第61話 フリューゲン王国王城・執務室
フリューゲン王国王城・執務室
重厚なカーテンから差し込む陽光は春の穏やかさを感じさせたが、王城の一角にあるこの部屋に漂う空気は、まるで冬の嵐のように冷え切っていた。フリューゲン王の執務室。その中央にある玉座にも似た椅子に、国王ヴァルト=フリューゲンが怒りを噛み殺すような表情で座していた。
王の前には、白銀の髪に落ち着いた佇まいを持つ宰相、ポーオルビ侯爵。そしてその隣には、金髪の麗しき第二王女、エミリーゼ=フリューゲン。彼女の瞳には静かな憤りと、何かを決意したような光が宿っていた。
「……一方的に、だと?」
王の低く唸るような声が室内を支配する。
「はい、陛下。サウザーンスト帝国よりの正式な書簡です。第三王子オットーラ殿下との婚約を白紙に戻す、と」
ポーオルビ侯爵が手元の文書を差し出すが、王は手に取ろうともしなかった。
「理由は?」
「おそらく、いや――確実に、先日の“獣人奴隷事件”の影響かと」
ポーオルビの言葉に、王の顔がさらに歪む。
「我が王国の領内において、伯爵爵位を持つ者が獣人を拘束し、奴隷として取り引きしていた。しかもその背後には、サウザーンスト帝国の密使の影があったことは明白です」
「……その件に関しては、我が国は速やかに裁きを下した。奴隷たちは解放され、伯爵は爵位を剥奪。帝国にもその旨を通達したはずだ」
「はい。にもかかわらず、帝国は“そもそも我が国に奴隷などいない”という声明を出してきました。つまり、すべてはフリューゲン側の虚偽であると」
王は拳を握りしめ、重い音を立てて机を叩いた。
「我が国を、愚弄するにもほどがあるっ……!」
沈黙。空気が凍り付く中で、さらにポーオルビ侯爵が口を開く。
「……陛下。さらにお伝えしなければならぬことがございます。密偵よりの報告によりますと……サウザーンスト帝国は、軍の動員を始めているとのこと」
「……!」
「あくまで情報の域を出ませんが、演習の名目で西方の軍団を国境付近に移しているようです。加えて、王都周辺では武器の製造数も倍増しているとのこと」
王はしばし沈黙し、天を仰いだ。
「……まさか、これが……宣戦の口実だと?」
ポーオルビは静かに頷いた。
「可能性は否定できません。第三王子との縁談を断つこと、それを婚約者側に責任転嫁することで、我が国に外交上の瑕疵を作り出す狙いかと」
「我が娘を、政争の駒に……!」
そのときだった。黙していたエミリーゼが、ゆっくりと口を開いた。
「父上。ならば、私は――新たな婚約者をお迎えするべきではないでしょうか」
「……何?」
エミリーゼはゆっくりと立ち上がり、真っ直ぐに王を見つめた。
「第三王子との縁談が破談となった今、私は自由の身です。そして、我が国が危機にあるのならば……私は、国のために新たな縁を結びましょう」
「……誰と結ぶというのだ?」
彼女の紅い瞳が鋭く光る。
「“剣聖”カール様です」
その名が出た瞬間、宰相の眉がわずかに動き、王の顔に驚愕の色が走る。
「……なんだと?」
「彼は、このフリューゲン王国を脅かす魔獣王を討ち、また不正を暴き、名誉子爵としてすでに王都でも高い評価を得ています。もし、彼が私の婚約者となれば、国内はもちろん、国外への影響力も強まるでしょう」
ポーオルビ侯爵が、冷静に口を挟む。
「剣聖カール殿は、半分平民出身の冒険者……出自を重んじる帝国にとっては、逆に挑発と取られる可能性もありますが」
「構いません」
エミリーゼはきっぱりと言い切る。
「私は“帝国の機嫌を取る人形”になるつもりはありません。我が国を侮り、獣人を道具のように扱い、正義を歪める者に媚びるなど、王族のすることではないと私は思います」
その気迫に、ポーオルビ侯爵すら言葉を失う。
「父上。……お許しください。私は、私自身の意思で剣聖様を選びたいのです。そして、必要ならば彼の剣を、国のために借りてください」
フリューゲン王は娘をじっと見つめた。その眼差しに、迷いはなかった。
長い沈黙のあと――王はふう、と大きく息を吐いた。
「……あの男が、娘婿か」
「はい。剣聖カール=キリト殿です。王都にて面会の機会を設けるべきかと」
「……面白い書状がノルドから届いていたな。半分平民ではなく、ノルド王族の血が流れているようだ」
王の瞳が、かすかに輝いた。
「帝国が火種を撒くというのなら、こちらも切り札を準備しておくべきだな。――ポーオルビ侯爵。剣聖カール殿との謁見の準備を。上手くいけばノルドも味方にできるかもしれんな」
「はっ」
「そして、エミリーゼ。お前の決意がどれほどのものか……じきに見せてもらうぞ」
王女は静かに頭を垂れ、答えた。
「はい、父上。私は、このフリューゲン王国の誇りとして、恥なき道を選びます」
その日、フリューゲン王国は大きく動き出した。
――“剣聖”という一人の男を中心にして。




