ポスターの男
感染者は、抗体獲得者の命令に絶対服従するー…
その信じがたい事実は、あっという間に世間に知れ渡っていた。
あの日から大二郎は、大学を休んでいた。
というのは、家族が、大二郎の外出に大反対だったからだ。
「とにかく、お前は家から出るなよ。」
父親が真剣な面持ちで言った。
母親も、桂子も、口ぐちに大二郎を説得した。
大二郎には、『お前は異端者だ、問題を起こすな、波風たてるな』と言われているように聞こえた。
そして、なにより大二郎を悩ませていたのが、最後に大学に行った、あの日のことだった。
あの日、大二郎は、逃げるように家路についた。
あの2人は何を話したのか?
磯田は、美原と同じように、土屋の話を信じただろうか…
「だから、家にいなさいと言っているでしょ!」
何回目かの母親の説教の時のことだった。
大二郎はついに言ってしまった。
「おれに命令するなよ!!」
ぴたっと口を閉じた母親を尻目に、大二郎は外へ飛び出した。
久し振りの外は、何もなかったかのように蝉が鳴いていた。人々も、平素どおりに生活しているように見えた。
磯田は、知らないうちに駅へと足が向いた。最寄駅につくと、何か改札のあたりが騒がしかった。警察が来ていた。布をかけられた何かが、救急車へと運ばれていくところだった。
「また殺しですって。」
誰かが言った。
「まだ、いたんですねえ。抗体獲得者」
違う誰かが言った。
「あいつらは、早いとこ根絶しなくちゃならないんですよ。奥さん。」
女の人の声。
「何を命令されるかわからないものね。もし自殺しろなんて命令されでもしたら…やだ怖い。でも、殺してしまうのはどうなのかしら…」
またさっきの声。
「何言ってるんですか。何か企んでいるのは明白なんですよ。現にやつら、1か所に集まりつつあるって噂じゃないですか…。」
大二郎は背筋が寒くなった。
一見、いつも通りの駅前は、しかし、大二郎の知っているものではなかった。
大二郎は2回、長く静かに息を吐いた。
落ち着け、自分。
普通にしていればばれない。
野次馬を遠巻きにしながら大二郎は、やはり家にいればよかったかな、という思いが頭をかすった。
しかし、その考えはすぐに振り払った。
何が起こっているのか…
それを知りたい。
知らずに閉じこもり続けるなんてできるわけない。
大二郎はもう一度ふっと息を吐くと、改札へと進んでいった。
電車は規則正しい音を立てて走っていた。
大二郎は、空いた席に浅く腰かけ、車内の広告を見ていた。
車内は、一面えんじ色に白い文字のポスターが貼りめぐらされていた。
真中に、ひとりの男の写真が載っている。
大二郎は、思わず目を見張った。
気味悪いほど左右対称の顔をしたその男は、土屋だった。
ポスターにはでかでかとレジスタンスの文字があり、
世界を守ろう 私たちの手で
という文句が踊っていた。
大二郎は、ぞっとするような、でも笑い出したいような気持ちに襲われた。
1週間前までただの同級生だった青年の顔が、いくつもいくつも、大二郎を見つめていた。
「敵は、おれか」
大二郎は口の中でつぶやいた。
電車は、スムーズにホームに滑り込み、静かに停車した。
大二郎は、降車する人たちのあとから、電車を降りた。
電車がガタンガタンと言いながら走り去り、大二郎が改札へと歩き始めた時、ふいに後ろで声が上がった。
「ちょ待てよ、おっさん。ぶつかったら謝んだろぉ、フツウ!」
ホームにさっと緊張が走り、ほとんどの人が声を振り返った。
ガタイのいい、とび職風の男が、背の低いサラリーマンに詰め寄るところだった。