夕焼けに染まる
「おいおいギブアップか?」
咳き込んで膝に手をつき、立ち止った大二郎に、チャラさんが声をかけた。
一応心配はしているらしく、大二郎の顔色を見て走る速度を緩めてくれた。
先ほどの駅での騒動で、和服のおばさんに突き飛ばされた胸が、呼吸するたびに鈍痛を発していた。
-呼吸器がやられたかな。
医学知識のかけらもない大二郎がぼんやりと推測した。
フェンスをねじりきるようなあの怪力をもろに食らって、どこも無事であるはずがない。
チャラさんがとうとう立ち止まり、大二郎に手を貸した。
おぶってやろーかというチャラさんに、大二郎はぶんぶんと手を振って応戦した。
大学生にもなっておんぶだなんて、胸が裂けるまで全力疾走したほうがマシだ。
ムキになって拒否する大二郎を、チャラさんが笑い飛ばした。
「お前、ほんと予想どおりの反応だな!俺だって野郎なんか背負いたくねーよ!」
「やっぱりチャラさんなんだな…!」
「は?んだよチャラさんって。年下のくせに生意気な」
「さん付けしてるだろ」
チャラさんの空気がなじみやすく、思わずふざけるに至ってしまった大二郎はふと口をつぐんだ。
ふざけている時の空気が、磯田に似ていた。
級友の磯田の顔がまぶたに見えた時、大二郎の胸にまた、鈍痛が走った。
「なあ、チャラさん、教えてくれよ。ウイルスてなんだ?・・・抗体獲得者ってなんなんだ?」
チャラさんの笑顔が一瞬にして真顔になり、黙り込んだ。
2人はしばらく、もくもくと歩いた。
いくつもの路地を抜け、河川敷に出た。
傾きかけた太陽が、空をオレンジ色に染め始めていた。
ふいにチャラさんが大二郎の目をのぞきこんだ。
その目に、出会ったときとは打って変わって真剣な色が浮かんでいるのを見た大二郎は、
ふっと息をのんだ。
「お前、本当になんもしらねーの?」
大二郎は、チャラさんの雰囲気に気圧されて、無意識のうちに一部始終を話していた。
大二郎がほぼ軟禁されていたことを知ったチャラさんは、納得したように頷いた。
「そーいうことか。じゃあ知らんで当然か」
「おれも知りたくて出てきたんだよ。どうなってんだ世界は。」
チャラさんは顎に手を当て、フムと考えこんだ。真面目な横顔がまた様になっていて、大二郎は内心いらっとした。
「…支配。」
え?と大二郎は目を上げた。ぽつりと呟いたチャラさんは遠くを見て眉ねを寄せていた。
二人の立つ土手は夕焼け色に包まれつつあった。
大二郎の視線に気づいたチャラさんは、慌てたように明るい声を出した。
「いや、まあ、今何が起こってるかはウィナーズネストに入ればわかるんだ。」
「またそれだ。ネストってなんだよ。チャラさん行ったことあんの?」
「行ったことないわけないだろう。お前くらいだ行ったことないの。…ていうかチャラさんはやめろよ」
「お前、も、やめろよな。」
チャラさんと大二郎は、顔を見合わせ、二人とも不敵な笑いをした。
「おれは永峰アキヒロ。アキさんと呼べ」
「了解、アッキー。おれ、大二郎」
にやっと笑ったアキが、腕時計をとんとんと叩いた。
時間だ、とその顔は語っていた。
「ようこそ、ネストへ、大二郎君」
その時、川面に映った夕日が僅かに揺らめいた。