2渋沢栄一登場
藤岡さんに三極真空管のサンプルを渡して東京大学に持ち込んでもらってしばらくすると、今度はとんでもない人が来た。
『ひえっ! ネームド級一万円札の人だ!』
心の中の叫びを殺して淑女の挨拶をすると、お父様が話し始めた。
「この度は娘の発明の為にご足労頂き、ありがとうございます」
「いえいえ、未来の日本の為の発明、これはしっかりと私達大人が保護する必要がありますぞ」
「日本は農業と繊維業位しかない貧国です。これからは新しい産業を育成しなければいけません。電気はこれからの日本をけん引する新しい産業となり得ますわ」
最後の私の言葉に彼が息を吞む。
「話には聞いていたが、驚く程利発なお子さんだ。この歳でここまでの知識・・・いや、それに正論だ。正しく我が国には新たな産業が必要」
彼の名は渋沢栄一。日本経済の父にして、実業家、令和にも残る大企業の創設に拘り、教育にも偉業を成した、正しく経済界の偉人。
藤岡さんの紹介で私の三極真空管の特許の話に協力する為に来てくれた。
「第一国立銀行総監役の渋沢様にそこまで言って頂くとは大変名誉なことです」
「藤岡氏の意見によれば電気技術史に名を残す発明の上、実用化すれば日本の新たな産業となり得る素晴らしい発明と聞いております。是非、この目で見てみたいと思いましてな」
「それは残念です。例の真空管は東京大学にサンプルとして渡してしまいまして」
渋沢の期待に対して申し訳なさそうに答える父。
「三極真空管というのは製作が困難な物なのですか? お子さんが作った物ですから、発想は奇抜だが、製作は簡単な物と思っておりました」
「作る事自体は簡単なのですが、カソードに使うタングステンなどは高価な材料でして、今の処たくさん製作すると言う訳にはいきませんの」
父に続き、私も申し訳なさそうに渋沢に伝える。
「う、む。しっかりしたお子さんですな。まさか特許について熱心なのもお子さんの方ですかな?」
「はい。藤岡氏の後押しで特許という話が出ましたが、娘が急いでおりまして」
「材料のニッケル、モリブデン、タングステンも日本から産出されておらず、アメリカやドイツから輸入する必要があります。特許を取らなければ他国に有利に製造されてしまいます。真空管の発明は多数の科学者が挑んでいます。時は金なりですわ」
私に視線を送る渋沢は私を値踏みしている様だ。
「いや、信じられない。つまり、特許権を熟知して独占権を確保して我が国に有利に進めたいと、このお嬢さんはそうおっしゃっている訳ですな?」
「我が娘ながら、三歳の頃から書斎の本を貪る様に読む様な子です。特許の重要性を理解していたのは娘の方です」
まさか特許の重要性を熟知していたのが娘の私の方だと知ってカラカラと豪快に笑う渋沢。
「では、特許の具体的な申請方法はご存じかな? お嬢さん?」
「・・・あ」
お嬢ちゃんでは無く、お嬢さんと淑女として扱ってくれる渋沢は実務レベルの話にシフトして行った。
私は前世で特許申請したことはあるが、この世界ではない。確か、この時代は先発明主義を採用しているし、当然手続きも異なる。
「心配ご無用。特許要件のうち、新規性と進歩性については東京大学の研究者からお墨付きをもらっている。藤岡さんに調べてもらったが、我が国も他国もお嬢さんと同様の発明は確認されていない。よって産業に利用できる可能性さえあれば特許として認められる。だが・・・お嬢さんは具体的にどんな利用方法を考えておるかな? 具体的な物が無いと特許は通りませんぞ」
成程、渋沢は真空管がどんな産業で、どんな具体的な工業製品となり得るかが知りたかったのだ。それは特許の申請にも必要な事だから。
「二極真空管が整流作用、ダイオードなのに対し、三極真空管は電流の増幅器アンプです。これにコンデンサやコイルを使えば通信器が製作できます」
「通信器? モールス信号用かね?」
「いえ、単純な信号だけではなく、人間の声を遠方に届ける事ができます」
「成程、それは素晴らしい進歩だ。民間より先に軍需が期待できそうだな」
渋沢を納得できたが、もう一押ししておくことにした。
「実は更に大勢の人に便利な使い方も期待できますわ」
「・・・まだあるのか、いや、続けて」
少々呆れ気味の渋沢に自分の考えを言う。今の時点で理解可能な範囲を検証する。
「それに出力の大きな放送局を作れば万人が聞けるラジオが製造可能です」
「うむ。実現の可能性が不透明な点も少々あるが、産業上の利用可能性は十分だな。特許としては間違いなく認められよう。後は欧米の特許とどうするか、だね?」
渋沢のいう事はもっともなことだ。まだ人種差別の残る欧米がアジア人のこの発明を認めるかどうかは不明瞭。場合によっては勝手に特許を先方に取られてしまう。
「海外の件は私にまかせなさい。君は国内特許の申請を進め、論文をまとめ・・・海外用に英文の論文も必要だな」
「それならもう書きましたわ」
「なに!?」
驚く渋沢だったが、前世のワーホリで海外留学経験のある私は英語も得意だったりする。
後で、渋沢の驚きがそこじゃないと言う点に気が付くまで少し時間を要した。
その後、私は特許申請書の詳しい書き方を説明してくれる先生を紹介してもらい、会社を立ち上げての事業化を希望したので、その相談にものってもらった。
その会社は群馬県太田市に本社を置き、名をスバルと命名した。
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