第91話 港町編・エピローグ
港町編・エピローグ
〜潮風の約束〜
港町エスパーダに、かつてないほどの賑わいが戻ってきてから、すでに一週間が経っていた。
漁師たちは再び海へ出るようになり、干物棚にはアジやサバが並び、酒場には笑い声が戻った。
そんな活気の中、町の人々は、密かに“その日”が近づいていることを知っていた。
英雄たちの旅立ちの時が、刻一刻と近づいているということを。
「おじちゃん、ほんとに行っちゃうの?」
朝日が差す港に、小さな声が響いた。
トムが、ルゥの毛並みに頬をすり寄せながら、しょんぼりと呟いた。
ルゥは「がう」と優しく鳴いて、トムの顔を舐める。
「行かないといけないんだ。まだ助けを待ってる町がある」
カールが膝を折ってトムと目線を合わせると、トムは小さくうなずいた。
「……そっか。でも、また来るって約束してくれる?」
「ああ、絶対に」
その約束の証として、トムは手作りの貝殻のペンダントをルゥに渡した。
ルゥはそれを首にかけたまま、誇らしげに胸を張る。
漁師のヤンは、出発の朝、カールたちに上等な干物と潮漬けの壺を手渡した。
「これで道中、魚が恋しくなっても困らねえさ。……おめえらのおかげで、また海に出られる。感謝してる」
セリアは丁寧に頭を下げた。
「いえ、私たちの方こそ。港町の皆さんに、温かく迎えていただいて……楽しかったです」
リアナも珍しくしおらしく礼を言った。
「次に来る時は、魔物退治じゃなくて観光ってことで」
町の人々が見守る中、小舟が波を蹴って港を離れた。
「また来いよー!」「次は祭りに合わせてな!」
そんな声が、風に乗って遠くまで響いた。
トムが、ルゥの首にかけられたペンダントを見て、にっこりと笑った。
数か月後――
「おいヤン、見ろよ! 船だ、あの船!」
港の見張り台から飛び降りた若い漁師が、息を切らせながら叫んだ。
ヤンが手をかざして沖を見やると、そこにはどこか見覚えのある帆影があった。
——あの、黒い外套の男。
白銀の毛並みをなびかせるフェンリルの子。
「……帰ってきやがった」
思わず笑みがこぼれた。
町中に鐘が鳴る。
子どもたちが走り、大人たちが港に集まる。
「カールさん!」「セリアさま!」「リアナちゃん!」「ルゥーーーーッ!!」
港町エスパーダ、今日だけは仕事を休みにして、**“英雄たちの再訪祭”**が開かれる日だった。
船が着くなり、ルゥは一目散にトムの胸へ飛び込んだ。
「ルゥっ、ほんとに戻ってきたんだね!」
トムは一回り大きくなった体で、抱きしめ返した。
「うちの干物、あんたらが戻ったおかげで、王都にも出荷されてるんだよ」
リサが笑顔で言うと、エミリーゼは目を輝かせて叫んだ。
「えっ、じゃあ今晩は全部出して! アジにサバにイカにカニに……!」
「ちょ、ちょっとエミリーゼ、それは順番に……!」
セリアとリアナがあわてて彼女を止めたその時、ルゥがどこからか大きなタイを咥えてきて、皆を笑わせた。
祭りでは、漁師たちが踊りを披露し、セリアは町の子どもたちに風魔法を教え、リアナは自作の氷細工で射的大会を開催。
カールはヤンたち漁師と語らいながら、炭火で魚を焼いていた。
「……こういう時間も、悪くない」
「まったくだ。戦いばっかりじゃ、体がもたねえだろ」
ルゥが丸焼きの魚を前に「がうう」と鳴き、みんなが笑った。
祭りの夜、港に打ち上がる花火を見ながら、セリアがぽつりとつぶやいた。
「ここ、また来たいですね……今度は、もっと長く」
「うん。……この町は、私たちを“待っててくれる”気がする」
リアナのその言葉に、カールもうなずいた。
「……ああ、必ずまた来よう」
潮風の中、再会の約束が静かに交わされた。
エスパーダの夜空に咲いた花火が、まるで彼らの旅路を祝福しているかのように、美しく海を照らしていた。




