92Over load 砲戦距離十万
かつて孤独な女王と称えられた超弩級戦艦ティルピッツは、その主砲を一度も火を噴かせることなく、冷たい海底へと消えた。護衛に就いた空母グラーフ・ツェッペリンの艦載機も、押し寄せるアメリカ軍の数の前には無力だった。
吹き荒れる爆風の中、沈みゆく愛艦の甲板でティルピッツ艦長は忌々しげに吐き捨てた。 「……我らは、奴らの眼中にすら入らぬというのか?」
アメリカ攻撃隊が最初に狙いを定めたのは空母のみ。巨砲を誇る戦艦は、もはや脅威ですらないと言わんばかりの行動だった。
大西洋の制海権は完全に崩壊。日米連合軍の執拗な対潜哨戒網により、誇り高きUボートの群れも鉄の棺桶へと変えられつつあった。だが、この絶望的な戦況の中、地中海には異変が舞い込む。
ベルリン、海軍総司令部。冷徹なまでの静寂を破り、報告に訪れた士官の声が震えた。
「――日本軍の戦艦が、スエズを抜け地中海へ侵入した、だと?」
潜水艦隊司令長官デーニッツは、眼前の地図を睨みつけたまま問い返す。
「北アフリカの残存勢力からの情報に間違いはないか。随伴する空母は?」
「……確認されておりません。判明しているのは戦艦二隻、および駆逐艦四隻のみです」
デーニッツの口端が、自嘲気味に歪んだ。
「空母を連れず、戦艦のみでこの海を渡るというのか。我らドイツ海軍も、舐められたものだな」
先日の大西洋迎撃戦――ミッドガルド作戦。そこでの敗北は、デーニッツに嫌というほど理解させていた。これからの海軍の主役は、数十キロ先を撃ち抜く巨砲ではなく、水平線の彼方から飛来する航空機であるという現実を。
「だが、空母がいないというのなら話は別だ。ヴィシー・フランスの連中が勝手に自沈などしなければ万全だったが……言っても詮無いこと。すぐに総統へ連絡しろ。迎撃の許可を取り付ける」
こうして、崩壊寸前の枢軸国が最後に見せた意地――ドイツ・イタリア連合による二段構えの迎撃作戦が動き出した。
イタリア海軍最大の軍港タラントに停泊する浮き砲台たちを虚しく照らしていた太陽は再び彼女らを照らした。イタリア海軍の至宝、戦艦リットリオとローマ。燃料という枷をされ、誇りを奪われていた鋼鉄の女王たちに、一通の電令が走る。
『ドイツ軍より重油の提供あり。日本軍戦艦を迎撃せよ』
イタリア側にとっても、背に腹は代えられない提案だった。北アフリカが落ちれば、次は自分たちの本土が戦火に包まれる。その焦燥と、ドイツから供給された黒い油が、眠れる巨獣を目覚めさせた。
「……ようやく、この時が来たか」
鈍く光るローマの三連装砲塔が、長い沈黙を破り駆動音を上げる。燃料不足に泣き、小型艦艇に補給線を任せて甘んじていた主力艦隊が、今、全速で地中海の海を行く。
太平洋を制し、今度は地中海までも支配せんとする東方の覇者、日本軍。それを迎え撃つは、欧州の意地を背負った独伊連合艦隊。
空母なき海、時代遅れと蔑まれた大艦巨砲同士が激突する、最後にして最大の祭典が幕を開けようとしていた。
「――無事、スエズを抜けたわね。古代君」
艦橋に響くのは、鈴を転がすような、けれどどこか冷徹な響きを含んだ少女の声。原子力戦艦大和の艦長、朝比奈未来は、窓の外に広がる地中海の紺碧を見つめていた。
「はい。運河内での待ち伏せが最大の懸念事項でしたから」
副長の古代が応じる。だが、その表情は晴れない。
「……しかし、この作戦にどれほどの意味があるのでしょうか。イタリア海軍には大型艦を動かす燃料などないはず。連合国側も、今はシチリア上陸に向けた補給路の確保を優先すべき段階です」
「軍令部の連中なんて、自分たちの造った新兵器の威力を世界に見せびらかしたいだけ。下品なアピール作戦よ」
未来は忌々しげに吐き捨てた。その視線の先には、実の母親――この化け物じみた戦艦を作った原動力、あの女の影があった。
「お母さまは……想像すらしない。自ら生み出した兵器で、どれだけの人間が灼かれ、肉片となって消えていくのかを」
俯く未来の声が震える。いつもの天然でおっとりとした彼女はそこにはいない。軍服に身を包んだ一人の少女が、重すぎる血の宿命に耐えていた。
「私は、あの人が一度も引いたことのない引き金を、代わりに引き続けるの。この手を泥濘のような返り血で汚しながら……」
「艦長。母親をそこまで拒むのは……お母様も艦長と同じ様に苦悩を」
「あの人に限って、隠された苦悩なんてありません。断言します。戦争のニュースを見ながらゲラゲラ笑って、ポテチを貪っているような人なんですから」
「……ポテチ?」
聞き慣れぬ語彙に古代が首を傾げたその時、絶叫に近い報告が艦橋を切り裂いた。
「報告! タラントよりイタリア主力艦隊出撃! 旗艦リットリオ、ローマを確認! さらにドイツ軍巡洋戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウが合流……大艦隊がこちらへ向けて南下中!」
未来の瞳から、少女の揺らぎが消えた。代わりに宿ったのは、冷徹な指揮官の光。
「全艦、抜錨。第十三独立艦隊、微速全進。――進路そのまま!」
「無人偵察機より入電! 敵水上部隊を捕捉。戦艦四、重巡四。方位一八〇、距離一〇〇、位置ヘレン三八!」
地中海の門をくぐった日本海軍の誇る超弩級の双子の戦艦、大和と武蔵。未来は、冷たい殺意を込めて唇を戦慄かせた。
「イタリア人に恨みはないけれど……」
「艦長、イタリアムッソリーニ政権はシチリア島でユダヤ系人民を収容所で虐待していると英国より報告があがっています」
「どうやら、彼らには少し教育が必要みたいね。主砲、射撃準備。噴進滑空弾装填。目標、独伊連合艦隊――砲戦距離、一〇万!」
「主砲、滑空弾装填! 随伴艦武蔵とCIC接続開始……無人機データリンク完了! 射撃緒元、入力良し!」
「主砲、撃ち方始めッ!!」
轟音。かつての大和が誇った四万の射程を遥かに凌駕し、百キロ先を正確に屠る、未来の兵器が牙を剥く。
その頃、独伊連合艦隊の旗艦、巡洋戦艦シャルンホルストの艦橋は、阿鼻叫喚の渦中にあった。
「旗艦ローマに至近弾! 敵弾、なおも来襲します!」
「馬鹿なことを言うな! 敵との距離は百キロだぞ。理論上、あり得んッ!」
ドイツ艦隊司令は、計算尺を握りしめたまま怒号を飛ばす。
だが、現実は理論を嘲笑う。水平線の彼方、影も形も見えない場所から飛来する砲弾たちが、正確無比に海面を叩き、鋼鉄の巨体を震わせる。
「イタリア旗艦ローマに着弾……! ご、轟沈! ローマ、轟沈しましたぁ!!」
「な……ッ!?」
現実よりも理論を重んじるドイツの将官たちが、凍りついた。世界最強を自負し、意気揚々と出撃した彼らは、この時ようやく理解したのだ。
自分たちが今、戦場ではなく処刑場に立たされていることを。そしてこれが、鋼鉄の女王たちの最期の騎行になるということを――。
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