6旅順攻略戦
ロシアは中国から遼東半島を租借し、旅順港を艦隊の根拠地とし、港湾を囲む山々を要塞化していた。いわゆる旅順要塞である。
日本は、日露戦争において、日本と満洲間の補給線の確保が必須であり、要衝、朝鮮半島海域の制海権を確保する為、旅順艦隊の殲滅が必要不可欠と結論した。また旅順要塞のロシア陸軍勢力は、満洲南部の日本陸軍の背後を脅かす存在であり、無力化が必要だった。
このため海軍は旅順艦隊を戦艦の大口径艦砲による撃沈及び旅順港封鎖。
陸軍側は旅順要塞攻略による旅順港及び陸軍兵力無力化を検討していた。
日露戦争勃発と同時に海軍は独力で旅順艦隊殲滅せんと欲したが、挫折する。
その一方、バルチック艦隊が迫るに至って、陸軍に期待するより無い事態に陥った。
そもそも、遠距離からの大口径砲による敵艦隊への間接射撃は成功例が無かった点は海軍側の落ち度と言える。
代案として、陸軍による旅順要塞攻略が大本営から発令されるが、要塞攻略に必要な要塞の情報が何も無かった、・・・史実では。
この世界線の陸軍はイギリスより旅順要塞の詳細情報を入手済。
実は旅順要塞の完成率は40%程度で、穴はあちこちにあったのだ。
要塞の第一防衛線はコンクリート製の半永久堡塁8個を中心に堡塁9個、砲台6個などとそれを繋ぐ塹壕から全ての方角からの攻撃に対処した上、第二防衛線内には高台に砲台を造り支援砲撃が可能だった。さらにこれらを突破した後にも堡塁と塹壕と砲台を連ねた小型の要塞が多数あった。
これに対して乃木大将率いる第三軍は要塞東北方面から攻城して行った。この方面は道路や鉄道があり、砲や兵士の運搬が容易だった為である。
また、予め要塞の詳細が判明していた為、準備した砲でロシア軍陣地と激しく撃ち合うが、日本軍の陣地詳細の無いロシア軍に不利であり、ロシア軍陣地は大損害を受ける。
史実ではその後、第一次総攻撃が強襲で敢行されるが、この世界線では異なった。
強襲攻城ではなく、正攻法、つまり塹壕を掘り進め、逐次敵塹壕を撃破して行った。この際に曲射歩兵砲、すなわち迫撃砲が有用だったことは言う間でもない。
日本軍5万一千とロシア軍4万4千の激突は一見すると牛歩の進退かに見えたが、実際にはロシア軍の塹壕は攻城砲と迫撃砲の支援を受ける日本軍に次々と陥落させられて行った。
更に史実では補給線の構築に失敗した日本軍だが、この世界線では最初から正攻法での攻城だった為、補給線の確保に成功。
攻城砲を逐次前進させ、敵堡塁と砲台に28cm砲弾を雨あられと降り注いだ。
その後、戦意高揚した日本軍の第二次総攻撃においてロシア軍の激しい反撃にあい、大損害を被った為、一旦進軍を停止した。
ロシア軍陣地からの機関銃を沈黙させるのは至難の業だった。
特に二百三高地攻略には死屍累々と戦死者や負傷者があふれ、最終的には攻略に投入された第一師団の人員は数百名まで戦力を減じた。
第三軍は一時、二百三高地などを占領したが、ロシア軍の粘り強い抵抗に一旦引き、攻城砲による徹底的な敵陣地の破壊に移行した。
史実においては脚気による戦死者、負傷者が多数出て、補給線が崩壊。準備した砲弾が前線に届けられず、日本軍は弾薬不足に悩まされた。
しかし、この世界線では、陸軍は糧食を麦飯に変更しており、脚気患者は皆無だった。
その為、十分な補給を行った後、第二次総攻撃後半戦において善戦し、弾薬補給の為総攻撃を再び中断。
1904年11月26日203高地主攻の戦略の元、第三次総攻撃が開始され、28cm攻城砲がこれでもかと撃ち込まれた。要塞としての能力をほぼ消失した203高地へはロシア軍の増援が逐次投入され、再編された歩兵第一師団には多数の戦死者が出たが、史実よりははるかに少なかった。
逆にロシア兵の損害は史実とほぼ同じで、戦術的に日本の勝利となる事は明白だった。
12月5日の203高地陥落後、同地点からの観測により28cm攻城砲を旅順港の艦隊に向けて射撃を開始した。しかし、旅順艦隊は既に満身創痍の状態で、唯一の残存艦は闇夜に紛れて脱出していた。とはいえ、旅順港を奪取した事により、日本艦隊は旅順艦隊を気にする事なく、補給を受けられないままのバルチック艦隊と対峙する事が出来る事になった。
12月10日、第11師団による東鶏冠山北堡塁への攻撃を開始。15日に粘り強くロシア軍を指揮していたコンドラチェンコ少将が28センチ榴弾砲の直撃を受け戦死した。
ロシア軍は203高地攻防で予備兵力が枯渇していた上、コンドラチェンコ少将が戦死した事で混乱が生じた。それでもなお戦意を落す事なく戦っていたロシア関東軍司令官ステッセリ中将も、東北面の主要保塁が落ちたことで継戦を断念。1月1日、日本軍に降伏を申し入れた。
日本軍の投入兵力は延べ10万名、死傷者は約1万名に達した。
旅順要塞のロシア軍が抗戦を断念したことから、第三軍は陸軍の戦略にある奉天会戦の満州軍に無事合流し、後に樺太全島割譲の布石となった。
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