第8話 門兵の眼に映った黒衣の剣士
◆門前の邂逅――門兵の眼に映った黒衣の剣士◆
王都ルメリアの北門。昼夜を問わず旅人と商人が行き交うこの地で、俺は十年近く門兵を務めてきた。
日々の警備は退屈で、特にこの時間――陽が傾き始める頃には、軽口を叩きながら持ち場をこなすのが常だった。
だが、その日は違った。
ふと視線を巡らせた先に、ひときわ異彩を放つ人影があった。
一人の男が、門の前に佇んでいた。
漆黒のコートが風に揺れ、足元には旅塵をまとった革のブーツ。そして腰には、黒の鞘に収まった一振りの剣――それだけで、只者ではないと直感した。
街道を歩いてきた者ならば、少なからず疲労の色が見える。だが、あの男にはそれがなかった。まるで、この王都に「戻ってきた」とでも言わんばかりの、堂々とした佇まい。
――この者は、何者だ?
俺は思わず声をかけた。
「止まれ、身分証を見せろ」
いつもの問いかけだが、その声にはわずかに緊張がにじんだ。
男はゆっくりとこちらを振り向いた。
その瞳――鋼のように冷たく、そして深い。
生半可な戦士では持ちえない眼だった。死線を潜り抜け、何かを失い、なお立ち上がった者の目。
その男――カールと名乗った。
冒険者ギルドの仮登録者だという。
だが、その名に、俺たちは一瞬で理解した。
“カール”――最近、冒険者たちの間で噂になっていた名だ。
《黒衣の剣士》《森の処刑人》《バルグロスを討った者》――
数々の異名を持つ、謎の剣士の名が「カール」。
だがその実在を信じていた者は少ない。あまりに強すぎる。あまりに出来すぎている。伝説のような逸話ばかりが先行し、半ば都市伝説のように語られていた。
しかし、今、目の前にいるこの男。
その気配だけで分かった。目を合わせることすら躊躇わせる、圧倒的な“力”の気配。
人ではない何かを前にしたような、そんな錯覚すら覚える。
「まさか……あなたが、あの?」
俺がそう尋ねると、男はわずかに口元を緩めた。
笑ったのか――いや、あれは笑みではない。余裕の現れだ。自らが“強者”であることを知る者の、無言の肯定。
「さあね。中で確認してみるといい」
静かにそう言い残すと、男は門を通り抜けた。
その背を、誰も止めることができなかった。
俺も、同僚も、ただ見送るだけだった。
何か言葉をかけることすらできなかった。
あれほどの存在感を持つ者を、これまで見たことがあっただろうか?
いや、王国の騎士団長ですら、あそこまでの気迫はなかったかもしれない。
だが、どこか悲哀も感じた。
男の背中には、孤独の影があった。
王都に戻る者の足取りではなかった。懐かしさでも、喜びでもない。あれは――戦場に赴く者の歩みだった。
何かを背負い、何かを終わらせに来た者の。
あとから調べて知ったことだが、彼は“キリト伯爵家”の息子だった。
貴族社会から追放された男。
だがその名を、今や貴族たち自身が恐れ始めているという。
数日後、彼がギルドで魔獣王バルグロスの魔核を提出し、王都全体が騒然となった。王宮までもが動いたらしい。
――あの日、確かに俺は見たのだ。
この国を変えるかもしれない剣士の“帰還”を。
それは静かで、しかし確実に運命を狂わせる風の始まりだった。