昔のようにカーテンや網戸を登ったりはしないけれど、年を感じさせない毛艶の良さで動物のお医者さんにはいつも褒められる。
甘えん坊ぶりは増していて、相変わらずおしゃべりで我が家の大切なお姫様だ。
「もうすぐ、きいちゃんがうちに来て十五年記念日だね」
夕食のテーブルで父が言うと、近くにある猫ベッドの上で丸くなっていたきいちゃんの耳がびくりと動き、「にゃー」と小さく返事した。
どうやら眠たいようで、名前に反応したけれど、起きてくる気配はない。
家族でどんなお祝いをしようか、きいちゃんの大好物を用意しようねと盛り上がり、食事を終えて台所を片付けて順番に風呂に入ってさあ寝るかとなった時、父がきいちゃんに声をかけた。
「きいちゃん、今日はどこで寝る?」
背中に手をあてた瞬間、様子が変わった。
「え……。ちょっと、きいちゃん? きいちゃん?」
父が耳元に顔を近づけて大声で呼びかける。
「お父さん?」
「きいちゃんが、息していない」
「え……?」
そこからはよく覚えていない。
みんなでどんなに呼びかけても動かないきいちゃんを毛布で包んで、夜間診療の病院へ連れて行った。
「亡くなっていますね」
三人で、なぜ? どうして? とばかり考えた。
半月前に健康診断をして、先生から太鼓判を貰ったばかりなのに。
なんでなんで。
なんで、きいちゃんが死にそうになっている時に自分たちは呑気にご飯を食べていたのだろう。
いつもなら、会話の中に自分の名前が出たら『いま、きいちゃんのなまえいったよね。なにかごよう?』と駆けてくるのに、こんな時に限って様子を見に行かなかった自分たちを責めた。
「心臓が動くのをやめて、すうっと意識が遠のいて、苦しむことなく。大好きなご家族の声を聞きながら……うつらうつらと眠りながら、旅立ったのだと思いますよ」
先生の慰めに頷くしかない。
待合室には、他にもいろいろな動物が診察してもらうために待っていた。
お礼を言って、きいちゃんを抱き上げて、帰路に就く。
「苦しまないで済んだなら……。それは、きいちゃんにとって、なによりなのよ……」
暗い車の中、助手席に座っている母がぽつりと言った。
行きは、とても車の進みが遅く感じられて。
早く早く、病院はまだか、前を走る車はなんであんなにゆっくり運転しているのと、いらいらしていた。
病院に着けば、先生がきいちゃんを生き返らせてくれるんじゃないかと期待していた。
だって。
きいちゃんはまだ温かかったから。
ちょっと息をしていないだけにしか思えなかったから。
何か管をつないだら、酸素を送ったら、『あれっ? みんなどうしたの?』ってきょとんと緑の目を真ん丸にして起きてくれるんじゃないかと、思っていた。
「……そうだよ。お母さんの言うとおりだ。きいちゃん、らしいじゃないか」
後ろの座席できいちゃんを抱きしめて。
納得していない私に、父が声をかける。
その声は、震えていた。
夜の道は暗くて、遠くて。
知っている道なのに、知らない道に見える。
このまま家につかなければいいのにと思った。
ずっとずっと、このまま。
何もかもなかったことにしたい。
私の妹。
ねえ、起きてよ。
きいちゃん。




