第7話 王都ルメリア――黒衣の帰還
◆王都ルメリア――黒衣の帰還◆
陽光が斜めに差し込む黄昏時――
王都ルメリア。その名は栄光と陰謀、祝福と呪いが交錯する場所。巨大な石造りの城壁は、千年の歴史を誇る王国の象徴であり、同時にその内に潜む腐敗を隠す仮面でもあった。
その門前に、一人の男が立っていた。
黒衣をまとい、風にたなびく長いコートの裾。鍛え上げられた体躯は、森の獣たちを相手に死線を潜り抜けてきたことを雄弁に語っていた。
カール=キリト。
名門伯爵家より追放された元貴族にして、今や“森の黒衣”と恐れられる剣士。
彼の腰には一本の剣があった。漆黒の鞘に金の紋が刻まれ、柄にはかつての伯爵家の紋章――鷹の双翼が微かに輝いている。ロウ・セリオス。キリト家に代々伝わる、かつて王国の礎を築いた剣士が携えたという聖剣だ。
追放されるその夜、誰にも告げず、母の形見とともに密かに持ち出していた。
彼にとってそれは、過去への未練でも、家への執着でもない。
ただ一つ、誇りを忘れぬための証だった。
「止まれ。身分証を見せろ」
門兵の一人が、緊張した面持ちで声を張る。
カールは一歩、静かに足を進め、懐から一枚の羊皮紙を差し出す。
「冒険者ギルド、仮登録者。“カール”とあるだろう」
その名に、門兵たちは眉をひそめ、互いに視線を交わす。
「“カール”…? まさか……」
「最近噂になってる……“森の魔獣を狩る黒衣の剣士”と同じ名……」
「いや、だってそいつ、バルグロスを討ったとか……化け物だぞ?」
ざわめきが走る。
ルメリアにまで届いていた、ひとつの伝説。王国でも最上級の脅威とされていた魔獣王バルグロスを、たった一人で討伐した謎の剣士。名はカール。黒衣の姿、鋭い目、そして“獣さえ恐れる殺気”――
「俺が本物かどうか、確かめたければ……中に通してみろ」
微笑の奥に、確かな“力”の匂いを感じ取り、門兵たちは本能的に一歩退いた。
「い、いや……通っていい。こちらで手続きを……いや、案内する者を……!」
「案内など要らん。道は覚えている」
そう言い残すと、カールは静かに門をくぐった。
王都ルメリア――栄華の中心にして、彼を切り捨てた場所。
だが今、その地を踏む彼の足取りに迷いはなかった。過去の影に怯える者の歩みではなく、未来を斬り拓く者の、それだった。
街に入ると、華やかな装飾と貴族たちの馬車が行き交い、まるで劇場のような喧騒が広がっていた。
だが、カールの瞳はそのすべてを超えていた。
かつて、リリスと手を取り合って歩いた通り。
父と共に馬車に揺られて訪れた王城の前。
姉と笑いあいながら迷い込んだ裏通りの小さなパン屋。
全てが、今は遠い幻のようだった。
(……変わらないな、この街は)
だが、変わったのは自分だ。
貴族の名にすがっていた少年はもういない。今ここにいるのは、一人の剣士。名も地位も不要。ただ、その剣が示す道を、己の足で歩む者。
ギルドの塔が見えた。かつては目を逸らしていた高い塔の頂点――それは今、彼が征服すべき舞台となった。
(まずは……準備だ)
ギルドでの正式登録。そして、魔核と素材の換金。王都の商人や錬金術師たちは、それらが持つ価値に驚愕するだろう。それが終われば、次は……
(父よ、リリスよ……覚悟しておけ)
復讐ではない。だが、見せねばならぬのだ。
自らを切り捨てた者たちに、“あの時、何を失ったのか”を。
そして、腐敗したこの世界に、新たな剣の時代を示すために。
黒衣の剣聖、カール=キリトの帰還。
それは、王都ルメリアの長き静寂に、鋼の風を吹き込む始まりだった。