第87話 真夏の夜に語ること ― 浜辺のささやき編 ―
『真夏の夜に語ること ― 浜辺のささやき編 ―』
花火が終わり、浜辺には静けさが戻っていた。
皆は小さな焚き火を囲むように、輪になって座っている。薪がパチパチと音を立て、赤い火がゆらゆらと揺れる。夜風は涼しく、海から届く潮の香りが、夏の終わりを静かに告げていた。
「……花火、すっごくきれいだったね」
セリアが小さく微笑む。
濡れた髪は乾き始めており、パーカーの袖口からは細い手が覗いている。すこし冷えたのか、カールの隣に身を寄せてきた。
「うん。ああいうのを見ると、思い出として心に焼きつくよね」
リアナが手を膝の上で組みながら、星空を見上げる。
風になびく銀髪が月光に照らされて、どこか儚げな美しさをまとっていた。
「今日という日を、忘れたくないな」
そのつぶやきに、エミリーゼがくすっと笑う。
「……ふふ、なんだか詩人みたいじゃない、リアナ」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「でも、わかるわよ。私だって、今日のことは胸に残しておきたい。……いろんな意味でね」
エミリーゼは意味深な笑みを浮かべて、カールの方をちらりと見る。
「ボクも、ボクも! こういう時間って、大事なんだよね!」
ルゥがふさふさの尻尾をぱたぱた揺らして、元気いっぱいに頷いた。
「夜の海って、昼間とはぜんぜん違うんだね。静かで、でも……なんだか、心がポカポカする」
「……ルゥ、いつの間にそんなに詩人になったんだ?」
カールの問いに、ルゥは得意げに胸を張る。
「えへんっ。ボクだって成長してるんだよ、カールの隣で、毎日いっぱい冒険してるからね!」
「……そうだな。お前も、立派な仲間だ」
カールがその頭を優しく撫でると、ルゥは満足そうに目を細めた。
しばらく、誰も喋らなかった。波音と焚き火の音だけが、ゆっくりと時間を刻む。
――それでも、不思議と心は満ちていた。
「ねえ、カール」
ぽつりとセリアが声を上げた。
「ん?」
「明日が来るの、ちょっとだけ、寂しいかも」
「……」
「だって、こんなに素敵な時間って、ずっとは続かないでしょ? 旅が進めば、また戦ったり、傷ついたりする日もあるんだもん」
セリアの声は小さく、焚き火のパチパチという音に紛れそうなほどだった。
けれど、カールにはその言葉の重さが、はっきりと伝わっていた。
「……確かに。俺たちの旅は、楽しいことばかりじゃない。でも、こういう時間があるから、進めるんだと思う」
「うん……。だから、もうちょっとだけ。もう少しだけ、こうしててもいいかな?」
「ああ、好きなだけ」
カールの答えに、セリアは静かに微笑んで、彼の肩にもたれた。
「カール」
今度はリアナが、少し真面目な声で話しかけてきた。
「……いつか、私たちの旅が終わったら、そのとき……あなたは、どんな未来を思い描いているの?」
「未来か……」
カールはしばらく沈黙してから、焚き火を見つめながら答える。
「誰かのために剣を振るって、誰かの隣で笑っていたい。それが、たったひとりの人のためだったとしても、俺は……それでいいと思う」
「……そっか」
リアナは目を伏せた。銀のまつ毛がちらりと揺れる。
その隣で、エミリーゼが冗談めかした声を出す。
「ふふ、まったく。罪な男ね、あんた」
「……何がだよ」
「全員が全員、あんたの“たったひとり”になりたがってるってことよ」
カールは少しだけ苦笑するしかなかった。
けれど、焚き火の光が映す彼女たちの表情は、決して軽くない。それぞれが、強い想いを抱えている。
それを受け止める覚悟が、自分にあるのか。
その答えを出すには、まだもう少し時間がかかるかもしれない。
「……でも」
ルゥがちょこんと前に出て、焚き火を見ながら言った。
「カールがカールでいてくれるだけで、ボクは嬉しいよ。ボクたち、ずっと一緒にいたいもんね!」
「……ああ。ルゥ。もちろんだ」
皆がふっと笑った。温かい笑み。優しさがにじむ、夜のぬくもりだった。
星は静かにまたたき、海はやさしく波を返す。
言葉は少しずつ減っていったけれど、焚き火を囲むその輪の中には、言葉以上の絆が確かに息づいていた。
――明日が来ても、きっとこの想いは消えない。
夏の夜に交わされた、静かで確かな約束。




