第86話 『真夏の浜辺に誓いの声を ― 夜の花火編 ―』
『真夏の浜辺に誓いの声を ― 夜の花火編 ―』
日が沈み、海辺は夜の静寂に包まれていた。
波の音は昼間よりも穏やかで、星の瞬きと月の光が白砂を照らしている。虫の音は遠く、風が髪を撫でるだけの心地よい涼しさがあった。
その中で、浜辺には小さな灯りの輪ができていた。
「うわぁ~……夜の海もすっごくきれいだね」
ルゥがふさふさの尻尾を揺らして、きらめく波を見つめる。
「うん。波に映る月が、まるで空にもうひとつ浮かんでるみたい」
そう呟いたのはセリア。白いワンピースの上に薄手のパーカーを羽織り、頬にそっと風を受けていた。
「ふふ、ほんとに幻想的だわ」
リアナは手に持っていた提灯をそっと置き、小さな打ち上げ花火を取り出す。
「さぁ、今夜のメインイベント――花火、始めましょう?」
その声に皆の顔がほころんだ。
「じゃあ、カール! 火、つけて!」
セリアがはしゃぐように手持ち花火を差し出し、カールは火種を取り出して慎重に火を灯す。
ジジッ……と音を立てて、細い炎がぱっと広がり、光の粒をまき散らした。
「わぁ……!」
手元に咲いた光の花に、セリアが目を輝かせた。
「綺麗……。なんだか、こうしてみんなで花火するなんて、本当に夢みたいだな」
セリアの横でリアナもまた、火花を見つめながらふと口を開いた。
「夢じゃないわよ。現実よ、カール。私たちが一緒に歩んできた現実」
「……そうだな」
「ボクもやるー! ねぇ、リアナ、これどう持つの?」
「はいはい。焦げないように気をつけてね、ルゥ」
リアナがルゥの手元をそっと取って、手持ち花火を持たせてあげる。ルゥは嬉しそうに尻尾を振りながら、火花の軌跡を空に描いた。
その後ろから、ひときわ艶やかな笑みが覗く。
「さっすがにこれはロマンチックね~。カール、ひとつ付き合ってもらえる?」
そう言ってエミリーゼが取り出したのは――線香花火。
「……お前がそれを選ぶとは意外だな。もっと派手なのが好きかと」
「ふふっ、こういうのは“二人で静かに”ってのが、いいのよ」
エミリーゼがにこりと笑い、隣に腰を下ろした。
二人並んで火をつける。細い火球が、かすかに揺れながら光を放つ。
「……カールは、こういう時間、好き?」
「そうだな……最近は、こういう静けさのほうが落ち着くようになったかもしれん」
「へぇ、ちょっと大人になったのね?」
「……お前の言う“ちょっと”が怖い」
エミリーゼは楽しげに笑いながら、火花の終わり際にそっと呟く。
「この花火みたいに、一瞬でも強く光れたら……私はそれで、十分かもしれないわ」
「……」
「なんてね。冗談よ?」
火が落ちた線香花火が、砂に静かに沈んだ。
その背後で、ルゥが空を見上げて叫ぶ。
「いくよーーー! 打ち上げ花火、発射ーー!!」
ひゅるるるっ……と夜空へ舞い上がった火球が、どんっ! と大きな音を立てて、空に赤と金の大輪を咲かせた。
海面に映る花火が、まるで別世界の光景のように揺れていた。
「きれい……!」
「うん! すごいよ、これ! もっとやろう!」
打ち上げ花火が次々と夜空に弾け、空を彩っていく。
その光の下で、カールの隣にそっと座ったのは、セリアだった。
彼女は膝を抱えて、ちらりとカールを見る。
「カール……少しだけ、このまま一緒にいてくれる?」
「ああ、もちろんだ」
「……ありがとう。今日、すごく楽しかった。こういう日が、ずっと続いたらいいのにって思っちゃうくらいに」
「それなら、願えばいい。虹の貝、見つけたんだろ?」
「……うん。でも、カールが隣にいてくれなきゃ、意味ないんだよ」
その言葉に、カールは少しだけ目を細めた。
「お前は、もう俺の隣にいるじゃないか」
「そっか……そうだよね……」
セリアの頬が赤く染まり、波音がふたりの間に静かに流れた。
その隙間に、ふとルゥが入ってくる。
「ねぇカール。今日って、ほんとに幸せな日だったね」
「そうだな、ルゥ。……俺も、そう思うよ」
カールはルゥの頭を撫で、獣の毛に指を通した。
最後の一発が夜空を彩り、すべてが静寂に戻った。
――けれど、心には静かな余韻が残っていた。
誰もが胸に秘めた願いとともに、夏の夜が、やさしく終わっていった。




