ココアのようで。
泣いている、
美原が泣いている。
いつもは勝気な、女の子の背中が見えた。
あの時、「待て」と言ってしまった、命令してしまった時の映像だ。
違う、そんなつもりじゃなかった。
大二郎は美原に触れようと手を伸ばす。
肩をつかんだ、瞬間、美原は磯田になって振り返った。
あの、光の消えた目。
「俺が、敵か?」
ハッと目を覚ますと、薄暗い部屋にいた。
見慣れない天井だ。
いやな汗を手の甲でぬぐって体を起こすと、アキのベッドが空だった。
あの後、警戒態勢は解かれ、大二郎とアキは、本部の一室の埃っぽい部屋をあてがわれた。
「明日の朝ごはんは、帝国ホテル顔負け必須よ。期待してもいいけどちゃんと寝るんだぞ!」
見送り際、黒木がわざとらしく親指を立てた。
警戒態勢の中だったので、携帯食のようなバーと、チョコチップクッキーという夕食の後だった。
誰もが必要最低限の会話しかしなかった。安易な慰めなど無意味であることを全員が知っていた。
「遠足前に寝れなくなるタチなの、どうしてわかるんです?」
大二郎は、黒木の気遣いを受けてほほ笑んだ。
「へへん、顔見りゃわかるんだよ、わんこ君。私を誰と心得る。」
黒木が少し安堵したような表情で胸をそらした。
黒木はちらっと、ベッドに腰掛けたアキを見、それからおやすみといって部屋を出て行った。
「…チャラさん?」
薄暗くなった指令室で、ぼんやりとモニターを眺めるアキの姿があった。
当直の担当は夜食でも取りにいったのだろうか、モニター前の点けっぱなしのランプの下には、マグカップが湯気を立てていた。
アキがゆっくりと振り向いて、薄く笑った。
「なんだよ、一人じゃ寝れないのか?添い寝して欲しいって?」
「小学生かッ!…全く、心配してたのに」
大二郎がプイッとそっぽを向くそぶりをすると、アキがちょっと驚いたような顔をした。
「そんなにダメージあったように見えたか?」
大二郎がなにか言う前に、アキは顎に手を当てて言った。
「そりゃそうか…。なあ、大二郎」
風が吹いた。どこかのドアが開いたのだろうか。
「感染者は、敵だよな?」
「え」
大二郎は、その眼光に圧倒された。
意思の宿る鋭い眼、その瞳はしかし、少し揺れている。
大二郎は逡巡した。土屋が、磯田が、美原が、家族が、次々に浮かぶ。
「人に寄る、と思う。だって悪いのは唆してる奴だろ。他の人は悪くない」
アキはフッと息を吐いた。マグカップの取っ手をもてあそんでいる。
「やれやれだよ。お前ほんと、おぼっちゃんなの?相手が悪くなくても、お前を殺そうとしてきたらどうすんだよ」
大二郎はしばらく唸った。
「説得する」
アキはぶふっと変な音を出して笑った。
マグカップを口に運び、一口すする。
「甘っ。ココアなんか飲んでるぜ、こいつ。」
アキが不敵な笑みを大二郎に向けた。
「お前も少女漫画から抜け出たみたいに甘ったるいけど!」
「せめて少年漫画にしてくれ。」
大二郎はなるべく眉間にしわを寄せて文句をいった。
アキが通常ペースに戻りつつあるのを崩さないよう、だ。
アキがカップを差し出した。
受け取って一口飲む。確かに、涙が出るほどに甘い。甘すぎる。
「…みそ汁欲しい」
涙を拭きながら言い、二人して笑った。