変化は突然に
疑うことと信じることをテーマにして、書きたいと思います。
チャララララン ラン♪
いつもの音楽が、元気よく流れる。
このタイミングなら、イケる。そう確信した大二郎は、走る速度を上げた。
ドアは、背後で閉まった。
狙い道理に滑り込んだ電車の中で、大二郎は大きく息をついた。
朝のこの時間、出社するひと、通学の学生で車内は混み合っていた。ダッシュで息が上がった大二郎は、なるべく静かに息を整えた。汗が背筋を伝うのを感じた。
しかし、この密度はすげーよな。毎日思うが。
たとえばありんこが、サイコロキャラメルの箱の中にこの密度で入っていたら、絶対密度ストレスで死ぬだろう。
隣のメタボ確実なおじさんが、片手で手すりをつかみ、四半分に折った新聞を片手に持って読んでいた。
実に器用だ。
4つ目の駅で、出る人の波に押され、いったんホームに降り、脇によけて待つ。
また乗り込む。さっきのメタボおじさんは降りたらしく、大二郎はそのスペースに落ち着いた。
やれやれいつも1限のやる気がそがれるんだよナー。
と、手すりにつかまろうとして、大二郎はぎょっとした。
手すりは、人の手で握ったような形にへこんでいた。
大二郎は思わず、窓の外にさっきのおじさんを探した。しかしすでに電車は走りだしたあとで、ホームの人ごみの中に彼を見つけることはできなかった。
まさかな。なんか俺には計り知れない事故でこうなったに違いない。うんそうだな!
人は信じられないものを見たとき、それに変な理屈をつけて無理やり理解しようとする、もしくは見なかったことにしてしまう。
しかし、目の前のゆがんだ手すりは、いやでも大二郎の視界に入ってきた。
「また寝坊かよ、大二郎。春は過ぎたぞ」
磯田がにやにやした。
「ちげーよ。今日は余裕で起きた。」
大二郎は結局次の駅で降り、1本あとの電車にのった。溜息がでて仕方なかったからだ。
「じゃあなんで1限来なかったんだよ…。いい加減おれの素晴らしい代返もバレるぞ。」
「大丈夫だろ。あのセンセ名前呼ぶ時こっち見ねーもん」
「いやそこじゃなくて、植田とかが笑うんだよな、俺が声色変えて返事すると」
そりゃばれるわ。ほんといい加減でないとまずいな。
はーっとおもくそ溜息をつくと、磯田がまたにやっとした。
「2限空きだろ?スロットでもしに行くか?」
「や・・・金のかかんねーことしよう」
大二郎は前日、G1で大いに負けていた。
「じゃキャッチボールでもするかあ。貧乏くせ。」
はははと、磯田は笑った。が、もと高校球児のこの男がキャッチボールをつまらないとは思っていないことを、大二郎は知っていた。
2人は管理人にグローブとボールを借り、グラウンドに出た。
女子大生の一団が、脇を通り過ぎていく。
レポートどこまでやった?あたしまだまだなんだよね。
カマの掛け合い、探り合いを繰り広げながら、騒がしく2号館のほうへ消えていった。
いくぞー と声が遠くから聞こえ、大二郎はあわてた。
いつもは近い距離から始め、だんだんと遠くから投げるようにしていくのだが、すでに磯田は70mほど離れた所から手を振っていた。
「大丈夫かー最初っからそんな飛ばしてー!肩痛めるぞーはお前のセリフだろ――!?」
大二郎が叫んだが、磯田は軽く笑って、投げるモーションに入った。
磯田の手から放たれたボールは、いつもどおりにー…いやいつも以上に、あっという間に距離を縮めた。
予想を超えるスピードだった。大二郎はグローブで受けたが、衝撃がビリビリと手に伝わった。
レーザービームだ。
驚く大二郎に、続いて磯田の声が届いた。
「な---?!今日すげー調子いいんだ―――!お前が昨日競馬でコケてよかった――!」
大二郎は苦笑いして、このやろーと磯田めがけて投げた。
しかし元々ノーコンなうえにやけくそだったので、かなり右のほうに暴投してしまった。
これは追いつかない、後ろに抜けてしまう。悪いなと言おうとして、大二郎は不自然な光景に言葉を失った。
磯田が、土煙りをあげて走っている。あっという間にボールの落下地点に入り、捕球した。
それはウサイン・ボルト並みのスピードだった。
「ていうか、おかしいだろ。お前。調子いい、で片付かねーよ。」
グローブを返し、学食でラーメンを食べながら、大二郎はつっこんだ。
「うん、今日で自己新を60mも塗り替えたぜ。ちゃんと見たか、おれの勇士を!!」
ぱきっと音がして、磯田の手の中の箸が2本とも折れた。
新しい箸を持ってまた向かいに座ると、さすがの磯田も、少し不安そうな顔をしていた。
「確かにちょっとおかしいな。おれどうしたんだろ。」
あの後、2人はどんどん距離を広げ、キャッチボールを続けた。結果、磯田の球はグラウンドの対角線の端から、端のグローブに、正確に吸い込まれていった。
ずるずるとラーメンをすすって、しばらく2人とも黙っていた。
大二郎は、不安そうな磯田を励まそうと口を開きかけた。
すると磯田が思いついたようにこういった。
「おれ、超人になったのかも?!」
こいつの心配はするまい、と大二郎は思った。
2人はラーメンを食べ終わり、食器を返却口へ運んだ。
「あの、すいません。箸、折っちゃいました。ごめんなさい。わざとじゃないんです」
磯田が律儀に謝った。学食のおばさんはまたかと言った。
「なんなの、もう。今日は学生のクーデターなの?」
大二郎と磯田は、顔を見合わせた。
いわく、箸を折った人は磯田で13人目らしい。
パートのおばさんは、ちょっとしかめつらしい顔をしたが、許してくれた。
その日の午後には、大学全体が異変に気付き始めていた。
大二郎たちの3限の授業では、シャーペンや、作りつけのイスなどを壊してしまう学生が続出し、挙句先生はチョークを残らず砕いてしまい、板書を諦めるしまつだった。授業中、ひっきりなしになにかが壊れる音がしていた。
隣の教室では、異変に騒ぐ学生たちを鎮めようと教卓をノートで叩いた教授が、そのまま教卓を真っ二つにしてしまったという。
「なんかこう、急に力がついたみたいなんだよな。力加減がわかんねーってか、自分の力がどんくらいだったかわかんね」
3限後、2人でベンチに腰かけて、磯田が天を仰いだ。
大二郎は隣でケータイをいじっていた。
「他にもかなりそういう奴いるみたいだな。ネットのニュースでも大騒ぎだ。」
「やっぱそうか。ちょっと見せて」
大二郎はケータイを差し出したが、磯田は受け取ろうとせず、目を細めて画面を見つめた。
「なんだよ、ちゃんともって見ろよ」
磯田はちらと大二郎を見た。
「やだね。お前に触ったらツキがおちる」
「おまえな…!」
「ジョーダン。怖くて触れねーよそんなん。絶対壊しちまう」
いつもに似合わず真剣な声だった。
その日、今年初めてのセミが鳴いた。