85モラトリアム
「私は、一体何と戦っているのだ?」
レイモンド・スプールアンス少将は、沸き起こる戦慄を必死に抑え込んでいた。マリアナ沖二百マイル。
彼は旗艦の艦橋から、完璧な布陣を敷いたはずの第17任務群を見渡していた。グアムへ転舵し、敵戦艦に向けて攻撃隊を放つ。あとはチェックメイト、結果報告を待てばいい――。
そのはずだった。
直後、鼓膜を震わせる異音が響く。空気が裂けるような鋭い音の直後、視界が真っ白に染まった。轟音。 最新鋭空母エセックスが、まるで巨大なハンマーで叩き潰されたかのように、その中心から爆沈したのだ。
「・・・ッ!?」
空に舞い上がった飛行甲板の破片が、重巡洋艦アストリアの至近に降り注ぐ。地獄だった。わずか一瞬で、三万トンの空母と二千人の命が一瞬で消え去った。
「どこからの攻撃だ! 潜水艦か!?」
「わかりません! 哨戒網に異常なし、周囲に敵影はありません!」
「馬鹿な、そんなはずがあるか!」
「ですが、ご覧ください! あの威力・・・まるで戦艦の主砲を真上から叩き込まれたような・・・!」
――戦艦だと? その言葉に、スプールアンスの思考が火花を散らす。私は戦艦を追っていた。ならば、これは戦艦の仕業か? だが、水平線のどこを見渡しても、火を噴く艦影など存在しない。
その時、彼の軍人としての本能が、致死量の警鐘を脳内に鳴り響かせた。
「全艦隊、回避行動! 面舵一杯ッ!」
冷静沈着な提督として知られるスプールアンスの、最速の判断。だが、その決断すら未知の神の雷の前には遅すぎた。
二番艦ヨークタウンIIの甲板中央に、突如として大穴が開く。爆発。そして、ワンテンポ遅れてやってくる衝撃波。真っ二つに折れた巨体が、断末魔を上げる間もなく海中へと引きずり込まれていく。
「全艦・・・各自の判断で戦域を脱出せよ!」
それ以外の言葉が出てこなかった。名将スプールアンスは、ただ崩れゆく艦隊を前に、震える声で呟くしかなかった。
「私は・・・何と戦っているのだ・・・?」
同時刻ホワイトハウス
「話が違うではないか、ヒス君ッ!」
大統領の怒号が、重厚なホワイトハウスの執務室に響き渡った。デスクを叩く拳の震えは、怒り以上に底知れぬ恐怖を物語っている。
対照的に、国務次官補アルジャー・ヒスは、冷徹な仮面を崩さず眼鏡のブリッジを押し上げた。
「・・・私はあくまで可能性を申し上げたまでです。最終的な承認されたのは、大統領、あなた自身です」
「君が・・・君が甘い言葉で私をそそのかしたんだろう!?」
「滅相もない。私は常に職務に忠実であり、合衆国にとって最も有益な進言をした自負をしておりますが?」
ヒスの声には、温度というものが欠落していた。
「一体どうするつもりだ! これでは再選どころか、私は建国以来、初めて敗戦を経験する大統領として歴史に名を刻むことになってしまう!」
大統領の悲鳴に近い問いかけに、ヒスは口角をわずかに上げ、突き放すように言った。
「では、お待ちになればよろしいのでは? 今年の年末には、めでたく民主党に政権が移るのですから」
「・・・貴様ッ!!」
睨みつける大統領の瞳の奥で、絶望はより暗く、より悪辣な決意へと変わっていった。
同時刻タイムズスクエア
「・・・なぜ、こんな事態に」
冬の気配が残るタイムズスクエア。人混みの中、一人呟きながら歩く紳士がいた。トーマス・ラモント。モルガン・スタンレーの頂点に君臨し、アメリカ金融界を動かす重鎮である。彼は大の親日家であり、かつては金によって、太平洋の平和を買い取ろうと画策した一人だった。
「もう半年、あの文通も途切れたままか・・・」
脳裏をよぎるのは、涼宮鷹尾という一人の女性。流暢な英語を操り、日本の経済状況から日常の些細な出来事までを気さくに綴ってくれた彼女。東洋の賢者と称えたいほどに聡明だった彼女との時間は、開戦という荒波にかき消されてしまった。
ふと顔を上げると、皮肉な光景が目に飛び込んできた。巨大なビルボードに躍るのは、涼宮財閥のコピー。
『Inspire of Next』
そこには、和装を纏い、桜吹雪の京都、五重塔を背に微笑む涼宮鷹尾の姿があった。反対側を見れば、三菱財閥の看板が並ぶ。
『Leading Innovation』
赤い矢絣の着物に袴、髪には大きなリボン。凛とした表情で和弓を引き絞る女性――岩崎茜。背景は古都、鎌倉。
彼女たちは、アメリカでも熱狂的なアイコンだった。発売されたグラビアやきわどいビキニ姿は若者を虜にし、半年前まではこのタイムズスクエアでも、彼女らのファッションを真似て和装で練り歩く若者がいたほどだ。黒い瞳、艶やかな黒髪。エキゾチックな魅力に溢れた二人は、日米友好の象徴だった。
それが、たった半年。暴言に等しい最後通牒と、それに応じた極右大統領によるあっけない開戦。
街の市民はアメリカ連戦連勝と浮かれているが、モルガンの元に届く数字は真逆を指していた。跳ね上がる死亡保険の支払額。激増する医療費。そしてハワイへ届く物資は、予定の三分の一にも満たない。誰もが第一次世界大戦景気の再来に酔いしれる陰で、敗戦の足音は着実に、そして重く響き始めていた。
それだけではない。アジア系というだけで強制収容所へ送る異常な差別政策。極右政権の刃は黒人層への弾圧にまで及び始めている。
不意に、街頭の大型ディスプレイがニュースを映し出した。カラー映像の中で、大統領が力強く演説を行っている。その姿を見上げながら、ラモントは吐き気がした。
「狂っている。敵も味方も、どいつもこいつも・・・」
彼には、その演説がアドルフ・ヒトラーのそれと何が違うのか、さっぱり分からなかった。ラモントは深く帽子を被り直し、冷たい風の中を一歩踏み出した。
「例の噂・・・真偽を確かめねば。もし事実なら、国民にぶちまけてやるさ。私にとっては、この国から自由が消えることの方が、敗戦よりもよほど重要な問題だ」
彼は陸軍省へ向かうべく、灰色の街並みへと消えていった。
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