16第一次世界大戦の足音
1911年、私は11歳になった。
我が社に新たな事業部を設ける事になった。それが航空事業部。
現在主力の電気事業部は世界恐慌と共に業績悪化が目に見えている。
代わって主力となるのは航空事業部と石油事業部と見込んでいる。石油はどんなに不景気であろうと需要がある。航空機は次の第一次世界大戦で有力な兵器となり、世界恐慌の後にも軍需はむしろ増え、有力なビジネスとなりえるのである。電気事業部も民間部門より軍需部門の占める割合が増える。現在でも通信機の最大の顧客は帝国陸海軍である。
そんな私にとって、これから正念場となる。何しろ、これから三年後の1914年にオーストリア皇太子が暗殺されるサラエボ事件が起きる。そしてこれを発端として第一次世界大戦が勃発する。
地政学要衝の問題と複雑な同盟関係、複雑な民族同士の対立が掛け算となって世界を巻き込む大戦へと発展し、この時代からは国家総力を総動員する大規模な戦争へと発展して行く。
史実の日本はと言うと、日英同盟に従い、アジアのドイツ領を攻撃、占領するなどの形で参加していた。しかし、主戦場は所詮欧州で、日本は需要が増大した上、戦争で供給力の落ちた欧州に代わり多くの物資を輸出し、空前の好景気に入る。
ちなみに鈴木商店などはこの頃、鉄という名が付く物はかたっぱしから購入し、大儲けをした事で知られている。もっとも、罰が当たったのか、第一次世界大戦後の不況、その中でも1927年の昭和恐慌で倒産する。
私はと言うと・・・アメリカ、イギリスとオーストラリア支社に特派員を送り、今から鉱山や石炭の鉱脈への投資や買収、鉄関係の買い占めを始めていた。
何? 鈴木商店とやっている事が一緒? そうだよ、それ処か四国の今治市の造船業に融資して、現地今治支店の涼宮銀行頭取自ら今治造船の創業主を唆す(そそのかす)じゃなくて説得して早期に大型ドックの建設に着手している。戦争の影響で欧州の造船業が衰退し、一方で需要は増大するから造船業は儲かるのだ。涼宮グループもこの地に造船所を創業し、涼宮造船を開業した。あまり知られていないけど、令和の造船業の最大手って今治造船なんだよね。丸亀事業本部には日本最大のドックがあり、世界シェア第四位だよ。丸亀製麺のうどんが美味しい事で有名だけど、意外と造船の方が凄いのだよ。『タオルとは違うのだよ、タオルとは』。他に武器弾薬の製造工場や戦時の需要品、建設資材、鋼管、針金、鉄条網、セメントなどの各種鋼材や資材も大量に必要とされるんだもん。もちろん乾パンや缶詰などの保存食、砂糖などの甘味品といった軍用食が不可欠な補給品の増産にも抜かりがない。だって、確実に儲かるし、鈴木商店と違ってうちにはグループ内のメインバンク、涼宮銀行がついている。涼宮銀行は大手の財閥の銀行に比べたら規模が一桁違うが、我が社や涼宮財閥系企業を賄うには十分な規模である。
鈴木商店が倒産した理由は二つで、震災手形と言う不良債権を大量に抱えた上、単一銀行へ過度な依存をしていた点。
台湾銀行のみに依存し、リスク分散を行わなかった上、同グループのメインバンクを持っていなかった。他の大企業は財閥系で、グループ内にメインバンクを持っていたので、見捨てられる事はないのだ。三菱銀行や三井銀行と言った銀行が同じ財閥系の企業への融資を停止する事はない。
史実では第一次世界大戦後の不況から与信が減じ、1927年に台湾銀行からの新規融資を断わられ、一気に倒産へと至る。台湾銀行自体も鈴木商店の破綻から焦げ付きが生じて同じく破綻する。
どちらも戦争の景気で利益を享受していた訳だが、まるで罰が当たったかの様に戦争終了後の不景気でつぶれてしまう。え? お前が言うなって? う~ん、他人事だし、仕方ないんじゃないかな?
そんな中で1911年末、アメリカ留学から帰った中島知久平氏の設計で日本で最初の水上機が完成した。そして翌年1912年、海軍に採用され、初の日本製海軍用水上機となる。
史実の中島は日本海軍式水上機の設計を担当するが、実用性はなく、試作止まりだった。
しかし、この世界線では、既に矢頭良一氏の研究の成果で星形発動機を実用化していたため、9気筒、200馬力の麦(語源はライカミング)発動機を搭載。その性能は史実の横廠式水上偵察機とほぼ同じで、実に12年も前倒しになり、名を昴式ロ号水上機と名付けられた。
更にこの発動機を矢頭氏が発展させ、車両用空冷式水平対向エンジンの開発へと繋げ、日本陸軍の輸送車や民間の自動車、トラック、果てはバイク用の小型発動機へと展開させた。
そして1913年、我が社に自動車事業部発足と共に日本発の三輪自動車、ミゼット(ダイハツさんごめんね)が発売され、翌年1914年360cc水平対向エンジンを搭載したスバル360を発売。主に北米市場で圧倒的なシェアを奪う事態となった。
もちろん、オリジナルデザインは私と言うか、令和の頃ググって得た知識をパクった。
後のフェルデナント・ポルシェ博士のドイツ国民車フォルクスワーゲンビートルは我が社のスバル360がテントウムシと言う愛称を付けられた事からビートルと言う愛称を付けたと喧伝されるようになったが、その事実はない。でも、黙っておこう。
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