ゆきのひ
書初め事件から数日後のこと。
夜中から静かに静かに降り積もったようで、朝、カーテンを開けると外はいちめん真っ白になっていた。
庭の芝生も花壇も木々もふわふわの雪で覆われて、薄日がさしているなか、ちらちらと粉雪が舞っている。
「わーっ。ゆきだあ」
私が歓声を上げると、きいちゃんが寝室から駆けてきた。
「にゃーん」
「ほらほら、みてみて、きいちゃん。今年初めての雪だよ」
抱っこして外を見せると、緑の目を真ん丸にして大興奮。
尻尾でぱたぱたと私を叩いた。
「ふにゃふにゃ、ふにゃーん」
私の腕からするりと飛び降りて、窓ガラスをぺたぺたと片足で叩く。
「あらあら、だめよきいちゃん。さむいさむいよ、おそとは」
母が笑うと、きいちゃんはむうっと口を尖らせた。
そして後ろ足で立つなり、前足二本を窓ガラスに当ててぱしぱしと交互に叩き始める。
「にゃにゃ、にゃーん」
「出して出して……ってなあ。きいちゃん。お母さんの言う通り、おそとは寒いよ。つめたいつめたいだよ?」
父がやってきて説得するが、きいちゃんの『だしてだして』はとまらない。
「にゃにゃにゃにゃ、にゃにゃー」
「ああ、はじまったよ、おひめさまのごりっぷくが……」
しかたないなあとぼやきながら、父は窓を開けた。
「ほら、き……」
父に最後まで言わせず、きいちゃんは毬が転がるようにぽんぽんと跳ねて外へ出て、勝利の雄たけびを上げた。
「にゃーん」
しかし。
それもすぐに悲鳴に変わる。
「ぎゃーっっ」
庭の真ん中にたどり着く前に、きいちゃんはくるりと振り返り、行った時よりも速く、まるで弾丸のようにすぱっと家の中へ戻ってきた。
「ああ……。やっぱりね」
「ぎゃ、ぎゃぎゃぎゃーん」
きいちゃんはぷんぷん怒って、私たちに抗議した。
「ぎゃぎゃぎゃ、ぎゃぎゃぎゃ、ぎゃぎゃぎゃ」
多分、『ひどいひどい、きいちゃんをあんな冷たいところに放り出すなんて、ぎゃくたーい』と言っているのだ。
「だから言ったでしょう。ほらほら、こっちに来なさい」
母が絨毯の上に座り、ストーブで温めておいた毛布を広げて見せると、「みゅー」としょんぼりした声で駆け寄り、腕の中におさまった。
「みゅーん」
「はいはい。さんざんだったね。びっくりしたね。つめたいつめたいだったねえ、きいちゃん。かわいそうなきいちゃんね」
このあとしばらくきいちゃんの『わたし、せかいいちかわいそうなねこなの』劇場が続き、私たちの朝ごはんはずいぶん後になった。
でもまあ、これは毎回雪の日の風物詩のようなものだ。
きいちゃんは雪が降るといつも大興奮で、外に出たいと騒ぐ。
だけど、いざ外へ連れ出すと『ひどい、こんなさむいところにきいちゃんをつれてくるなんて』と怒る。
「ほら。これなら大丈夫だろう」
父がダウンコートの中にきいちゃんを入れた状態で抱っこして連れて出ると、顔だけにょきっとのぞかせて不思議そうにふわふわと舞い降りる雪を眺めた。
身体はぬくぬくで父に包まれて安全で、最初は目を真ん丸にしてご満悦だった。
しかし、ゆっくりご鑑賞できるかと思いきや、雪がひとひら、鼻の上に落ちてきたのがとても冷たかったらしく、「ぎゃっ」とひと鳴き、いたくご立腹のご様子だった。
「だめかあ。ならなんで毎回出たいと言うのかなあ」
父が首をかしげる。
なぜなのかはわからない。
『つめたい』と大騒ぎしたその日は毛布の山の中に潜り込んで『わたし、いっしょうここからでない』と宣言するのに、翌日にまた雪が降ると『だしてだして、おそとにでたい』と騒ぐ。
小さい頃に猫と暮らした経験のある母も、首をかしげた。
「一晩たつと、忘れちゃうのかしらねえ」
果たしてそうだろうか。
きいちゃんは、とても頭の良い猫だ。
立ち入り禁止の部屋も研究に研究を重ねて、侵入する。
そんなきいちゃんが?
雪の日の大騒動は、わが家の七不思議の一つだった。




