第80話 リアナ=クラウゼの手記 ――王都にて、見つめる想い
「リアナ=クラウゼの手記 ――王都にて、見つめる想い」
春風が王都ルメリアを包む季節。
石畳を踏む音が、いつもより少しだけ硬く響いて聞こえたのは、わたしの心がざわついていたからだろう。
王都は今日、ひとつの大きな転機を迎えようとしていた。
ノルド王国の王子、ユリウス6世=ノルドが正式な使節として訪れ、フリューゲンとの外交対話の場が開かれる。
その席には、もちろんカール=キリト。そして――彼を支える者たち、セリア=ルゼリアに、わたし、リアナ=クラウゼ、さらに、エミリーゼ王女様と共に王国魔術師団に所属する者たちもいた。
けれど本心では、もっとずっと個人的な感情を抱えていた。
そう。わたしにとって、カールとセリアは“戦友”であると同時に、将来を誓った仲なのである。
ルメリアの城門を通ってきたユリウス6世王子を初めて目にしたとき、思わず息を飲んだ。
精悍な顔立ち。王族の気品。そして、冷ややかでありながら深い誇りを感じさせる蒼い瞳。
彼の纏う空気は、どこかカールに似ていた。
けれど違う。
彼は「失うこと」を知ってなお、王として“道を曲げなかった”。大切な兄や叔父、従姉、多くの者を失ってなお前に進み、王太子の道を選んだ。
カールは「すべてを失ったからこそ」、自分の生き方を選び取った。
まるで、光と影のように――似て非なる存在。
そしてその間で揺れているのが、セリアだった。
「試問の間」でのやり取りは、わたしにとって忘れられない時間になった。
ユリウス王子の問いは厳しく、論理的で、まるで審判のようだった。
一国の王子として、彼の言葉には正義がある。
叔父を処刑され、従姉を連れ戻すために自らの矛を振るうこと。それが彼の「王族への忠誠」だったのだろう。
でも、カールは怯まなかった。
胸を張り、真っ直ぐに、感情をぶつけた。
誓いとは血の鎖ではなく、心の絆で結ばれるべきだと。
……愚直なほどに、真っ直ぐで。だからこそ、誰もが惹かれるのだ。
あのとき、セリアが立ち上がって叫んだ言葉は、わたしの胸にも深く突き刺さった。
「私は、“ノルドの王族”としてではなく、一人の女として彼を選んだの」
ああ、やっぱり……そうだったのね、セリア。
あなたはずっと、心を決めていた。
ただ、それを言葉にする勇気を探していただけなのだ。
そして――カールも、ようやくその思いに応えた。
目の前で、愛を誓う彼の姿を見て、わたしは……笑った。
泣きながら、笑った。
どうしようもなく、悔しかった。
そして、同じくらい、嬉しかった。
わたしの中には、セリアに勝てるはずもないと分かっていた部分と、
それでもいつか、カールが振り向いてくれるかもしれないという淡い期待があった。
でもその日、それは終わったのか?
カールの目に映るのは、もうセリアだけなのか?
その光は、誰にも届かないのか?
たとえ、この手が彼を助けても、彼の隣に立って剣を振るっても――
彼の心には、もう「選ばれた者だけが」がいるのか?
それを痛いほど理解した日かと感じた。しかし、それでもわたしは思う。わたしも負けていられない。カールにとっては、セリアは必要な存在だ。そして、同時にエミリーゼ様も彼には不可欠な存在である。 だからこそ、わたしもなってみせようではないか!二人のように、カールにとって欠かせない重要な存在に。カールを支える大切な人物に。なってみせようではないか!
王都の春は、美しい。
ルメリア城の庭に咲く白桃の花が、風に舞う。
この国の未来が、ようやく安定し始めていることを、空も祝福しているかのようだ。
ユリウス王子は、静かに帰国の途についた。
その背中は、敗者のものではなかった。
むしろ、誇り高く、未来へと進む覚悟を帯びた「一国の王子」の姿だった。
彼の視線が一瞬、わたしと交差した。
その目に宿る、何かを諦めたような光と、わたしが抱える“強い想い”は、どこかで共鳴していたような気がする。
「……いつか、彼も、彼自身の“選ぶ人”と巡り会えますように」
わたしは小さく呟いた。
カールとセリアが選び合ったように。
誰かを選び、選ばれる――それが、本当の幸せだから。
夕暮れ。
書類仕事を終えて一人、魔術師団の塔から城下を眺めた。
空は赤く、ルメリアの街が金色に染まっていく。
ここが、カールの帰る場所。
セリアの願いが叶った場所。
そして――わたしが、歩き続けるべき場所。
……わたしはきっと、もうもっとこの想いを胸に抱きながら、隣にいる!カールを支えられる人物になるために。彼ほどの大きな運命を背負った人を支えられるために!
わたしたちは、カールのために、そして、この国の未来のために――前に進もう。
そう決めた日だった。
「……独り占めできないのが、ちょっと悔しいかな。そこだけが泣けてしまうかな」
頬を伝う涙を、風に紛らわせながら、
わたしはそっと微笑んだ。
リアナ=クラウゼ
王国魔術師団所属
王都ルメリアにて




