第78話 ユリウス6世=アルフレッド=ノルド
「北風、王都に届く」
王都ルメリア。蒼天の下、春を迎え始めた華やかな都に、凍てつく風が吹いた。
それは――ノルド王国より到着した、正規の外交使節団の行列だった。
黒き外套、氷狼の紋章、蒼銀に染まる馬車。王都の門兵たちはその姿に思わず背筋を伸ばし、フリューゲン側の高官たちも緊急に対応へ追われる。
だが――その馬車の先頭に立つ一人の男は、静かだった。
ユリウス6世=アルフレッド=ノルド。
彼は蒼き瞳に炎のような光を灯しながら、王都を睥睨する。
「……華やかだな。だが、脆い。これは、外敵に崩される理想郷の姿だ」
馬車が王宮に入る頃、すでに噂は広まっていた。
「ノルドの第二王子が自ら来たらしい」「カール様と何か関係が……?」「セリア様がノルド王族だったと?」
――そしてその夜、王宮の謁見室。
装飾を控えた、外交使節用の広間。フリューゲン国王代理としてエミリーゼが立ち、傍らにはカールとセリア、そしてリアナの姿もあった。
カールは静かにユリウスを見据える。
「はじめまして、ユリウス殿下。お会いできて光栄だ」
「……カール=キリト。いや、カール=ノルドか?」
ユリウスの声には皮肉のような抑えた苛立ちが滲む。
「まさか貴様が、母の血を継ぐ王族でありながら、ここまで地位を得ているとはな。しかも、フリューゲンの王女と婚約。セリアまで側にいるとは……見事な成り上がりだ」
「成り上がり――その通りだ。だが、俺はただ“戻った”だけだ。失われた名誉と血を、正当な形で取り戻した」
ユリウスは一歩、近づいた。セリアの方へ視線を送る。
「……セリア」
「……アルフレッド様、いえ、今はユリウス様ですね」
互いの間に、数年の時間が凍りつくような沈黙が落ちた。
「……あのとき、私たちは何もできなかった。冤罪を信じられず、あなたたち家族を救えなかった」
「あなたが……わたしを逃がしたのは知っています。あの時、冤罪だと信じてくれた。でも、王国に背いたら、あなたまで処刑されていた」
セリアの声は震えていた。
カールはそっと彼女の手を取った。
「ユリウス殿下。あなたの来訪の目的はわかっている。“連れ戻す”ことと、“婚約破棄”。だが、俺もセリアも――もう過去のノルドには戻らない」
ユリウスの眼が光る。
「その選択が“国を捨てる”という意味を持つのだと、貴様は理解しているのか?」
「――理解している。そして、それでも構わないと思っている」
「なぜだ。なぜここまでして……!」
カールの目に宿るものは、怒りでも憎しみでもなく、静かな決意だった。
「……俺の人生を否定しなかった国が、ここにある。共に戦い、認め合った仲間がいる。セリアが心から笑える場所も。俺はもう、失いたくない」
沈黙。
ユリウスはしばらく黙っていた。
「……民を裏切ってまで、守りたいものがあるというのか」
「裏切ったのは、ノルドの方だ。セリアを、母を、俺を」
その言葉に、ユリウスの肩がわずかに震える。
――だが。
「……ならば、決着をつけよう。フリューゲンの法ではなく、“ノルドの血”としてな」
ユリウスの声が冷たく響いた。
「三日後、外交礼儀に則り、“試問の間”を設ける。そこにて、セリアとカールの王族としての在り方を問う。“ノルドの王族”としての正統をな」
「受けて立とう。言葉で、心で、証明してみせる。俺たちが選んだ道の正しさを」
その場に、ただ重く静かな空気が残った。
そして夜。
セリアとカールは王宮のバルコニーで並んで夜空を見ていた。
「……アルフレッド様、変わっていなかったね」
「そうなのか?」
「ええ。すごく真面目で、理屈っぽくて、でも優しい。あの人は“王国”のことを心から想ってる」
「なら、ちゃんと伝えないとな。“ここにも想う国がある”ってことを」
セリアはカールの肩に頭を預けて、そっと微笑んだ。
「……うん、頑張ろう。私たちの道を、証明するために」
そして――三日後。
二つの王族の未来を左右する「試問の間」の扉が、今、ゆっくりと開かれようとしていた。




